創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(511)[頭痛と戦う三つの方法] by Mr. Della Femina(2)


1949年6月1日に、オーバックス(廉価主義の衣料品デパート)1社をクライアントとして創業したDDBが行った「クリエイティブ」革命は、コピー=アート・セッション(会談)でした。真意は、デラ・フェミナ氏が言っているように、〔絵付け師〕からアートディレクターへの昇格でした。1950年代に見学渡米した新井静一郎さん(電通)が持ち帰られたアートディレクター論がこれでした。横文字であったため、いかにも、広告制作の主役がアートディレクターであるかのように受け取られました。米国でも日本でも、広告で弱かったのはビジュアルでの訴求力でしたから、DDBの広告制作作法は、有効でした。
ただ、コピー=アート・セッションは、主題をいかに言うかのためのものです。その前に、何を言うかは、クライアント、アカウント部、調査部などが決めて渡さなければなりません。デラ・フェミナ氏のこの戯画エッセイでは、そこのところが混乱しています。小広告代理店のボスだったためでしょうか。


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体制派の代理店にメリー・ウェルズがやったラブ化粧品のようなコマーシャルをつくることができると思うか? 
とても聡明なコマーシャルだ。


パッケージもたいしたものだ。
若者はその瓶がすごく気に入ってローションがなくなってしまっても残しておく。


このキャンペーンは若者が話しかけられたいと望んでいる方法で若者に話しかけている。
この広告やコマーシャルに出演した若者たちはヒッピー・スタイルをしている。
あるコマーシャルでは男性のほうが共演の女性よりも長い髪をしていた。
彼の髪は長くてすばらしいので、女性よりも彼のほうにみとれてしまうほどだ。彼らはラブ意識が強く、ラブ中心である。


ラブ化粧品は気違いのように売れており、需要の速さに供給が追いついていかないほどだ。
もちろんこれも一年目だからの現象だろう。
化粧品業界はものすごいジャングルだ。
しかるにラブが売れているということは、すぐれた広告を出しているということだ。
販売を中止するかもしれないといううわさは商品が足りないからだ。
目下この化粧品は売れており、立派な商売をやっている。


【参照】[メリー・ウェルズ物語
キャロル・アン・ファイン(ウェルズ・リッチ・グリーン社コピースーパバイザー)インタビュー
・・・ラブのコマーシャルについて触れています。


米国の実業界では、こういった若者が経営の分野でも独特のやり方で活躍し始めている。
マーケティングやセールスの分野でも、プロモーションの分野でも経営面でもそうだ。
そして多くの場合、彼らが流行を牛耳っているのだ。
60代の中ばを過ぎ、大道をふみはずすことなく引退しようと考えている眠気を催すような会社の社長は、広告の扱いを私のような代理店にはまかせない。
かれこれ50年間もともに過ごしてきた体制派代理店に広告の扱いを預け続けるだろう。
ダーシー代理店と長年親交を保ってきた75歳の会長も、代理店を変えようとはしないだろう。


だが次の世代は私たちのものである。
私たちが所有するはずである。
次の世代は私たちに属している。
彼らは私たちのものである。


クリエイティブな代理店と保守的な代理店では、広告やコマーシャルのつくり方も違う。
ビル・バーンバックDDB会長)以前は、古い代理店は流作業で広告をつくっていた。
今でも体制派代理店のほとんどがこの方法でやっている。
流れ作業ではまず初めにコピーライターが30〜40、時には50以上ものヘッドラインを書く。
ひとつのテーマにである。
アスピリンはこれをします」
アスピリンはあれをします」
アスピリンはあなたのものです」
アスピリンはあなたの友です」
アスピリンはあなたが好きです」
といったようなのを文字どおり何ダースもつくるのだ。
次にコピーライターはそのヘッドラインをコピー・チーフのところへ持って行く、するとコピー・チーフは見比べた上でこう言う。
「よし、37番がなんとかまとまりそうだ。43番もこの言葉さえ変えればいけそうだ」


