創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(501)ライターは安易に妥協しては駄目 ジョージ・グリビン(了)


東京コピーライターズクラブ訳/編『5人の広告作家』(誠文堂新光社 1966.3.25)からヤング&ルビカムの社長だったジョージ・グリビン氏のインタヴューの翻訳は、毎回記載したように、秦 順士さんをわずらわせました。そして、Y&R社の広告哲学の解説は、近藤 朔さんにお願いしました。「サクさんが」が何かというと自慢していらっしゃったお嬢さんの緋沙子さんに転載許可のハガキを4,5日前に出しました(電話番号をしらなかったので---)。 番地を書き違えたか、依頼文が意をつくしていなかったか、日本郵政の怠慢か、近藤さんが海外出張中なのか、昨日の郵便配達時まで宛名誤記の返送もありませんでした。このインタヴューは、ネット上に記録を残しておくため、ほかの人の例のように日をおいて連結アップする予定です。「こんちゃん」らしい解説文の転載は、そのときまでに、再度、要請してみるつもりです。


       ★     ★     ★



 「クリエイティビティ」ということばを使うことについて、グリビンさん。広告の仕事に応用なさるときには、定義をおもちですか? 
         ¨
グリビン 私はクリエイティブということばを使わないようにしています。
「クリエイティブ」マンとはいわずに、アート・マソ、コピー・マン、テレビ・コマーシャル・マンなどというのです。
「クリエイティブ」ということばは代理業の隅まで行きわたっている、と私は何度も壇上からいっています。
たとえば媒体や連絡の仕事をしていても、コピーやアートとおなじようにクリエイティブでありうるのです。


 書きやすいものと、書きにくいものがあるとお考えですか?


グリビン ええ、もちろんです。
たとえば電気器具のほうが、特許売薬より書きやすいですね。

高価な電気器具を買うときが迫っている見込み客は、150〜200ドルをどう使ったらいいかということにたいそう関心があり、製品についてあらゆることを知ろうとします。頭痛の療法のことを知ろうとは、だれも思いません。

こんな製品を売るときには、かなりの程度に想像力を働かさなければいけません。


 お好きな製品について、お気に入りの業種がおありですか?


グリビン ええ、保険のコピーを書くのが好きです。
しかし一般に、あらゆる種類の製品を書くことを楽しんできました。
いろいろな方法で才能を発揮できるからです。

広告の仕事で最大の喜びのひとつは、すくなくとも大きな代理業では、いろいろな製品や問題に向かうことができるということです。

そして、ひとつの製品から他の製品へ飛躍しなければならないということは、幸せな環境です。


 特定の製品分野に経験があるライターを求める広告をごらんになったことがあると思います。
このような専門化については、どうお考えですか?


グリビン そうですね、テレビが現われてまもないころ、テレビ・ライターはごく少なかったときに、私はテレビ・コマーシャル部のヘッドにされました。
ですから私は、特定の媒体、あるいは広告の仕事の特定の層に経験をもつという背景が必要だと思うものではありません。
いちども自動車の広告を書いたことがない人が立派な自動車の広告を書ける、と思うのです。

 書いている製品を知っているとしたら。


グリビン そうです、まったくいい広告が書けるでしょうね。
しかし他の製品についてもおなじですよ。
絵画的な想像力というものをもっているため、動いている人を簡単には視覚化できない人よりも、テレビ・ライターに向いている人がいるとは思います。

けっきょくのところ、立派な戯曲をつくれるアーサー・ミラーのような人たちもいるし、ひじょうにすぐれた小説家で
たとえばトマス・ウルフのように戯曲は書けない人もいる、ということです。

才能というものがありますから、まだ試みたことがない人に才能がないと仮定することはできないと思います。


 グリビンさん、ライターとして広告界にはいりたいというお子さんがいらしたら、なんとおっしやいますか?


グリビン 文才があると仮定してですね。
そうですね、広告のコピーを書くことより楽しい時間が長い職業は、今日では比較的少ない、といってやりますよ。


 さきほどの質問にもどって、グリビンさん。すぐれたコピーをつくる人たちに、なにか特定の特徴を認められたかどうか、とおたずねしましたね。
きまり文句を避けることだとおっしゃいましたが……


グリビン それから、いろいろな本を読むことですね。
いろいろな生活にふれるべき
だと思います。いろいろなことをするべきだと思います。
家にじっとしているよりも、旅行するほうがいいと思います。
慣習に従うよりも、かなりの程度に破る傾向があると思います。
彼らに知恵があるかどうか、自分のものだときめたあとで慣習に従わせることです。
彼らが特定の大学にいくとしてもたとえばエールにいくとして、エール生に特別なものがあるとは思いません。
ことしは3つボタンで襟がギザギザのジャケットを着るほうがいいとしても、3つボタンで襟がギザギザのジャケットを私に着せるとは思いません。

ことし人気のある場所が、ウェスト・ハンプトンだとしたら、ニュー・ジャージーのラザーフォードにもいくべきだと思います。

教育とは自分のため、自分にとって大切な人たちのために自分でものごとを判断することを教えるべきだと思います。

ここできまり文句に頼らなければなりません。

ライターは陳腐なことをペストのように避けなければいけないと思います。

承諾者ではなく質問者になるほうがいいと思います。

すぐれたライターは俗物であるはずはありません。

俗物では人びとのなかにはいっていくどころか、人びとから遊離してしまいます。

それではライターにとって自殺行為です。

ライターは皮肉屋ではなく、陽気になるべきだと思います。

楽天家になるべきだと思います。

とにかく、人生を排斥することはライターにとってよくないといっているわけで、皮肉屋とは人生を排斥する人のことです。

参加せよ、参加せよ、参加せよ、と私はいいます。 (訳・秦 順士




       ★     ★     ★

      

『5人の広告作家』の原文をテキストに勉強会をしていたTCCの若手---AWAの会の人びと。

AWAの会のメンバー(当時) 50音順・敬称略)
赤井恒和、秋山晶、秋山好朗、朝倉勇、糸田時夫、岡田耕、柿沼利招、梶原正弘、金内一郎、木本和秀、国枝卓、久保丹、栗田晃、小池一子、小島厚生、清水啓一郎、鈴木康行、田中亨、中島啓雄、西部山敏子、浜本正信、星谷明、八木一郎、吉山晴康、渡辺蔚。(その他の協力者)菊川淳子、高見俊一、滝川嘉子、秦順士



示唆土屋耕一君の[東京コピーライターズクラブ設立への道]←クリック

5人の広告作家』より


バーンバック氏 広告の創り方を語るクリック


インタヴューの末尾につけた解説
バーンバックさんとDDB 西尾 忠久

5人の広告作家』より


ダヴィッド・オグルビー氏のインタビュークリック


>>調査から導き出されたコピーライター、アートディレクター、TVプロデューサーのための97の心得