創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(499)ライターは安易に妥協しては駄目 ジョージ・グリビン(6)


お読みになった方も多いとおもいますが、atsushi さんが米国(ニューヨーク)のコピーライターの「名誉の殿堂入り」調べて、10月11日のコメント欄にあげてくださったので、転載します。


バーネット氏の1961年が第1回となります。
The One Clubの "Creative Hall of Fame(ニューヨーク)"は、元々、"Copywriters Hall of Fame"として始まっています。
Copywriters Hall of Fameの主催団体が"Advertising Writers Association of New York"かどうかは、残念ながらわかりませんでした。


"Copywriters Hall of Fame"受賞年は、以下の通りです。

1961年受賞 L.バーネット氏(4.12号)
1962年受賞 G.グリビン氏(3.22号)
1963年受賞 D.オグルビー氏(3.15号)
1964年受賞 W.バーンバック氏(4.5号)
1965年受賞 R.リーブス氏(4.19号)

その後は、
 1966年 ジュリアン・ケーニグ氏
 1967年 クロード・ホプキンス氏とBernice Fitz-Gibbon氏
 1968年 フィリス・ロビンソン氏
 1969年 メリー・ウェルズ氏
 1970年 ハワード・ゴーセイジ氏
 1971年 ロン・ローゼンフェルド氏
 1972年 ボブ・レブンソン氏
こう見て行くと、このブログに取り上げられた方ばかり。
chuukyuuさんの優れたクリエイターを見つけ出す、するどい洞察力を改めて感じました。

毎年春に授賞式があったようですので、リーブス氏の受賞に合わせて、アドエイジに記事が書かれたのかもしれません。単純に、その年までに受賞した全5名でした。
http://www.oneclub.org/oc/hall_of_fame/

ちなみに、最新の2008年には、ジェリー・デラ・フェミナ氏が選ばれていました。

【chuukyuu注】The One club は、Art Directoes Club of New YorkとAdvertising Writers Association of New York
が別々に行動していたのを1970年代の初めに、同じコミュニケイターだからと、統合しましたが、各年度の" Hall of Fame" は、別々に授与しているようです。


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 あなたのなさったスピーチに感激して、記事にしたことがあります。それは『広告復興期の人間』についてで、要点は…… 


グリビン ええ、たしかに要点のひとつでした。
多くのものを読まなければいけないと私は思います。そうすれば各人が自分の読者の専門分野にはいっていくと思うので
す。


 しかし広告のアイデアは、コピーライターから見れば、ビジネスの世界の内外から生まれますね?


グリビン ええ。そして大部分は、自分の生活から生まれるのです。


 ところで、ライターだったころに書かれた広告のうちで、いま考えられて最高の広告だと思われるのはなんですか? 
アローの広告に関係していらっしゃいますが、やはりアローがお好きですか?


グリビン 私かいままでに書いた最高の広告は、トラベラーズ(保険)の広告だったと思います。

トラベラーズの当時の社長にはじめて見せたときには、「未亡人」というヘッドラインでした。
「未亡人」などというヘッドラインをつけるというアイデアには陰気なムードがあると彼は感じたのですが、イラストレーションとコピーは気に入られました。
それでコピーの最初のセンテンスを肉太活字にすることになりましたが、そのほうが、「未亡人」よりはいいヘッドラインでした。


「28歳のとき、私はけっして結婚しないと思っていました」というのです(後の版では肉太活字さえ消えたヘッドラインのない広告になったのだ)。

60歳代の女性がポーチに立って月光を眺めている情景が描かれていました。
私はこれが私の書いた最高の広告だったと思います。
しかも私自身の経験から生まれたものなのです。

お気に入りの作品


ヘッドラインなしのトラベラーズ保険会社の広告のことをグリビン氏自身で「私がいままで書いた最高の広告」といっています。


「私自身の経験から生まれたものです。
私の妻が28歳のとき、結婚することになるとは思っていなかったのです。
背が高くて内気で、おそらく、だれからもプにポーズされないだろうと思っていたのです。

それからこの広告は、彼女がプロポーズされ、結婚し、幸福な生活を送り、やがて夫に先立たれたけれども、彼女の夫は彼女に保険を残したのです」

 28歳のとき、あなたは決して……


グリビン いえ、いえ。私の妻が28歳のとき、結婚することになるとは思っていなかったのです。
背が高くて内気で、おそらく、だれからもプロポーズされないだろうと思っていたのです。

それからこの広告は、彼女がプロポーズされ、結婚し、幸福な生活を送り、やがて夫に先だたれたことを述べています。彼女の夫は思慮深い人で、彼女に保険を残したのです。


 お書きになったのはいつですか?


グリビン (1965年から)25年ほどまえのことです。


 ものを書くときにも、生活するときにも、守らなければいけないきまりというものが、もちろんあります。
ご自分か、クライアントが確立した原則にもとづいて書くのと、白紙状態で書くのとでは、どちらのほうが楽ですか?


 
グリビン そうですね、あなたの製品、あなたの問題があなたの原則を決定します。
読者に……テレビなら視聴者、ラジオなら聴取者にあなたが広告している製品やサービスの利便を伝えなければいけません。
そのことが直接あなたの原則を決定するのです。


 クライアントが決定した神聖な牛(批判、攻撃できないもの)にのっとっで、いい広告が書けるとお考えですか?


グリビン そうですね、できますね。
できるといいますよ、その牛が象みたいに大き限りは。(笑)


 さきほど影響について伺いました。
レオ・バーネットは机に小さな箱を乗せていて、好きないいまわしや新しそうな方言にぶつかると、メモして、その箱に入れるそうです。
ところで、このバーネット氏の箱について、質問が2つあります。
(1)「ウィンストッはタバコらしい味がする」というような方言を広告を書くときに使うことを、どうお思いですか?(2) 身の回りに箱をおもちですか?


グリビン そうですね、箱はもっていません。
もっとまえに聞いておけばよかってたですね。
それはレオの傑作なアイデアですよ。


 アイデアをどのようにファイルなさっていますか? (訳・秦 順士



明日に、つづく。



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『5人の広告作家』の原文をテキストに勉強会をしていたTCCの若手---AWAの会の人びと。

AWAの会のメンバー(当時) 50音順・敬称略)
赤井恒和、秋山晶、秋山好朗、朝倉勇、糸田時夫、岡田耕、柿沼利招、梶原正弘、金内一郎、木本和秀、国枝卓、久保丹、栗田晃、小池一子、小島厚生、清水啓一郎、鈴木康行、田中亨、中島啓雄、西部山敏子、浜本正信、星谷明、八木一郎、吉山晴康、渡辺蔚。(その他の協力者)菊川淳子、高見俊一、滝川嘉子、秦順士



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5人の広告作家』より


バーンバック氏 広告の創り方を語るクリック


インタヴューの末尾につけた解説
バーンバックさんとDDB 西尾 忠久

5人の広告作家』より


ダヴィッド・オグルビー氏のインタビュークリック


>>調査から導き出されたコピーライター、アートディレクター、TVプロデューサーのための97の心得