ロッサー・リーブスがテッドー・ペイツ社を経営していた頃、各ライターは黄色い紙(リーガル・パッド。法律用箋と訳されている横罫の便箋)にヘッドラインをタイプし、長い壁にみんなのを貼る。
するとロッサー・リーブスが閲兵式の将軍よろしくやってくる。
いつも赤い鉛筆をたずさえていて、壁の黄色い紙を見て言うのだった。
「よし、あれだ。あれをやってみてくれ。いけそうだ」


ある男が「頭痛と戦う三つの方法」というヘッドラインを出していると、リーブスは言うのだ。
「あれも悪くない、悪くない。あれもやってみてくれ」
計算してみるがいい、彼の下には15人のコピーライターが働いていた。
その彼らが各自50点ずつのヘッドラインを考えてきているのだ。
つまり600点も目を通さなければならないわけだ。
600点のヘッドラインの中からり1プラス4〜5点選び出し、その中の一つをきっかけとしてコンセプトを考え出すという仕掛けだ。
これがリーブスのやり方だった。


他の代理店ではコピーライターが気違いのようにタイプをうち、コピー・チーフのところへ駆け込む。するとコピー・チーフが言うのだ。
「これがいいな、やってみてくれ」
コピーライターとコピー・スーパバイザー間の行ったりきたりがすむとアートディレクターヘまわされる。体制派代理店にとって、アートディレクターは描く人だ。
「彼は絵つけ師です」
そこでコピーライターは「頭痛と戦う三つの方法」という見出しを持ってこの絵つけ師のところへ行く。
たぶんコピーライターはどんな広告にしたいかを示したなぐり書きの小さな絵を持っているだろう。
さてアートディレクターだが、彼は机にくさりで縛りつけられているようなものだ。
大代理店はアートディレクターが廊下をうろつきまわることを好まない。
だから彼はそんなに動きまわれない。
たいていが40〜50歳の間だが、若くても心は50歳に近い。
自分の職分を守って坐っていると、コピーライターがやってきて言う。
「ほら、これがオレたちのやったやつだ。『頭痛と戦う三つの方法』でいきたいんだ。大きな錠剤をみせたらいいとおもうんだ」
アートディレクターは言う。
「いいじやないか」
コピーライターが言う。「クリエイティブ・ディレクターに見せるから、今日の昼までにレイアウトがほしいんだ」
アートディレクターは、
「いいとも」
とまとめあげる。
そして、お昼までにはクリェイティブ・ディレクターの手に渡っているという寸法だ。
アートディレクターとコピーライターの間には、関係らしい関係はほとんどない。
お互いをほとんど知らない。
クリスマス・パーティーで1年に1回会うとコピーライターが絵つけ師に向かって言うのだ。
「やあ、元気かい? 今年はいっしょにいい仕事をやったもんだな」
だが彼らはほとんどいっしょに仕事をすることなどなく、お互いに顔を合わせることもないのだ。
2人の人間が同じ問題で働いているとはとても言えたものではない。


バーンバックがやったのは、アートディレクターとコピーライターを一室に入れて化学作用が働くのを待つという方法であった。
彼は人間と人間の心といったものを非常に尊重している。
彼には、2人の聡明な男たちを同じ問題についていっしょに坐らせて考えさせたほうがずっとやりやすいという考えがあるのだと思う。
ロンと私がいっしょに仕事をやっていて、2人ともやる気になり、本当にいいなと思う時にはドアはロックされている。
他に誰もいない。
部屋はまったく異なった場所になっている。
化学作用が起き、突然2人とも同じように考えだすのた。
私か働いたことのあるアートディレクターすべてと、私か何か言い始めると、アートディレタターがその文を完了させてしまう。
私が「こう言ったらどうだろう。『あなたのもっとも醜い……』」
と言い始めるともう一人は、
「わかった、わかった!」
と言い、それ以上何も言う必要がない。


クライアントはこの作用のことを知る必要もない。
その部屋から何か出てくるかだけ考えていればよいのだ。
ほとんどの広告主は、たしかに、中で何ごとか魔法じみたことが起こっていると考えている。
クリエイティブと呼ばれるからには神の国からの特別の光線にでも触れられるのに
違いない、クリェイティブ・マンには他の人にはできないことでもできると考えている。ナンセンスだ。
今日の大代理店はクリェイティブ・マンの神秘性……たいしたいかさま神秘だ……を買おうとしている。


