創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

01-11 DDBの家庭的な雰囲気

なぜ、ランド氏かゲイジ氏かに、これほどまでにこだわるかといいますと、企業の社風を決める重大な要素の一つに、上層部の人的構成があげられるからです。
普通、私たちは、「社風」とか「社格」とかといった言葉で企業文化を言い表しますが、心理学者の宮城音弥氏(東京工業大学・名誉教授)は、経営理念、経営政策といった会社の意志的な面を「社格」、生活態度、雰囲気といった会社の深層部分を「社風」と規定するように提案しておられます(注:「リクルート」69年2月号。座談会「企業文化の構造」)。
たとえば、社員の全体的な感じを、山田雄一氏(富士製鉄・教育課長)は、「理想に殉ずる」というタイプ、「義理に殉ずる」というタイプ、「利に殉ずる」というタイプの三つに分類されます。そして、それらのタイプは、歴史における決定の連鎖の中で生まれてくる、と仮定されます。
もちろん、選択・決定という行為は、影響力の強い人たち、つまり企業の上層部の人たちであることもありましょうが、その選択・決定をサポートする人たちがいなければ、社風という価値体系にまでならないでしょう。
ロイス氏は、DDBを評して、「DDBは、家庭主義的な雰囲気を持っているところでね、外部の者、新しくはいってくる者は、アウトサイダー視されるんですよ。中にいる人たちは、みんなしあわせで、そこにいることを誇りに思っていますがね。新入者には溶け込みにくい何かがあるんです」と私に打ち明けてくれたことがありました。
当時、すでにDDBには社風ができあがっていて、ロイス氏はその社風に合わなかった、といっていいでしょう。
「家庭主義的な雰囲気」というロイス氏の指摘を、ロビンソン夫人は「家庭的な雰囲気」という言い方で表現して、DDBにはそれが濃いと私に話してくれたことがありました。
DDBの「家庭的な雰囲気」とはどういうことを指しているのかについては後章で説明するとして、なぜそんな雰囲気ができたかをお話ししましょう。これは、DDBという広告代理店の本質に触れる問題です。
バーンバック氏は、全く新しいタイプの広告代理店を創業するために、ゲイジ氏を選んだ…と推測しました。
「全く新しいタイプの広告代理店」とは、なんであるかをお話ししなければなりませんが、その前に、シナイ山をくだったモーゼが語った訓戒の一節、
「汝(なんじ)その隣人(となり)に対して虚妄(いつわり)の証拠(あかし)をたつなかれ」
を思い出してほしいのです。バーンバック氏は、正直な広告をつくる広告代理店をつくりたかったのだと思います。
正直な広告をつくることが、どうして全く新しいタイプの代理店であるのか、と反問されますと、ちょっと返事に困るのですが、当時のアメリカの常識からいって、広告が常に真実を語っていたとは断言できないのです。
DDBの副社長の一人であるコップルマン氏(注:ハインツ食品とハンフリー大統領候補キャンペーン担当のAE)が話してくれたことですが、
バーンバック氏がこの代理店を始めた時、商品の内容と広告との一致、ということを基本的な哲学としていました。つまり、マジソン街というのはホラ吹きが多い、といった印象を一般に持たれていたのですが、バーンバック氏は、そうじゃなくて、商品の内容を広告が誠実に伝えるという態度をとったのです」
もちろん、コップルマン氏は創業当時からの人ではなく、ここ数年前に転社してきたばかりの人です。その彼が、こうはっきりといい切るということは、入社時に、DDBという会社のあり方についての説明がなされたとみるべきでしょう。そして、バーンバック氏の創業精神についても、その時に言及されたと想見していいでしょう。
ところで、なぜバーンバック氏は「虚妄(いつわり)の証拠(あかし)をたつなかれ」と考えたのでしょう?
宗教的なものが先にあったとしても、現代の経済活動を援助する説明がそれに付随しなければ、人に納得をさせることはできません。