2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧
ジェリー・デラ・フェミナ氏『広告界の殺し屋』(西尾忠久/栗原純子訳 誠文堂新光社 1971.4.30)。今回は[第8章 頭痛と戦う三つの方法] ★ ★ ★ つい最近ジーン・ケイスと組んで自分たちの代理店を始めたばかりのヘルムート・クローンは、何年もの間DDBの代表…
1949年6月1日に、オーバックス(廉価主義の衣料品デパート)1社をクライアントとして創業したDDBが行った「クリエイティブ」革命は、コピー=アート・セッション(会談)でした。真意は、デラ・フェミナ氏が言っているように、〔絵付け師〕からアート…
[:W100]約4ヶ月ぶりの再顔見せです---マジソン街の戯画かわら板売り、ジェリー・デラ・フェミナ氏『広告界の殺し屋』(西尾忠久/栗原純子訳 誠文堂新光社 1971.4.30)。今回は[第8章 頭痛と戦う三つの方法] これまでにアップした章↓クリック 第7章 [「陽気…
【蛇足的なお問い合わせ】1963年6月15日---chuukyuu 33歳になったばかりのとき---に『フォルクスワーゲンの広告キャンペーン』(美術出版社)を処女上梓しました。 この本のユニークさをいち早く認めてくださった吉行淳之介さんが、当時、発行部数…
米国の広告業界週刊誌"Advertising Age"(略称『アド・エイジ』)が広告ベテラン97名に「この200年間でベストのキャンペーン」を推薦してもらった。 第1位はVWビートルの18年間におよぶ広告であった。 1点1点の出来ばえも大切だが、広告はキャ…
1949年にオペレイターも入れて10人ほどで創業したDDBの2番目にやってきたクライアント。 媒体は、ニューヨーク市の地下鉄 駅貼りと店頭ポスターのみ。 バーンバックさんの述懐。 この会社はリヴィ・ライブレッドというパン屋さんだったが、私ども…
ちょっと意地悪く、広告のタブー、表現のタブー、シチュエイシュンのタブーばかりを選んでみました、 日光愛好家たちのソニー 真っ青に晴れた日に、テレビを見ながら屋内にじっとしているのがお嫌いなら、私たちはあなたぴったりのセットをお届けしました。…
ハイウェイ 睡魔 それを覚ます方法 ハイウェイの最悪事態はなにも事件がおきないということ。クルマで走って走って、走り続けているうちに、放心状態に陥いっていく。なにも注意する必要がなさそうなのでつい気を許してしまう。 こんな----事故のない時こそ…
こんどの連休、どこでお過ごしに? 23,000人の方はここでお過ごしになるかも。この連休、くれぐれも安全運転を。 モービル あなたに生きていていただきたい。 Where are you spending the Holiday? 23,000 drivers and passengers will spend it here. Drive…
1966年5月に来日したバーンバックさんは、10日の日経ホールでのスピーチで、エイビス・レンタカーのキャンペーンの1コマをスライド映写し、次の解説を付した。 「自分自身に不利なこと、表面的にはマイナスになるように感じられることでも、それによって信憑…
エイビス・キャンペーンを記録的成功にみちびいたチームの一人---アートディレクターのヘルムート・クローン氏は、6年後の『DDB NEWS』1968年9月号の表紙で、もう一つの大成功キャンぺーン事例---VWビートルのそれと視覚面での差違をたった1枚の写…
11月20日(予定)の、東京コピーライタークラブでのスピーチの草稿データのつづきです。シーヴァスはこれでおしまい。明日はエイビス・レンタカー、つづいてモービルの安全運転キャンペーン。VWビートルはとうぜんとして、ベター・ヴィジョンを入れるか…
11月20日(金曜日)夕刻6時だか7時からだか、東京コピーライターズクラブで、[1960s〜70sのクリエイティブ革命はなんだったのか]とでも題したスピーチをする予定です。そのとき、ディスプレイに映す5つばかりのキャンペーンの画像を、試作していま…
東京コピーライターズクラブ訳/編『5人の広告作家』(誠文堂新光社 1966.3.25)からヤング&ルビカムの社長だったジョージ・グリビン氏のインタヴューの翻訳は、毎回記載したように、秦 順士さんをわずらわせました。そして、Y&R社の広告哲学の解説は、近…
"as" "like" 論争は、1950年代から、マジソン街をにぎわせていた、いつの世にもいる、制止的な原則論者と、浮動的な現実主義者の水かけ論でした。ニューヨークに滞在していて、コピーライターに会うと、さも天下の一大事のように、「どう思う?」と問い…
