創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

01-02ブリタニカの項目となった「DDB」

DDBといえば、日本では、広告界をはじめとして、各方面で知られています。

たとえば、東京新聞特報部記者の最首公司氏がお書きになった『脅威のユダヤ商法』(徳間書店刊)でそうとうなページ数を割かれているのはまあわかるとしても、落合三雄工学博士の『独創力開発のすすめ』(産業能率短期大学出版部刊)というような本の中にまで登場してくるようになったのですから。

日本では…といいましたが、米国でも例の有名な百科事典、エンサイクロピーディア・ブリタニカの1967年版にまで、DDBという項目が立ち、3ページにわたった解説が載っているのです。

ブリタニカの年度版にDDBの名が出たのは、これが最初ではなくって、3年前の1964年度版にも「政治広告」という項目の中で、DDBが制作した民主党全国委員会のキャンペーン(普通はジョンソン大統領キャンペーンと呼ばれている)のことが、詳しく記録されています。
しかし、67年度版では独自項目として扱われたわけですから、立派なものです。

ちょっと引用してみましょう。

バーンバック氏(注・DDBの会長)は、多数の同業社に比べて、人々から無視される度合いが少ない。彼の代理店は、広告業界で最も求められている会社であり、彼自身、この業界の流行をつくり出す主要人物である。
エンターテーンメント派のリーダーとして(そこには、そういうものにありがちな行儀の悪さはない)、彼は次のようなキャンペーンで新分野を開拓した」

としてVW(小さいことが理想)、エイビス・レンタカー(私たちはNo.2にすぎません)、リービィ・パン(リビーの純ユダヤライ麦パンを好きになるのに、ユダヤ人にならなきゃ…なんて法はありませんよ)、ローラ・スカダー・ポテトチップ(世界一、音のやかましいポテトチップ)などを例にあげています。

それぞれのキャンペーンについては、あとで紹介するとして、いま名前が出た、バーンバック会長に、とりあえず、焦点を絞りましょう。