創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

01-21 原理をいうのは簡単だが…

私は、バーンバック氏と長い会話をかわしたこともなければ、氏の講演を聞いたこともありません。
十数回目のDDB訪問をしていたある日、全く予想外だったのですが、彼がフラリと部屋へはいってきたのです。
ただ、あいさつをしたかった、という理由だけで──。

彼は、はいってきた時から出て行くまで、柔和な微笑を切らしませんでした。
まるで、相手をくつろがせる人のいい老祭司…でした(もっとも、私はユダヤ教のラビ〔律法士〕を「祭司」と呼んでいいのかどうか、知りません)。
しかし、ビジネスマンと対している時のバーンバック氏は、人のいい老祭司ではないようです。逆立ち男の寓話に続いて、
「しかしその人がクライアントになってくれるときに、私はよく言うのです。
私がこうして原則の話をしただけで、あなたがうちの広告代理店をいいと思ってお使いになるのでしたら、それは間違いです。
なぜならば原則を言い、原理を言うことは非常に簡単です。しかしその原理を実際にどのように実施していくか。
どのようにそれを仕上げの面で実現していくかという能力は口で言っただけではわからないはずです。
この芸術的能力を仕上げに持ち込む。
フィルムや紙のうえに表現し、それによって人々を心から感動させ、人々に印象づけるということの証明を私はまだ何もしていない──と」(注:前出「日経広告手帖」
こう、聞き手の心にゆさぶりをかけます。
しかし、すでに本章の冒頭にあげたように、彼らは──たとえば、アメリVW社のハン支配人も、ジャマイカ観光局のプリンゲル局長も──自身でDDBを選んできているのだ
ら、バーンバック氏の、このゆさぶりにはもはや動じないでしょう。

DDBの発足の目的の一つは、因襲を破ること、そして、新しい、他と違ったことをやろうということだったと思うのですが、それに対する広告主側の反応は?」という質問に答えた、ロビンソン夫人の言葉がそれを裏づけます。
「未開の、しかも、だれもやったことのないやり方でしたからね。でも、私たちは、私たちがあるクライアントのためにやった仕事に刺激されてやってきた各クライアントのお陰で成長することができたのです」
確かに、そのとおりです。DDBの最初のクライアント、オーバックス百貨店の広告を見て、二番目のクライアント、リビー・パンは電話で「オーバックスの広告をつくっている代理店ですか?」といってきたといいます。
また、VWの広告に感激した(ジョン・F)ケネディ大統領は、次の大統領選挙の広告をDDBにやらせようと決心したといいます。