創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

01-22 クライアントをゴルフ場で拾わない

さて、全く新しいタイプの広告代理店をつくろうとしたバーンバック氏は、クライアントと自分たちの間に明確な線を引きます。
そのことを、次の言葉が示しています。
「クライアントが私たちに基本ルールを与えることを私たちは決して許しません。
それはクライアントのために悪いと私たちは思っています。
それはこういうことです。
私たちはけっして製品についてはクライアントとおなじには知ることができないと考えています。
なにしろ、クライアントは、製品と寝食をともにしているのです。
彼はそれをつくったのです。
生活の大部分をそれとともに過ごしているのです。
私たちはどうしたって、彼とおなじようにそれについて知ることはできないのです。
それとおなじことで、彼は広告については私たちとおなじように知ることはできないのだと私たちは確信しています。
なぜなら私たちはその中で一日中生活し、呼吸しているのです。
そして、私たちがそのおなじ製品をとり扱っているということと、それとは全然無関係なのです。
私たちは、彼のとは別の技術を必要とします。
クライアントはその製品をつくり、マーケットする技術を必要とします。
それを消費者に伝え、説得する技術が必要なのです。
それは二つの違ったものです。
まったく別なものです。
そして、すべてのことを数学的に(調査や指図によって)片づけようとすることの欠点は、だれもかれもがおなじやり方をしだすということです」(注:前出『5人の広告作家』)
当時の広告ビジネス界にとって、これは驚くべき独立宣言だったろうと推測できます。広告主にとって、広告代理店は、要するに代理人にすぎなかったのですから…。
ゲイジ氏の有名なセリフに、
「私たちは、クライアントをゴルフ場で拾うようなバカな真似はしない。
ゴルフ場で拾ったクライアントは、ゴルフ場で失う結果になるのがオチだ。彼らは、DDBの仕事を尊敬してきてくれている」
というのがあります。
これも、広告業界の常識からいえば、タフな発言ですが、アメリカの中にも、そうした代理店との関係を望む広告主はいるものと見えて、既成の人々の冷笑と軽蔑にもかかわらず、DDBは大きく成長していきました。