(490)ロッサー・リーブス、広告の不変の原則(7)
ロッサー・リーブス氏『宣伝術』(新潮社)---書庫のどこかにしまいこんだか、多摩美大の図書館に寄贈したか、記憶がさだかでありません。静岡・SBS学苑での定例[鬼平クラス]での講義も昨日済ませたので、今日は書庫探しをしてみよう。どなたかが、「これでしょう」とコメントくだされは、表紙写真をお願いするのだが。
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問 ええ、たしかに……。
リーブス ジョン・クリピトンが「アド・エイジ」の編集長だったとき、私は彼にいったのです。
いつか、だれかが、なんらかのに基準従って、広告賞を与えることになるだろう。
その判断の基準は、「その広告は効果かおるか」ということだ、とね。
この問題は、これまで与えられた広告賞についていっているのではありません。
私が、いま読みあげた広告の審査員のことを考えてみなさい。・
合衆国情報局長、コロンビア商業学校の学長、経済発展委員会の委員長、大宣伝会社の重役、大きな広告代理店の社長など、みんな一流の教育者、編集員、出版者、先生、宣伝人、25人の集まりなんです。
それなのに、彼らは、みんな自分たちがなにを話しているのか、知ってはいないのです。
この中には、専門外の人もいる。
その人は許せます。
しかし、「アド・エイジ」誌や、「マジソン・アペニュー」誌や、[プリンターズ・インク]は許せません。
それらは商業雑誌であり、自分のいっていることを知っていなければならないのです。
(リーブス氏が述べているのは、広告を審査するために「サタデー・レビュー」誌が行なったパネルのことである)
問 ラスカー氏は「印刷された販売」という新語をつくりだした人です。
あなたは、コピーライターとはいかに書くかを知っているセールスマン、あるいはいかに売るかを知っているライターだとお考えですか?
リーブス 馬鹿な質問ばかりしていますね。
問 馬鹿らしいと思いません。
私かきいているのは、代理店でコピーを書きたいと思っている人はなによりもまずセールスマンであるべきであり、また、上手に書けるよ
うに熱中するよりも、むしろ販売に直結するコピーを書くように努めるべきだ、と考えないかといっているのです。
リーブス あなたは、1枚の銅貨の反対側について論じているのです。
おなじ提案を逆に見ている。
数学では、これを「相反」といいます。
一つが正しければ、もう一方も正しくなければなりません。
もし、彼がセールスマンでなければ、売れるコピーを書けるわけがありません。もしライターでなければ、印刷物でのセールスマンになり
得ません。「広告を書く」ということには、これは固有のものです。
問 これは、広告コソテストの審査にあたった「アド・エグゼクティブ」たちにたいするあなたの異議にふれています。彼らは、おそらく、コピー・ライティングは、販売より以上のものだと考えているのでしょう。
おそらく、クラフトや美が含まれている……
リーブス ヒギソズさん。あなたが「アド・エイジ」で働くかわりに、会社をはじめたとしましょう。
あなたは、その製品に名前をつける。たとえば、シェービング・クリーム、冷凍食品、かみそり、自動車のタイヤ……どれでもいい。
あな
たは、この小さな会社に100万ドルを投資したとします。
そして、突然、理由はわからないが、広告が効かず、売り上げがさがる。
すべてが、それにかかわってきます。
あなたの将来、あなたの家族の将来、他の人びとの家族のこれから先、そこであなたは、私のオフィスにはいってきて、私に話します。
あなたはその椅子にすわります。
そのとき、あなたは、私になにを求めますか?
よい文章ですか。
傑作ですか。
コピーライターが広告の骨組みをつくるのに熱中することですか。
それとも、いまいましい販売曲線が、下向きから上向きになるのを見たいのですか。
いったい、なにを望みますか?
問 ご存じでしょう。(訳・岡田 耕)
明日に、つづく。