創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(492)リーブスとUSP(上) 上野壮夫


きのうまで、10回にわたってロッサー・リーブス氏のインタヴュー(訳・岡田 耕氏)をアップしました。あれが東京コピーライターズクラブの中の小グループの一つ---AWAの会の卓越した仕事であったことは、こうしてウェッブにあげてみるとよくわかります。ほんとうは、このシリーズはTCCのブログかホームページにあげるべきものだったかもしれません。でしゃばったことをしています。


上野壮夫さんは、[コピー十日会]のときからコピーライターの重鎮---初代会長で、作家でもありました。内には若々しい感覚、激しい闘志をお持ちなのに、表面はおだやかに、若いぼくたちが脱線しないようにだけ気をつけていてくださいました。


この解説文も、若い会のためならと筆をとり、錦上華を添えてくださったのです。花王の仕事をさっていましたから、ロッサー・リーブスに自分をかぶせながらお書きくださったように思いいたりました。転載の許可は、お嬢さんのかおるこさんからいただきました。


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ロッサー・リーブスは、1911年、ヴァージニア州ダンビルの生まれで、牧師の息子である。
ヴァージニア大学に学び、19歳のとき、「リッチモンド・タイムス・ディスパッチ」の記者になったが、まもなく同市の銀行の広告マネージャーに転じ、広告コピーに興味をもつようになって、34年、ニューヨークに出て、コピーの仕事に入った。


デッド・ベイツ社に入ったのが1940年、それまでに3〜4の代理店(その中には、ベントン&ボウルズ社も入っている)で、コピーライター、コピー主任などをつとめた。
デッド・ベイツ社では、'40年代の終わりごろからコピー・チーフ、副社長を6年間兼任したのち、'55年、取締役会長となり、現在(注:1966年)に及んでいる。


かれの著書 "Reality in Advertising”(邦題「宣伝術」箕浦弘二訳)は、1961年に出版され、アメリカの公式ベストセラー・リストによると、ノン・フィクション部門で1年間上位を占め、たいへん評判になったものだが、この書には、良かれあしかれ、リーブスとデッド・ベイツ社の広告制作哲学があますところなく語られている。


ところで、デッド・ベーツ社についていえば、'65年に創立25周年を迎えたばかりで、比較的新しい広告代理店であるが、アメリカでのランキングはBBDOについで第5位('62年)、扱い嵩166,200,000ドルで、「広告産業において、デッド・ベイツの財政的敏腕に対抗できる組識はほとんどない」(ステファン・べイ力ー)といわれるくらい繁昌している代理店である。


同社が扱っている商品は、コルゲート歯磨、パーモリブ石鹸、洗剤ファブ、フィルター付たばこバイスロイ、食品のワンダー・ブレッド、便秘薬リトル・リバー・ピルスなど、典型的な消費材で、90%が食品・薬品・石鹸などであり、クライアントは総広告費の順位('63年)でも、コルゲート・パーモリブ社(8位)、アメリカン・ホーム・プロダクト社(9位)、アメリカ煙草会社(14位)、など、有数の広告主が多い。


社長のデッド・ベイツは、やはりコピーライターであり、「アカウント関係の仕事や、公けの席でしやべったりすることよりも、コピーを書く方が好きだし、得手のようだ」と、"MADISON AVENUE U.S.A." (邦題『これが広告だ』)の著者がいっているようにライターとしてのキヤリアは長く、すぐれた業績をのこしている。


【chuukyuuのつぶやき】マーチン・メイヤー『これが広告だ』(電通・訳?)も、ごごにでも資料庫に行って探してみます。


コルゲート歯磨が日本上陸作戦に際して使ったキャッチ・フレーズ、「歯といっしょに、息もきれいにする」は、30年も以前に、デッド・ベイツが生みだしたものである。
リーブスは、「ベイツはまれにみる人材だ。迷いを知らぬ人だ。一度ベイツを知った広告主は、彼から離れられなくなる。ワンダー・ブレッドなどは、30年もひきつづき、ベイツの世話になっている」と、ベイツをほめちぎっているが、おなじ意味のことは、リーブスその人にもいえそうである。
つまり、理論家であり、迷いを知らぬ情熱家であり、調査と製品の分析を重視する実行家である、という点で---。
デッド・ベイツ社の広告哲学を端的に表現するものとしては、リーブスが "Reality in Advertising”の中でくりかえしいっている<USP理論>がある。


〈<USP理論>は、1940年代の初期にデッド・ベーツ社がつくりだしたもので、広告についてのこの考え方は、「同代理店の取扱い高を、当時の4,000,000ドルから、一挙に150,000,000ドルまでに引きあげたばかりでなく、その間一つのクライアントも失うことなく、おまけに広告主に劇的な、時には空前絶後の売上げさえももたらした」とりリーブスはいっているが、これは、「デッド・ベイツは長年にわたって成功話の記録をつみあげてきた」と、S・ベイカーが指摘しているように、事実である。


 <USP>とは、Unique Selling Proposition の頭文字をとったものであるが、それについては、へたな解説をつけるより、かれ自身に語らせたほうがしいだろう。いうまでもなく、この理論はリーブスがつくったものだからだ。


かれはその著書の中で、つぎのようにいっている。


明日に、つづく。


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『5人の広告作家』の原文をテキストに勉強会をしていたTCCのの若手---AWAの会の人びと。

AWAの会のメンバー(当時) 50音順・敬称略)
赤井恒和、秋山晶、秋山好朗、朝倉勇、糸田時夫、岡田耕、柿沼利招、梶原正弘、金内一郎、木本和秀、国枝卓、久保丹、栗田晃、小池一子、小島厚生、清水啓一郎、鈴木康行、田中亨、中島啓雄、西部山敏子、浜本正信、星谷明、八木一郎、吉山晴康、渡辺蔚。(その他の協力者)菊川淳子、高見俊一、滝川嘉子、秦順士


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5人の広告作家』より


バーンバック氏 広告の創り方を語るクリック


インタヴューの末尾につけた解説
バーンバックさんとDDB 西尾 忠久

5人の広告作家』より


ダヴィッド・オグルビー氏のインタビュークリック


>>『調査から導き出されたコピーライター、アートディレクター、TVプロデューサーのための97の心得』