2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧
リーブス方式のキャンペーンに広告賞を与えないのは不自然だと、いう人もいます。勲章かレジスターの音か---は、広告界では永遠の争点でしょう。 ★ ★ ★ 問 どんどん書くという意味ですか。 リーブス そうです。 そのほか、どこで学ぶというのですか、そんな…
東京コピーライターズクラブ訳/編『5人の広告作家』の中から、テッド・ペイツ社のロッサー・リーブス氏を紹介する。 DDBのバーンバック氏をアテネにたとえると、ロッサー・リーブス氏はスパルタといわれている。パッケージ・グッズをハード・セルで売るのに長…
シーヴァス・キャンペーンは、とりあえず、これにて一時、中休みです。 ハレの 日? シーヴァスのボトルを開けることそれ自体が、ひとつのハレ>ごと。 何の変てつもない一日を、ハレ>の日に変えたいと思う時、 スコットランド最古の醸造所でつくられるストラ…
当ブログ2009年6月5日[シーヴァス・リーガルの広告(15)]←クリックで、翻訳ミステリー1700編27万レコードの森羅万象データ・ベースつくっていたことがあるから、シーヴァスの広告に影響された探偵を報告したいと約束していました。旧稿をあらためてい…
ヘッドラインを「では、また」のキス とか、「すてきな集まりでしたネ」と訳してもいいかな---とおもったけれど、 "Kiss it goodbye."は、もしかして小説の題名か、有名な歌詞だと困ると直訳のままにしておきました。これがケガの功名だったりして---。 おわ…
過去にDDBが制作したキャンペーンのなかでも、シーヴァス・リーガルは、とくに感心している一つです。 下のリスト(11)からのカラー版は、『ニューヨーカー・アーカイブ』に加入してからの50数点です。きょうのこれは、その時の積みのこし分。 のスコッ…
『DDBニュース』のバックナンバー、1972年6月号をめくっていたら、毎号のように載っている「受賞作品の紹介欄」に、[ジョン・ウェイン]が米国ガン協会の公共広告へ志願出演したものがANDYの第1位賞を得たとあった。 アートディレクター: ビル・ト…
秋の交通安全運動のお手伝いのつもりで、以下の広告やコマーシャルをCDにして、友人の元警視総監K氏へわたしました。 電話があって、「これ、交通安全ではないよ。10階のビルから車を落とすなんて非常識だし、いきなり墓地ってのもねえ」 それで、気が…
大兄、学兄という尊称がある。その上を雅兄と書く。この上はない。ぼくが、雅兄を冠する知り合いの数少ない一人が、土屋君である。ありあまるほどの才能の持ち主で、怒った声をきいたことがない。『証言で語る 広告史』(日経広告研究所 2001刊)の語り口を…
〔歳時記〕にこだわるつもりはないのですが、「敬老の日」らしいので、古い話に耳を傾けてくださいますか。 書棚の隅から『証言で綴る広告史』(日経広告研究所 2001.5.30)が出てきました。「会員にのみ頒布」とありますから、ほとんどの人の目にふれていな…
ニューヨーク84丁目の古びた褐色砂岩の家。ダヴィッド・オグルビーは、そのドアをあけて身体が痛そうにゆっくり歩きながら、奥の居間へ招きいれてくれた。部屋の造作は英国の町屋風にしつらえてあった。壁の2面には、塵よけカバーをかけた本が幾段にも並んで…
ニューヨークの43丁目にあるDDBの録音スタジオに、バーンバックさんはすわっていた。 彼は思ったより小柄で、柔らかい話し方をし、保守的なスーツに身を包んでいた。使い古されたピアノを背にして折りたたみ椅子にすわって、税務所の監査員のきびしい尋問…
定期購読していた『アド・エイジ』誌の発行元を、シカゴに訪問したことがあります。 いろいろ説明してもらいましたが、もっとも興味をもったのは、江戸時代の薬種(くすりだね)問屋が置いていたような小抽き出しが天井まである部屋でした。 過去記事を広告主…
1966年、東京コピーライターズクラブが、クラブの事業として翻訳/編集した『5人の広告作家』(誠文堂新光社)の、バーンバックさんの項を担当したのがぼくでした。それに解説をつけました。 1966年といえば、43年前です。当時、日本のほとんどの…
これで、TCC訳/編『5人の広告作家』(誠文堂新光社 1966.3.25)のうち、3人のアッブが終わりました。 ジョージ・グリビン(ヤング&ルビカム社)訳者・秦 順士氏 解説・近藤 朔さん、ロッサー・リーブス(テッド・ベイツ社)訳者・岡田 耕氏 解説・上野壮夫さ…