彼らはこの神秘性を買い、そのために大金を投げ出しながらその扱い方を心得ていないのだ。
ある代理店で優秀だった男を雇っておきながら、自分の代理店で飲んだくれ野郎につぶしてしまうとは何事だ。
それはクリエイティブな広告というものを神秘とでも考えているからだ。
手品か何かのように思っているからだ。 


それがどんなものであるか誰も知らない。
何であるか誰も知らない。
そのフィーリングを知る者はいない。
この興奮を味わったのはアートディレクターとコピーライターしかいない。
だからこそ広告主が時どき「こんなヘッドラインはどうか……」と言って広告をつくろうとする時でも、広告をつくり出す瞬間のフィーリング、そのフィーリングに達するとはどういうことか、全然知らないのだ。私が何か言うと、ロンは「本気か? そんなふうには言えないよ」というかもしれない。
そしてこう言い足す。
「だがこういうふうにやったらどうかな?」
彼は完全に今まで耳にしたことのないようなのを思いつく。
だが、それでもほんのIヶ所、
「こんなふうにやっちゃだめだ。ここはこうやったらどうだ……?」
という点があるかもしれないのだ。
このプロセス全体を始動させるために、アートディレクターとコピーフイターはいろんな人に耳を貸す。
アカウントを獲得すると多くの無駄話を通り抜けねばならない。
リサーチ、マ−ケテイング、アカウント・エグゼクティブ、代理店社長、広告主の広告部長などすべての人が同様のことをする。
その問題に関して誰もが何か言いたいことを持っているのだ。
アカウソト・エグゼクティブもすぐれた人なら役に立つ。
あなたが重要なことを忘れるかもしれないからだ。
こういう場合もあり得る。
「君はこのことに気づいているかな……?」
彼がコンセプトを考えついてくれるかもしれない。
彼は3人目の男なのだ。
リサーチ・マンも何度も役立つことだろう。
彼は言う。
「テストによると10人中9人はこの商品を飲まないというぜ。ひどい味なんだ」
解決策は与えてくれないが、問題のもうひとつの面をみせてくれる。
話しかけてくるアカウント・マン、リサーチ・マン、さらには、
「わが社の問題はですね、工場がバッケンサックにあるというので大衆が偏見を持っていて、商品を買ってくれないということなんです」
と言ってくる広告主もいるのだ。


それぞれが問題に関係している。
誰もに耳を貸した後、広告主のことも知らなければならない。
商品がつくられるところを見る工場見学、販売部長の話を聞くための旅行、セールスマンの話を聞くための旅行、ルート・セールスマンとともに路上に出る。
あるいは販売店を訪ねて、その商品をどう思うか聞かなければならない。
世界で最も集中的な教育計画だ。
私はこれまで手がけてきたすべての商売の専門家みたいなものだ。
あなたがどうしても聞きたいというのなら、ポリェステルのつくり方だって説明できる。
石油が繊維になる過程だって説明できる。
私は必要以上に女性衛生用品ビジネスのことも知っている。
 普通コピーライターやアートディレクターは決して学ぶことをやめない。
扱う製品に関して豊富な知識を持だなければならないので、セールスマンとなってその製品をプッシュすることもできる。
こんなことをして何をしようとしているかといえば、その会社の問題をえぐり出そうとしているのである。
すべてのことがうまく進行するまで、広告主がその広告を代理店にまかせてしまったとは言えないのだから。
問題を結晶し、到達することができれば、仕事ほとんど終わったも同然だ。
問題を解くことなどなんでもないことだ。
頭痛のタネは問題が何であるかを見極めることだ。


