創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

第1部 DDBの誕生

01-23 たった10分間で解決する

パーカー夫人は続けます。 「しかし、これだけではありません。 バーンバックさんに会いたいと思って、彼の居所を探してみると、アートディレクターの部屋で腰をおろしてクリエイティブ・チームの連中と会っている時なぞがあります。 また、ひまな時には、ク…

01-23 常にドアを開いているバーンバック

(ロール)パーカー夫人は、私が最も親しくしているDDBの幹部コピーライターです。 この人は、DDB創業の翌年に入社し、2年間ばかり退社していたこともありましたが、今日まで約17年間DDBで働いてきた人です。 ユダヤ系アメリカ人…というよりも、オーストリー…

01-22 クライアントをゴルフ場で拾わない

さて、全く新しいタイプの広告代理店をつくろうとしたバーンバック氏は、クライアントと自分たちの間に明確な線を引きます。 そのことを、次の言葉が示しています。 「クライアントが私たちに基本ルールを与えることを私たちは決して許しません。 それはクラ…

01-21 原理をいうのは簡単だが…

私は、バーンバック氏と長い会話をかわしたこともなければ、氏の講演を聞いたこともありません。 十数回目のDDB訪問をしていたある日、全く予想外だったのですが、彼がフラリと部屋へはいってきたのです。 ただ、あいさつをしたかった、という理由だけで──。…

01-20 偉大な伝道師にもなれた人

「広告で人が逆立ちしているところを描いたとする。人が逆立ちしているビジュアルを使うと、大概の読者はそこに目を止めるでしょう。 けれどもその目を止めた次の瞬間に、間髪を入れず説得にまで持ち込むことは非常にむずかしいことです。 しかし、もし私が…

01-19 アナログ能力と創造性

ブルーナーといえば、教育界の人々にはよく知られている人です。 「左手のためのエッセー」という副題を持った著書『直観・創造・学習』(橋爪貞雄訳・黎明書房刊)があります。 そのの中で、創造というものを「効果的な驚き」を生じさせるような行為と定義…

01-18 発見する時には直観的、表現する時は論理的

タトンは、『発見はいかに行われるか』(渡辺・伊藤共訳・南窓社刊)の中で、ポアンカレの言葉を引用しながら、創造的人間の間に見られる二つのタイプとして、論理型と直観型をあげています。 「(数学者の二つの型のうちの)一つは論理一点ばりというタイプ…

01-17 直観を信頼しよう

「正しいことを研究調査して発表することは非常に簡単です。 しかし、それをただ正しいことだから言おうということだけでは決して有効な広告にはならないのです。そこに、芸術的表現力を持つタレントがあってはじめて人びとが信ぴょう性を抱いてくれる、説得…

01-16 広告は説得である

DDBに対する非難のほとんどは、バーンバック氏の信念である「広告とは、つまるところ説得である。そして、説得は科学ではなくてアートである」という一句に集中したといっていいでしょう。なぜそれが非難されたかを説明する前に、バーンバック氏の主張を紹介…

01-15 アウトサイダーになるつもりだった

ロビンソン夫人は、あるインタビューに答えて、「バーンバックさんから、新しい代理店を創立することを打ち明けられ、『どう、いっしょにくるかい?』っていわれた時、私はワクワクしちゃったのです。 だって、私には、失う経歴もなかったし、まだ初心者でし…

01-14 DDBでは、お金は第二の問題

それでは、DDBは金銭勘定を無視していたのか、ということになるわけですが、そこのところを、ゲイジ氏はこう説明しています。「便宜主義は、仕事を破壊することもあります。DDBでは、お金は第二の問題です。すぐれた作品をつくるのが第一です」 「すぐれた仕…

01-13 足かせを解かれた人のように…

モーゼとアロンに率いられて「アビブの月」の逾越節の日にエジプトを出た人々も、ロビンソン夫人のように「足かせを解かれ」「牢屋を飛び出た」と感じたでしょうか? それよりも、ロビンソン夫人の言葉の重要な示唆は、グレイ社(というよりも、当時のアメリ…