シカゴ派……たしかに存在していたとおもいます。この派を好む広告主もいたのです。ただ、ぼくは取材にいかなかった。 ★ ★ ★ 問 この業界にはいられて以来、多くの人と話す機会があり、いろいろなライターのコピーを監修していらしたと思います。 それらの人に…
70冊以上も本を出したので、いつも、冗談めかしていうのですが、「本を書く(または、作る)のは、たやすい。売るのがむつかしい」 冗談ではなく、ホンネです。 ウェブも同じ。良質のアクセスをふやすのがむつかしい。 このブログは、明日、来月、来年にな…
日曜日の今日……・。 あなたに一篇の、古きよき時代の短篇小説をお届けする。 語り手は、山村の老農婦のように、聞き手も自分とおなじ村に長く住んでいて、細部まで共通体験を覚えている者と思いこんでいる。それだけ、人生を信じ、友愛の気分が篤いのである。…
[人探し]を呼びかけて、24時間を経過した。 当時のAWAの会のメンバーは引退・悠々自適をしていて、ブログなど読まないのか、当ブログの伝播力が弱いのか、菊川淳子さんについての情報は、一片も寄せられてこない。 バーネット氏の流れをとめないために、…
《?尋ね人?》菊川淳子さん 45年前に20代。たぶん、大手広告代理店に勤務。東京コピーライターズクラブの事業の一つとして『5人の広告作家』(誠文堂新光社 1966.3.25)を翻訳/編集したとき、会員のどなたかの紹介でレオ・バーネットのインタヴューを翻…
45年前。東京コピーライターズクラブ訳/編『5人の広告作家』(誠文堂新光社)が上梓されました。 週刊広告業界誌『Ad Age』の、ニューヨーク広告ライターズ協会が『栄誉の伝道入り』させた5人のコピーライター出身の広告代理店経営者のインタビュー記事…
よく読んでみると、デラ・フェミナ氏も、さほど変わったことを言っているわけではない。 ほんのすこし、大げさなだけである。 遠まわしに、婉曲に言わないのは、学者じゃなくて、コピーライターだから。 そして、DDBに嫉妬しながら、胸を借りている。この…
このコーナーの[タイトル]は、[6分間の道草]です。 1時間の10分の1---24時間の240分の1。これくらいの時間なら、自分の水準をあげるために割く人がいらっしゃるだろうとふんだのです。 数百人がそしてくださいました。 でも、その100倍---いや、5…
このブログを、終わるべき時期が近づいたのかも知れない。 スクラップしていた《ジョリー・グリーン・ジャイアント》シリーズの数10点を、3年前に廃棄していた。 多摩美大の講師を定年した時点で広告関連の資料は同図書館へ寄贈したが、スクラップは大学側も…
デラ・フェミナの『広告界の殺し屋たち』はおもしろいし、的もだいたい射ている。ただ、訳者として不満をいえば、図版がまったくついていなかった。 引例図版なしの広告の本なんて、ニューヨークで働いていないかぎり理解と合意は半分しか得られまい---と、邦…
ジェリー・デラ・フェミナ著『広告界の殺し屋たち』の第7章の抜粋です。 ★ ★ ★ DDBはビールではまあまあであったが、ウイスキー類では完催にうまくやった。 なぜかは知らない。DDBの連中はウイスキーしかたしなまず、ビールには関心がないのかもしれな…
[広告革命][クリエイティブ革命][黄金の10年]---といわれ、19,20世紀を通じて米国の広告世界がもっとも輝いていた時期、その光輪の周辺にいて、冷静に皮肉っぽく観察していた男がいた。名はジェリー・デラ・フェミナ(写真下)。コピーライターと…
たまたま、DDBの重鎮アートディレクター---ビル・トウビンさんによるリヴィ・パンのポスターが数葉、資料庫の隅から出てきたので、1966年に来日、5月10日に日経ホールでスピーチしたバーンバックさん(写真)の講演記録(『日経広告手帖》1966.5.1…
(DDB, Vice President, Management Creative Supervisor) Interviewed in 1968-1969 In Ad Age: DDB Has Three of Ten Best Ads Ever Advertising Age, for its Bicentennial issue, asked 97 advertising professionals to name "the best ads or ad campai…
1976年だから、33年前のこと。送られてきた『DDB NEWS』7月号を手にとっていて次のページに目をとめた。 広告業界誌《Ad Age》が広告の専門家97人に、「この200年間でベストと思う広告キャンペーン」の推薦を依頼、集計してベスト10を選定し…