次に自分の部屋へ入って行く。
ロンと私が仕事を始める時は自問する。
「みんなを困らせているのは何だろう?」
何だろう? 
問題をはっきりさせる。
ほとんどのコピーライターとアートディレクターはドアを閉じてしまい、何時間も---時には何日も---商品のことは口に出さない。
酒の話をする。
セックスの話をする。
映画の話をすることもある。
時には2人の関係が敵意に満ちたものになることがある。
コピーライターとアートディレクターが2目も3日もお互いをののしりあっているような代理店にいたことがある。
片方が言う。
「畜生いったいどこへ行ってたんだ? お前がわからねえよ」 
するともう一方が言う。
「おれはかくれてなんぞいないぜ。ここにいるじやないか。お前は仕事をしたくないんだろう」


あるアートディレクターといっしょに仕事をしたことがあるが、彼の得技は1日8時間も叫んだり、ののしったりすることだった。
時にはコトをもっと興奮したものにしようと家具をつぶしてしまうことさえあった。
いつなんどき何か起こるかわかったものではない。
この男といっしょに仕事をするのは楽しくて仕方がなかった。


ある男はこんなことを言った。
「ゆうべ映画に行ったかい?」
「ああ、ゆうべ見たことを話してやろうか?」 
この男は見た映画のことを何時間も話したものだ。
やはりいっしょに仕事をしたことのあるアートディレクターだが、彼は自分の家のことばかり話したの家のことばかり話した……抵当権、白アリ、おいしば……など、ジャージにある彼の下品な家のことばかりだった。
ある意味では、これは2人によるグループ治療だ。
非常に速いスピードであっちへいったり、こっちへいったりするので誰が何を言ったのかはっきりしい。
ロンと私かDKG代理店で働いていた時、私たちはタロン・ジッパーの広告をつくった。
漫画の「ピーナッツ」がピッチャース・マウンドに、社会の窓を開けて登板するというやつだ。
この広告のアイデアをとっちが出したかと今日まで争っている。
私は私がそのアイデアを思いついたのだと言い、彼は彼だと言う。
そして私たちは2人ともまじめなのだ。
2人ともこのアイデアは自分が思いついたのだと思っている。
あっちへいったり、こっちへいったりの話の間にまとまったことは誰が思いついたのか誰にもはっきりしないものだ。


「これからって時に、タイムを要求するなんて---いったい何しにくるんだろう。
どうせ、〔代われよ〕ってなことを言うんだろう」


「ボクの速球の切れが落ちているとかいってボクを驚かす気なんだろう。
とにかく、ボクをガタガタにするようなことを言いくるんだ」


社会の窓が開いてるぜ」


タロンは、あらゆる年代の野球好きの人のためのナイロン・ジッパーをつくっています。絶対に下がらないジッパーです。


テレビ・コマーシャルの仕事の場合にも同じようなことが言える。
片方が言う。
「これで始めて、次にクローズ・アップでいつったらどうだ?」
するともう一方が言う。
「クローズ・アップはなしだ。アスピリンのビンをひいて撮ろう」
ハチ当りな言葉、ののしりあい、叫びあい、不様な振舞い、酒を飲む、それをすべて小さな気狂いじみた部屋の中で一時に行なうのだ。
とてもエキサイティングな過程だ。
私に言わせればこれこそ広告だ。
この小さな部屋からすべてが始まるのだから、コンセプトを得たら写真をとり、活字を組み、製版し、アイデアが効果的かどうか調査し、適正な媒体を選ぶ。
だがすべてがこの小さな部屋で起こることにかかっているのだ。
この小さな部屋で何も起こらなかったら、調査の必要などない。
腕のたつ媒体購入担当者がいても、この部屋からつまらないアイデアが出てきたのではどうすることもできない。
広告にミケランジェロの活字を使うことはできても、化学作用がまったくなかったらなんの役にも立ちはしない。
広告界ではコピーライターとアートディレクターのチームをいかにうまくつくるかということ
が大問題である。
化学作用にしろ結婚式にしろ、簡単なことではない。
普通タレントの取り組みを決めるのはクリェイティブ・ディレクターの仕事だ。
つい最近シーン・ケイスと組んで自分たちの代理店を始めたばかりのヘルムート・クローンは、何年もの間DDBの代表的アートディレクターだった。
だが彼は恐れられていた。
すごく腕のたつコピーライターの中にはクローンと例の部屋に入って、つぶされてしまった者もいる。


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明日に、つづく。