創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

01-19 アナログ能力と創造性

ブルーナーといえば、教育界の人々にはよく知られている人です。
「左手のためのエッセー」という副題を持った著書『直観・創造・学習』(橋爪貞雄訳・黎明書房刊)があります。
そのの中で、創造というものを「効果的な驚き」を生じさせるような行為と定義したあとで、ポアンカレの直観に言及し、
「これだけではまだじゅうぶんでない。
われわれは、物理学者がすぐれた理論家と単なる形式論者すなわち数学屋とを区別するさい、『物理学的直観』ということばを使うのを耳にする。
思うに、どの経験分野でも創造的な科学者には、一種の『直観的な親近性』があり、これがどの組合わせに予見的効果がありそうか、どれが下らない組合わせかを見わける感覚を与えてくれるものではあるまいか」と書いています。
数学界も物理学会も広告界も、あげて直観礼賛ですが、湯川先生は、人間のアナログ(図形認識)能力と創造性について、あちこちで言及されています。
たとえば、『学習と研究』と題する講演で、
「近ごろ創造性ということが、だいぶ広く問題にされだし、その研究も盛んに行われだしたようです。
人間は、学問研究とか、芸術とか、いろいろな方面で創造性を発揮したいわけですが、なかなか発揮できません。
うまく発揮できる人がたまにいるわけですが、これはたいへんしあわせな、運のよい人であります。
ところで、この創造性ということは、先ほどのべました、図形認識の能力とか、人の声を聞きわける能力とか、学校で教わるのではない、ひとりでに身につく能力と、非常に関係が深いのではないかと思います。
電子計算機には、そういう能力はありません。
全然ないといったらいいすぎかもしれませんが、今まであります電子計算機はそういう働きをしないのです」(注:『創造的人間』筑摩書房刊)

要するに、創造的直観の論理構造と図形認識の論理構造とが非常に似ているのではないか、という大胆な示唆です。
これは興味のある暗示ですが、今ここでその解説をするよりも、後章の「DDBの環境」で、バーンバック氏の言葉と対応させながら紹介するほうがわかりやすいと思いますから、あと回しにしましょう。
とにかく、電子計算機にはできない直観的な発想こそ広告の生命である、と主張するバーンバック氏の考え方を、ここで再認識しておきましょう。

皮肉なことに、バーンバック氏が相手としなければならないのは、ビジネスマンです。
「しかし悲しいことだが、ビジネスマンにはその芸術的能力というのがなかなかわかってもらえないのです」(注:前出「日経広告手帖」)
「ビジネスマンというのは生来、日常の仕事で確実性を尊ぶ。その彼らに広告の不確実性を説き、それがビジネスの非常に重要な道具であることを説くことは非常にむずかしいことです」(同)
広告の持つ不確実性を、あたかも確実性を持っているかのごとくに話したがる広告人仲間を、バーンバック氏は「俗流科学主義者」と決めつけますが、彼自身は次のような寓話を用意して、ビジネスマンにわかってもらうことを試みます。