創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

01-16 広告は説得である

DDBに対する非難のほとんどは、バーンバック氏の信念である「広告とは、つまるところ説得である。そして、説得は科学ではなくてアートである」という一句に集中したといっていいでしょう。

なぜそれが非難されたかを説明する前に、バーンバック氏の主張を紹介しましょう。

彼はまず、広告というものがアメリカ大衆にどう受け取られているか、という事実をもとにして反省します。

「広告の知識とか、なにをいおうとするかということに関しては、ひとつの秩序があるように私は思います。
なにをいうかということがわかるのは後のことです。
広告において第一の、またもっとも大切なことは、オリジナルでフレッシュだということだと私は思います。

広告の85%は一べつだにされないということをあなたはご存じですか?
これは広告にたずさわる人びとに委託されてハーバード・ビジネス・スクールが集めた統計です。

そこで私たちは、大衆は広告をどう考えているかということを知りたいと思いました。
広告というものがアメリカの大衆に愛されているかどうかを知りたいと思いました。

私たちは、憎まれてもいなかったのです!
大衆は私たちを無視していたのです。」(注:前出『5人の広告作家』)

そして、大衆から無視されるために、莫大な時間と金を費やし、その浪費をまた、見事なアメリカ式の能率主義でやってのけている、と指摘します。

「そこで、私たちにとってもっとも大切なことは、フレッシュでオリジナルなことです。
こんにちの世界におけるあらゆるショッキング・ニューズ、あらゆる暴力に対抗できるようにすることです。
なぜなら、広告はそれだけのものをもっているからです」(同)

しかし、フレッシュで、オリジナルで、その結果、消費者を刺激し、彼らの足をとめさせ、目を引きつけさせ、耳を傾けさせるためには、次のことを知っておく必要がある、と強調します。

「広告というのは計画を持ってやれることでもなければ、科学でも機械工学でもありません。

それは芸術的能力なのです。

それはコピーライターとアーチストといったような創造力のある人たちの能力を合わせてつくるわけです。
たとえば、1ページの広告をやり、そこに人が泣いている顔を画いたとしても二種類の画き方があります。
片方はただ泣いている顔であり、もう一つの画き方は、その泣いている顔をみると読者が自分も泣き出したくなるといった、そういう感動を受けるようなやり方がすなわち芸術的能力なのです。

そしてそれは指先にあります。

またその能力は人間の血の中に流れているものです。

1プラス1は2であることは科学の世界ではいえます。

しかしコミュニケーションの世界、そして説得の必要な世界においては、一人の人間が何かやったとき何かを感動させるような形に持っていかなければなりません」(注:前出「日経広告手帖」)