お読みになった方も多いとおもいますが、atsushi さんが米国(ニューヨーク)のコピーライターの「名誉の殿堂入り」調べて、10月11日のコメント欄にあげてくださったので、転載します。 バーネット氏の1961年が第1回となります。 The One Clubの "Creati…
このジョージ・グリビン氏のインタヴュー記事の解説ページを書いてくださったのは、当時(1966)に電通のコピー局長だった近藤 朔さんでした。その後、「コンちゃん」または「サクさん」はTCCの会長を引きうけられました。それから40年ちかくの歳月がたち…
梅田望夫さん『ウェブ進化論』(ちくま新書) 2006年2月10日に第1刷が発売されています。ぼくが持っているのはその初刷です。新聞広告を見た日に、水道橋ぎわにあった旭屋書店で求めました。翌日が静岡の[鬼平クラス]の講義日だったので、新幹線の往復で…
人には、だれだって、クセがあります。人に迷惑をおよぼさないクセ、嫌われるクセ。このブログに関してのぼくのクセの一つは、[・]でなく、でなければ、見た目に間が抜けて見えると信じていること。つまり、半角の中グロでなければ日本語として美しくない…
20代の中ごろでした。ジェームス・W・ヤング氏『アイデアの作り方』という濃いブルーの表紙のB6サイズの小冊子をリーダーズ・ダイジェスト社からいただきました。主題について思いついたことを5×3カードに書きとめ、それがアイデアに孵化するまでの経過…
5人のコピーライターは、ニューヨーク・ライターズ・アソシエイション(NYコピーライターズ協会)から「名誉の殿堂入り」の指名をうけた大物たちです。それぞれが何年に指名されたのか、また年に何人指名されるのかは調べていません。44年前、突然、5人…
きのう、上野壮夫・TCC初代会長が解説に引いていらっしゃったマーチン・メイヤー『これが広告だ』を捜しに資料庫へ入ったら、お目当ての本はなくて、クロード・ホプキンス『科学的広告法』(初版1923 再販1952 訳:坂本 登 誠文堂新光社 1966.10.5 580円) が見つ…
きのうまで、10回にわたってロッサー・リーブス氏のインタヴュー(訳・岡田 耕氏)をアップしました。あれが東京コピーライターズクラブの中の小グループの一つ---AWAの会の卓越した仕事であったことは、こうしてウェッブにあげてみるとよくわかります。…
atsushi さんに教えられた英文の Wikipedia によると、ロッサー・リーブス氏は55歳でテッド・ベイツ社を退(ひ)いたらしい。 http://en.wikipedia.org/wiki/Rosser_Reeveこんな記述が目にとまりました。「1960年代に、リーブスのテクニックは、失敗し始めた…
東京コピーライターズクラブ訳/編『5人の広告作家』(誠文堂新光社 1966.3.25)のうち、ジョージ・グリビン氏が残っています。訳者は秦 順士さん(電通・コピーライター)ということは覚えていました。ただ、AWAの会のメンバーではなかった。それで、あること…
資料庫に入りました。「ありました!」 ロッサー・リーブス著『宣伝術』(箕浦弘二訳 新潮社 1963.11.20 390円)原題 "Reality in Advertising 1961" 箕浦氏訳「宣伝広告の真相」。電通が社内資料として試訳したときは「広告における真実」。元原稿は1960年にテ…
ロッサー・リーブス氏『宣伝術』(新潮社)---書庫のどこかにしまいこんだか、多摩美大の図書館に寄贈したか、記憶がさだかでありません。静岡・SBS学苑での定例[鬼平クラス]での講義も昨日済ませたので、今日は書庫探しをしてみよう。どなたかが、「これでし…
旧知の小玉 武(元サントリー広報部長)さんから大著[『洋酒天国』とその時代](筑摩書房 2007.5.30 2400+税)をいただいた。第4刷(2008.4.20)だから、多くの人が読んでいることを想像、とりあえず---といっては小玉さんに失礼だけど、電話で「記述に遺…
リーブス氏のインタヴューは、7日か8日までつづく見込みです。 そのあと2日間ほど、東京コピーライターズクラブの初代会長・上野壮夫さんが筆をとられた、リーブス氏の広告論の解説を予定しています。上野元会長のお嬢さんの転載許可をいただきました。 …
ロッサー・リーブス氏=右端 『5人の広告作家』表紙カヴァー 装丁=坂野 豊 ★ ★ ★ 問 これらは、ほとんど無意識のテクニックであり、直感的なものとおっしゃるのですか? リーブス とんでもない。 さっき私はミスディレクショソの広告の例をいいました。 私は…