創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(500)ライターは安易に妥協しては駄目 ジョージ・グリビン(7)


"as"  "like" 論争は、1950年代から、マジソン街をにぎわせていた、いつの世にもいる、制止的な原則論者と、浮動的な現実主義者の水かけ論でした。ニューヨークに滞在していて、コピーライターに会うと、さも天下の一大事のように、「どう思う?」と問いかけられたものです。ことは、ウィンストン・シガレットの広告にすぎませんでした。あれだけ話題になって、売り上げがあがったかどうかは、聞き漏らしのですから、ぼくもぬかっていました。


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 イデアをどのようにファイルなさっていますか?


グリビン ファイルはしません。
実際にコピーを書いていたころ、あるいはコピーをチェックしていたころは、製品についてアイデアが生まれると、メモしていました。
箱はもっていませんでした。
そのかおり、黄色いメモ用紙の束をもっていました……
いつもフレッシュなアイデアが必要でしたから、特定の製品のための未使用のアイデアがぎっしりつまった屋根裏部屋をもつ必要はありませんでした。

フレッシュなアイデアはなかなか生まれるものではありませんでしたから、生まれるとすぐに使ってしまったものです。

方言を使うことについてですか?
 
米国のことばは立派でピリッとした自家製の多彩なことばです。
それというのも、方言のためです。
広告にしろ、他のどんな書きものにしろ、方言を断片的に使用してもむだです。
ただ方言を使うのではなく、周囲の生活のカラーを新鮮な方法で使用するのです。


 最後の質問をすこしはっきりさせてみましょう。
ある語句が頻繁に使われても、それが適切だとか正しいとかいうことにはならない、と多くの人がいいます。
いま問題にしているのは、広告のなかでことばが「誤用」されていることなのです。


グリビン 「ウィンストンの味」という広告にもどりたいわけですか?


 そうです。
しかしことばを乱す元兇として、とくにこの広告をとり上げたいわけではありません。
これはことばの誤用の一例にすぎないのです。


グリビン それでは "as" ではなくて "like" を使ったフレーズを例にとってみましょう。
ライターの耳には "as" ということばよりも "like" ということばを使ったほうがそのフレーズが生きると思えるだけのことです。
"as" は文法的に正しいので、私は話すときは "as" を使います。
しかしことばを誤用する人は多いので、その人たちの耳には "like" のほうが親しみがあlます。
ですから使うわけです。
もっと暮らし向きがよくなって、"he diesn't" といわずに "he don't" といったら驚かれることもあるでしょう。

J・L・ハドソンが若いころ、アルバート・コンキイというコピー・エディターがいました。
その人はミシガン大学で英語の教授だった人です。
電話にでて「アルかい?」と聞かれたとき、彼は "It's me"と答えました。
"It's I" というのは古いと感じたのです。

たしかに"It's I”は広告では廃語になっていますから、文法的には正しいかもしれませんが、使ってはまずい場合が多いのです。たまにY&Rの文法的なミスを指摘する手紙がきますが、たいていの場合、そんなペダンチックな態度は問題にする必要がないと思います。


 そのほうが理解されやすいし、広告の要点は人びとに理解させることだ、とおっしやるのですね?


グリビン そうです。


 「クリエイティビティ」ということばを使うことについて、グリビンさん。広告の仕事に応用なさるときには、定義をおもちですか?  (訳・秦 順士


【chuukyuu注】Winstonのキャンペーンのキャッチ・フレイズは "Winston tastes good--like a cigarette should" 1954w で、アド・エイジ誌によって企画された「20世紀をかざるベスト100キャンペーンの44位。

http://adage.com/century/campaigns.html

上記についてのDDBのコメントは、

http://d.hatena.ne.jp/chuukyuu/20090902/1251828143


明日に、つづく。