創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

01-13 足かせを解かれた人のように…

モーゼとアロンに率いられて「アビブの月」の逾越節の日にエジプトを出た人々も、ロビンソン夫人のように「足かせを解かれ」「牢屋を飛び出た」と感じたでしょうか?
それよりも、ロビンソン夫人の言葉の重要な示唆は、グレイ社(というよりも、当時のアメリカの広告代理店全般)が、クリエイティブ部門の人たちに、「足かせ」をはめられて「牢屋」にぶち込まれているような印象を与えていた、という事実です。
そして、何が「足かせ」であり、何が「牢屋」だったのでしょう?
DDBの幹部コピーライターの一人である(ポーラ)グリーン夫人が私に話してくれた次の一節は、ある程度の手がかりを与えてくれます。グリーン女史は、DDB創立六年後に入社した人です。
「そう、私がこの会社へ来てすごくびっくりしたのは、この会社には、強い誠実さがあり、そしてバックボーンが一本通っているということです。

たとえば、クライアントに対して率直にものをいうこと、しかもこちらの基本的立場を堂々と主張するだけのシンの強さがあるということです。

もちろん、その裏づけになっているのは、この代理店の持っている知性、それから情熱、それからある種のウィットといったようなものなんですが…。そういう点に、私はとても深い印象を受けました。

それからもう一つ。
私がきた当時驚いたことは、最初から、みんなが私にクライアントの折衝の場合には、どんなことでも思ったことをいいなさい、好きなことをいいなさい、率直に意見を出しなさい、といったことです。
むしろそういうようなミーティングでは、できるだけ会議そのものに貢献しなさい、質問もできるだけしなさい、なんでもいいから意見を出しなさい、ということをいわれたのです。
とにかく、なんでも率直に表現しなさいということだったのよ」

つまり、当時のアメリカの広告代理店がクリエイティブ部門の人たちにはめていたものの一つは「足かせ」であったといっていいでしょう。
彼らは、まるでボクシングのスパーリング・パートナーのように防衛ばかりを強いられてきたのです。
広告主や代理店のAE(お得意先係)は常に正しく、かつ上位にあったのです。
どうしてそんな関係が成り立っていたのか、といいますと、広告主やAEたちは、金銭を扱う立場にいたからです。