創造と環境

コピーライター西尾忠久の1960年代を中心としたアメリカ広告のアーカイブ

01-01広告のスクラップから疑問が生まれた

この部のおもな登場人物

氏名 人物紹介
ウィリアム・バーンバック DDB社の会長。愛称ビル。ユダヤ系米国人
ロバート・ゲイジ DDB社の先任副社長でクリエイティブ・ディレクター。愛称ボブ
フィリス・ロビンソン夫人 DDB社創業以来、コピーライターだった。ユダヤ系米国人
ポール・ランド バーンバック氏の友人。高名なデザイナー
ジョージ・ロイス かつてDDBで働いたことのあるアートディレクター。ギリシャ系米国人
ポーラ・グリーン夫人 DDB社のクリエイティブ・マネジメント・ディレクター。副社長。ユダヤ系米国人
ロール・パーカー夫人 DDB社のコピー・スーパバイザー。副社長。ユダヤ系米国人

第1章 バーンバック氏の経歴


01-01広告のスクラップから疑問が生まれた


この話は、ソニーの盛田副社長からお聞きしたように記憶しています。


1959年のはじめ、西ドイツのウルフスブルクのVW(フォルクスワーゲン)本社から米国VW社の最高責任者として派遣された(カール・H)ハンは1年分の新聞・雑誌をめくって、気に入った広告をどんどん切り抜き、それらの広告をつくった広告代理店を秘書に調べさせ、DDB(ドイル・デーン・バーンバック)を見つけたのだそうです。
切り抜かれた広告の70%が、DDBによってつくられたものであったというわけです。
当時のDDBは、年間の扱い高2,000万ドル(72億円 当時の換算率による)ぐらいの中型代理店でした。


同じようなエピソードは、1963年にジャマイカ観光委員会がDDBにアカウント(広告の取り扱い口座)を開いたときのいきさつの中にもあります。
同国観光局の(ジョン)プリンゲル局長は、広告代理店を任命するにあたって彼自身のメガネにかなった広告を切り取り、それを制作代理店別に整理してみたといいます。
結果は、80%がDDBのものでした。
DDBが、VWの時の3倍の規模に成長していたからそれだけふえたわけです。


私自身のことでいいますと、『フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』(美術出版社刊)という本を書いていた1961年から62年にかけて、自分の参考資料をつくるために、アメリカの古雑誌を買い込み、目にとまった広告を切り取っていく過程で、DDBを発見しました。
DDBの広告のファイルだけが、どんどん厚くなってしまったのです。


それらのファイルを前にして、私は考えました。


(1)どうしてDDBがつくった広告が、私の注意をより多く引くのか? それは、私の興味に合っているという理由からなのか? あるいは、DDBがつくるほとんどの広告が常にレベル以上のものなのか?


(2)もし、DDBがつくる広告のほとんどがレベル以上のものだとすると、数百人の従業員を、どのように指導しているのか?


(3)DDBのやり方は、DDB独自のものなのか? あるいは米国には、ほかにもDDBのような代理店があるのか?


(4)DDBのやり方は、日本では通用しないのか? あるいは、やり方次第では、日本にDDBが生まれる可能性があるのか?


要約すれば、以上のような疑問を解決するために、私の取材が続いたといってもよいでしょう。