創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

(377)ボブ・ゲイジ氏のスピーチ(1)

書庫の片隅から、ロバート・ゲイジ氏が1963年にモントリオール・アートディレクターズ・クラブで行ったスピーチの草稿が出てきました。もちろん英文です。『繁栄を確約する広告代理店DDB』(誠文堂新光社 『ブレーン』別冊 1966.10.1)に訳文のみを収録し、今年(2…

(376)DDBへ帰ってきた人たち (2)

仲間はみんな気のおけない、いい奴ばかりだった、とりわけボスがすばらしい仁だった---不満だったのはペイだけ---それで、つい、悪魔の舌に載って出て行った。けれども、そこはなんともひどかった。クリエイティブの自由なんて、これっぽちもなかった、「DDB…

(376)DDBへ帰ってきた人たち

クリエイティブな仕事をしていると、「会社、変わろうかな」と思うことは、少なくありません。会社が仕事(あるいは自分ではあるとおもっている才能)に見合ったペイをしてくれてない、いま担当しているクライアントが思ったほど理解してくれないで作品をよく…

(375)ケイス・ヒストリー〔アメリカン航空〕

1966年10月に刊行した『ブレーン別冊』のムック本『繁栄を確約する広告代理店DDB』(誠文堂新光社)のアメリカン航空の作品例を集めたセクションに、【アメリカン航空解説】と題したこんな文章を載せています。資料をどうやって入手したのか、いまとなっては思…

[効果的なコピー作法](4-3)

きょう引用した46年前の『アート・ディレクション』誌の記事で「アングラフィック」という言葉を眼にしたときのぼくが受けた衝撃といったら---! いえ、ぼくだけではありませんでした。当時、日本のアートディレクターを代表していた一人---田中一光さんも…

[効果的なコピー作法](4-3)

DDBのアートディレクターたちを見ていると、かっちりと理論的に視覚化してみせる人(例:ヘルムート・クローン氏)と、そのときのメッセージ・アイデアから柔軟に発想する人(例:ボブ・ゲイジ氏やビル・トウビン氏)のタイプがあるのに気づきました。まあ、なに…

[効果的なコピー作法](4-1)

45年前(1963)に上梓した『効果的なコピー作法』(誠文堂新光社)を復元しています。[はじめに]にも記していますが、当時は誠文堂新光社からでていた業界専門誌『ブレーン』誌に1年間連載したものをまとめたものです。chuukyuu、32歳から33歳にかけ…

(376)エド・マケイブ(Edward McCabe)氏とのインタヴュー (了)

米国の広告業界紙・誌を眺めていて、どのアカウントがどの広告代理店へ移った---といった記事が眼にとまると、そのクライアント、あるいは広告代理店が興味を抱いていた社であれば、それから8ヶ月後に現われる広告キャンペーンを注目するわけです。アカウン…

An interview with Mr.Edward McCabe (7)

chuukyuu What is your teaching method of copywriting? Mr.McCabe It depends on the copywriter. Some copywriters you have to be very careful with and handle very gingerly. Others you're better off going in and just telling them that what the…

An interview with Mr.Edward McCabe (6)

chuukyuu Do you have your own peculiar way to try to hit an idea? Mr.McCabe Yes, very peculiar. I cannot really describe it because each ad, and commercial happens differently. The idea can come with myself. and an art director sitting tog…

(375)エド・マケイブ(Edward McCabe)氏とのインタヴュー (6)

1960〜70年代に、広告表現の革新をつづけていた米国で、とくにめざましい活躍ぶりで、その後の世界の広告に強い影響を与えたコピーライターたちを、東京からニューヨークへ出向いて、インタヴューした記録が、『みごとなコピーライター』(1969)、『…

An interview with Mr.Edward McCabe (5)

<<(4) Mr.McCabe Second is a Salada Tea television commercial, which had a bunch of little old ladies on motorcycles, which I did a few years back with Bob Wilvers at Carl Ally. I like this commercial because it started a trend in advertisi…

(374)エド・マケイブ(Edward McCabe)氏とのインタヴュー (5)

〔サラダ紅茶〕のCMは、マケイブ氏がヤング&ルビカム社時代に制作したもの。このCMで一挙に名をあげたのです。1本の作品で認められるのは、どの世界にもあることですが、Y&Rのような大組織の中でこれをつくりえたのも驚異です。 スカリ・マケイブ・…

An interview with Mr.Edward McCabe (4)

<

(373)エド・マケイブ(Edward McCabe)氏とのインタヴュー (4)

10月30日から3日間にわたって掲載した、エド・マケイブ氏とのインタヴューのつづき。同氏とのインタヴューに、イタリアのアクセサーがご自分のブログに転載し、「グレイトなコピーライター」と振っていたのが印象的でした。わがブログも、なかなかに国…

(372)ボルボの広告(27)[番外編](2)

