創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(494)ライターは安易に妥協しては駄目 ジョージ・グリビン(1)

5人のコピーライターは、ニューヨーク・ライターズ・アソシエイション(NYコピーライターズ協会)から「名誉の殿堂入り」の指名をうけた大物たちです。それぞれが何年に指名されたのか、また年に何人指名されるのかは調べていません。44年前、突然、5人が週刊『アドバータイジング・エイジ』誌に登場したのです。1965.3.15号がD.オグルビー氏、つづいてG.グリビン氏(3.22号)、W.バーンバック氏(4.5号)、L.バーネット氏(4.12号)、R.リーブス氏(4.19号)の順でした。順序は、大物たちのスケジュールによっただけだと推定しています。
問題は、当時、TCCもぼくもNYWAにコンタクトをとらなかったことです。年鑑も展示会もなかったようにおもいます。その後、ニューヨーク・アートディレクターズ・クラブの恒例の展示会に相乗りして「ワン・ショー」と称したのはNYWAだったのかどうかも確認していません。米国の動向のウォッチングを、ある事情からやめたので。



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マジソン・アベニュー285にあるジョージ・グリビンのオフィスは、落ちついた茶色と赤で統一されている。
備品は英国の田園風と米国の植民地風が趣味よく調和されたもので、彼の大家族の彫像や写真が明るさをそえている。
オフィスは6階の隅にあるので、皮ばりのウィング・チェアに腰かけ足を組んで話す彼のことばを聞きとるためには、耳をすまさなければならない。
すぐ下のマジソン・アベニューから、タクシーの警笛、叫び声、トラックやバスの排気音などがきこえてくるからだ。






 グリビンさん、あなたがコピーライターになられたきっかけは?


グリビン 私はウィスコンシン大学でジャーナリズム科にいました。
かなりできのいい学生でした。

2年生のときジャーナリストになる決心をして、そのためには、もっと英語の勉強をしたほうがいいと思って、スタンフォードにいって英語の文学士になりました。
新聞社で引っ張りだこになるだろうと思ってデトロイトにもどってきたのですが、とんでもない……。

             
 それで、どうなさいました?


グリビン 広告というビジネスのことは、まるで知らなかったものですから、広告を書いて、それで収入を得るなどという仕事についている人たちがいるとは思いませんでした。


しかし、友人のひとりが広告を書くようにすすめたので、職をさがしはじめたわけです。
デトロイトの代理業をいくつかたずねました……キャンベル=エワルド にもいったはずです……でも、どこでも門前払いをくいました。


しかし、J・L・ハドソンにいって……とても大きなデパートです……世界最大のデパートのひとつです……そこで、やっと仕事にありついたのです。
というのは、その当時は、大学をでてデパートを志望する人は、たいしていなかったからです。
おまけに私は、たまたま、成績優秀な学生のクラブ……ファイ・ベータ・カッパの一員でした。


 みんな驚いたでしょうね?


グリビン ええ。
とにかく十分に教育を受けていると思われたものですから、やっとそこで仕事にありついたわけです。
でも、しばらくのあいだ私は、フラーのブラシを売ることになると思っていました。


 新聞の仕事につける日までのまに合わせに、その仕事につかれたわけですか?


グリビン そう思っていたでしょうね。
意識してはいなかったにしても、広告人よりは新聞人になりたいのではないか、と長いあいだ考えこんでいたと思います。


 消極的ですね、すこし。
なぜ新聞人になりたいと思われたのですか? 
お父さまのお仕事が新聞関係だったわけですか?


グリビン どんな子どもでも、なにかで頭角をあらわしたいという大きな望みをもっています。
私は運動神経が鈍かったものですから、ブット・ボールとか、野球とか、バスケット・ボールとか……高校生がうまくなりたいと思うようなものは、からきしだめでした。
だから普通以上に本にひきつけられたのです。
たくさん読みましたよ。
だから書くことがうまくなったのだと思います。
読まなかったら、そうはいかなかったでしょうね。


地方のエッセイ・コンテストで2回優勝したものですから、かなり文才があるという妄想にとりつかれてしまって……。
でも、過大評価だったと思います。


 とにかく広告にはいられて、コピーライターとして大成功された。
それでこんな質問をするわけですが、コピーライターとして成功するためにいちばんいいのは、どんな種類の訓練だとお考えですか?


グリビン 初歩のコピーライターのことですか?


 いいえ。コピーライター全般についてです。


グリビン そうですね、その質問に直接お答えすることにはならないかもしれませんが、以前Y&Rのライター採用に立会っていたころ(いまでは私はタッチせず、コピー部にまかせていますが)、ライターとビジネスマンのどちらかを選ばなければならないとしたら、ライターのほうを選ぶべきだと、私はいつも感じていました。


コピーライターはビジネスマンでなければいけません。
ライターがすぐれたビジネスマンになることはできると思いますが、ビジネスマンがライターになれるとは私は思いません。
こんな偏見をもっているというのも、自分をふりかえってみて、私がそうだったと断言できるからです。


ところで、資格についていえば、ライターは一般に青年として生きることに安易な「妥協」はしないほうがいいと思います。


 とおっしやると? もっとくわしく説明していただけますか?(訳・秦 順士


明日に、つづく。



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『5人の広告作家』の原文をテキストに勉強会をしていたTCCの若手---AWAの会の人びと。

AWAの会のメンバー(当時) 50音順・敬称略)
赤井恒和、秋山晶、秋山好朗、朝倉勇、糸田時夫、岡田耕、柿沼利招、梶原正弘、金内一郎、木本和秀、国枝卓、久保丹、栗田晃、小池一子、小島厚生、清水啓一郎、鈴木康行、田中亨、中島啓雄、西部山敏子、浜本正信、星谷明、八木一郎、吉山晴康、渡辺蔚。(その他の協力者)菊川淳子、高見俊一、滝川嘉子、秦順士


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5人の広告作家』より


バーンバック氏 広告の創り方を語るクリック


インタヴューの末尾につけた解説
バーンバックさんとDDB 西尾 忠久

5人の広告作家』より


ダヴィッド・オグルビー氏のインタビュークリック


>>『調査から導き出されたコピーライター、アートディレクター、TVプロデューサーのための97の心得』