01-12 製品に魔術があれば…

バーンバック氏は、1966年に来日して、日経ホールで講演しました。 「きょうは正しい広告について話をするわけですが、まず第一にいいたいことは、私は毎日、広告の仕事に従事しているけれども、広告には魔術がないということです。魔術は何にあるかというと…

01-11 DDBの家庭的な雰囲気

なぜ、ランド氏かゲイジ氏かに、これほどまでにこだわるかといいますと、企業の社風を決める重大な要素の一つに、上層部の人的構成があげられるからです。 普通、私たちは、「社風」とか「社格」とかといった言葉で企業文化を言い表しますが、心理学者の宮城…

01-10 選ばれたのは、ゲイジだった

この点に関する資料は、全くといっていいほど残っていないので、私の推測を話す以外に方法がありません。 (1)バーンバック氏が創業しようとしていたのは、全く新しいタイプの広告代理店であった。 (2)したがって、彼の意志を履行してくれるアーティスト…

01-09 考える友人…ポール・ランド

それにもかかわらず、この時代に、バーンバック氏は一人の親友を得、彼から多くのことを学んでいるのです。 その親友の名は、(ポール)ランド。このデザイナーについては、亀倉雄策師による『ポール・ランド作品集』(造型社刊)に詳しいのでそちらに譲って…

01-08 広告の将来についての情熱と理解

同じくグレイ社時代を、やはり、後に彼の右腕となった(ロバート)ゲイジ氏がこう述懐しています。 「私がどれほど仕事好きであるかを知っていただくためには、私が初めてビル・バーンバックに出会った時のことをお話しする必要がありそうです。 私は、ケリ…

01-07 型にはまった人間ががまんできない

ファンジェは『創造性の開発』で、創造性を妨げるものとして、「意識していようといまいと日常生活の一部となっている習慣と伝統とは、ほとんどあらゆる場合にわれわれを縛っている。 そのうえ、与えられたグループの一員として(やはり、意識していようとい…

01-06 広告界にはいったのは、ある日突然に・・・ 

しかし、彼がユダヤ系の家庭に育ったということは、もう一つのことを意味します。将来の目標が、医者、弁護士、教師、芸術家、科学者あるいはジャーナリストか広告業界に限定され、その分野で地位を築くために努力が続けられ、両親もそれを期待するというこ…

01-05バーンバック氏が語った経歴 

バーンバック氏に過去を語らせたただ一人のジャーナリストは、アド・エイジという専門雑誌のデニス・ヒギンズ記者です。問「バーンバックさん、あなたはどういうことから広告コピーを書くようになったのですか?」バーンバック「ええ、じつは私は、おおぜい…

01-04 最初はブリタニカのために書いた

バーンバック氏のことを、大変なはにかみ屋さんと申しました。50幾歳の人をつかまえて、はにかみ屋さんというのも妙な言い方ですが、これはじつは、DDBのある幹部の表現なのです。「ビル(注・バーンバック氏の愛称)って、自分のこととなると、ほとんど話さ…

01-03 DDBという社名に決まるまで

DDBSいうのは、ドイル・デーン・バーンバックの頭文字を取った略称です。 つまり、(ネッド)ドイルという人と、(マクスウェル)デーンという人と、(ウィリアム)バーンバックという人が集まってつくった会社なわけです。左からM・デーン、W・バーンバ…

01-02ブリタニカの項目となった「DDB」

DDBといえば、日本では、広告界をはじめとして、各方面で知られています。たとえば、東京新聞特報部記者の最首公司氏がお書きになった『脅威のユダヤ商法』(徳間書店刊)でそうとうなページ数を割かれているのはまあわかるとしても、落合三雄工学博士の…

01-01広告のスクラップから疑問が生まれた

この部のおもな登場人物 氏名 人物紹介 ウィリアム・バーンバック DDB社の会長。愛称ビル。ユダヤ系米国人 ロバート・ゲイジ DDB社の先任副社長でクリエイティブ・ディレクター。愛称ボブ フィリス・ロビンソン夫人 DDB社創業以来、コピーライターだった。ユ…