MC-K3さんからご要望があったので、[番外編]をもう1回。あすからは、中断していたエド・マケイブ氏とのインタヴューを再開しましょう。後半部は、スカリ・マケイブ・グローブス広告代理店以前の仕事について語ったものだったので、ボルボ・シリーズから…

(371)ボルボの広告(26)[番外編]

[番外編]には、特別な意味はありません。『ボルボ〜雪と悪路が生んだスウェーデンの名車』の本文の転載がきれたので、広告のみの紹介になりました。いわば、タイトル本来の姿になったわけです。このアイデアのヒントを下さったのはMC-K3 さんでした。ありが…

(370)ボルボの広告(25)

ソーレン・ヴェヴレン『有閑階級の理論』(岩波文庫 小原敬士訳 1961)を読んだのは、40年以上も前のことです。(いまは、壁に作りつけた文庫専用棚の最上段隅にあって、床に山積みの資料類を移動しないと取り出せないので、あらためることは急にはできかね…

(369)ボルボの広告(24)

どなたもそうなのでしょうか、本を執筆しているときって、一種、神がかり的なヒラメキが降ってきます。40年前、11冊目の著書となった『ボルボ』のときもそうでした。次々と疑問が生まれ、その度にいろんな人に助けられました。このブログでも、「あとがき」…

(368)ボルボの広告(23)

あと、1,2回でボルボを終えます。新書版254ページですが、なにしろ40年も前の記述ですから、3分の2は、やはり、古くなっていて、きょうの興味を引かないとおもいました。「早く古くなるもの」の代表がファッションと広告ですが、引用しているのは、それ…

(367)ボルボの広告(22)

3日にわたって、40年前に発売された〔ボルボ144〕の安全設計の80項目を列記しました。ここでちょっと広告業界の内輪話になりますが、クリエイティブ・チームに渡されるデータがこれだと、最高クラス---。しかし、業界用語では〔製品特質リスト〕です…

(366)ボルボの広告(21)

細部にわたる安全設計の配慮を写していると、その実現に携った多数の技術者たち---クリエイターたちの知恵とアイデアの発露がしのばれます。社是の一つ---安全性の実現という大命題にむかっていった情景が目にうかびます。広告のクリエイションが次元が低い…

(365)ボルボの広告(20)

なにしろ、40年も前のファクトなので、いまではどの自動車メーカーも、ボルボを解体して研究しつくしていて、すっかり常識になっていましょう。が、40年前のファクトとして、後世の人たちのために記録としておこうと思いまして---。文系の方は一瞥だけで…

(325)ボルボの広告(19)

今日のテキストは、「読む」のではなく、一瞥「感じる」でいいとおもいます。米国政府機関から自動車メーカーへ出されたものですから。広告には、「感じさせる」コピー・パーツもあっていいわけです。今日のテキストには、昨日までのボルボ社の安全テスト主…

(324)ボルボの広告(18)

コピーライターのすこしばかり先達として、「どうやればうまくなれるか?」と、よく訊かれた。小林秀雄師「若き小説家志望者たちへ」(タイトルはうろ覚え。書庫で現物を捜すヒマがないのでゴカンベン)で、 1. 好きな作家の作品を原稿用紙に写せ。作家の息…

(323)ボルボの広告(17)

こうして、40数年前のインタヴューを書き写していて、忸怩たるおもいにかられている。すなわち、現役コピーライターだったころ、コピーライターの資質の一つとして、「よき質問者であれ」と言っていた。ところが----自分の質問を再確認してみると、抜けだ…

(322)ボルボの広告(16)

あのころ---頼まれもしないのに、"creative philosophy 創造哲学" ということを、やたら、わめき散らしていた。日本語で「哲学」というと、なにやら深刻な思考のように思われるが、ニューヨークのクリエイターたちは、「本質的な考え方」といったくらいの意…

(321)ボルボの広告(15)

41年前の1967年(昭和42年)10月17日---ぼくが、生まれて初めて、乗用車で安全ベルトを着用した日である。場所はスウェーデンのイェーテボイ。ボルボ本社のハレンボルイ広報担当係が運転する車ボルボに同乗しての、本社屋から工場までの往路。助手席に座って前…

(320)ボルボの広告(14)

今日から、拙著『ボルポ ---スウェーデンの雪と悪路が生んだ名車』(ブレーンブックス 1968.7.23 絶版)の第4章[「世界最高の安全車」と呼ばれるために]をアップしていきますが、ページ順ではなく、いまの消費者に伝えたいことから。なにしろ、40年前の取材で…

(319)ボルボの広告(13)

明日からは、[第4章 「世界最高の安全車」と呼ばれるために]を抜粋します。これこそが、ボルボの真髄中の真髄と思われますから---。そう、3,4回でしょう。 >>『ボルボ〜スウェーデンの雪と悪路が生んだ名車』目次 第1章 ガブリエルソンの30年間 2人の男が出…