創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(472)バーンバックさんとDDB


1966年、東京コピーライターズクラブが、クラブの事業として翻訳/編集した『5人の広告作家』(誠文堂新光社)の、バーンバックさんの項を担当したのがぼくでした。それに解説をつけました。
1966年といえば、43年前です。当時、日本のほとんどの広告人は、のちに「広告の革命者」と呼ばれ、「広告界の恩人」と称されたバーンバックさんのことを知りませんでした。
いまでは、20代、30代の若手クリエイターで、知らなくなっている人が多くなっているそうです。あえていいます、不遜、不勉強、増長天と。

きょう、引例の3キャンペーンのアートディレクターは、すべて、ヘルムート・クローン氏。


    ★   ★   ★


ニューヨーク・タイムズ」の広告記事欄の常連筆者であったピーター・バート氏は、1963年9月1日付の同紙に、「熱烈な広告プロデューユーサー」と題してドイル・デーン・バーンバック(DDB)広告代理店の社長であり、クリエイティブ・ディレクター(制作部門最高責任者)であるバーンバック氏についてこう書いている。


 最近、広告代理店は、彼らのトータル・マーケティング知識についてあれこれ語りたがっているが、代理店の主要な業務が、依然として、広告を制作することであるという事実は変わっていないのである。そして、マジソソ街の主要なプロデューサーたちのあいで、ブルックリン出身、51歳の熱心で精力的なウィリアム・バーンバックという男ほど、多くの注意を完全にひきっけるのがうまい男はいない。広告についての話がでれば、かならずバーンバック氏の仕事のどれか---フォルクスワーゲン、エイビス・レンタカー、オーバックス、アメリカン航空、その他多くのクライアント(お得意先)についての議論がまき起こるのである。
じっさいDDB創業いらいの15年間に、この代理店社長はプロの広告メーカーとして特異な地位をつくりあげてしまった。


そして、バート氏は、青灰色の目とやさしい声で話す、小柄で柔和な感じのバーンバック社長にはじめて会った人は、これが米国の広告界で「広告弾丸」と呼ばれている男かとちょっと奇異に感ずるはずだという。


小さことが理想。


10年前、最初の2台のフォルクスワーゲンが米国へ輸入されました。
ビートルに似た、その奇妙な形の小さな車は、まあ、無名といってもよいほどでした。
やがて、リッターあたり13.5kmも走ることが認められました(レギュラー・ガソリン、ふつうの運転で)。
さらに、一日中時速100kmで走ってもビクともしないアルミ製空冷式エンジン、ファミリー・サイズの適切さ、手ごろな値段も認められてきました。
フォルクスワーゲンは、ビ−トル並みに増殖し、1954年には、米国への輸入車のトップに立ち、以後、ずっとその地位を堅持しています。1959年には15万台のフォルクスワーゲンが売れました(うち3万台はステーション・ワゴンとトラックでしたが)。
ずんぐり鼻のフォルクスワーゲンは、いまでは米国名物のりんごストルーデル(デザート菓子)同様、50州すべてで見かけられますが、その鉄鋼はピッツバーグ製でシカゴでプレスされています(工場の動力源すら米国からの輸入石炭です)。
どのフォルクスワーゲンのオーナーにお聞きになっても、そのサービスのすばらしさとどこへ行ってもうけられる充実ぶりについては、褒め言葉ばかりでしょう。フォルクスワーゲンの成功は、決して小さくはありません。部品も常備されてい、しかも安価です(一例をあげると、新品のフェンダーはたったの21.75ドルです)。フォルクスワーゲンの成功の要因は決して小さいとは言えませんね。
今日、米国ほか119の国々でフォルクスワーゲンは着荷するなり売り切れていて、生産が追いつかない状態です。小さな車に全力を注いでいるフォルクスワーゲンの生産規模は世界で5番目に大きいんですよ。もっと多くの人びとに、小ささを理想としていただきたいものです。




Think small.


Ten years ago, the first Volkswagens were imported into the United States.
These strange little cars with there beetle shapes were almost unknown.~
All they had to recommend them was 32 miles to the gallon(regular gas, reguiar driving), an alminumm mair-cooled rear engine that would go 70 mph all day without strain, sensible size for a family and a sensible price-tag too.
Beetles multiply: so do Volkswagens. By 1954, VW was the best-selling imported car in America. It has held that rank each year since. In 1959, over 150,000 Volkswagens were sold, including 30,000 station wagons and trucks.
Volkswagen's snub nose is now familiar in fifty states of the Union: as America as apple strudel, in fact, your VW may well be made with Pittsburgh steel stamped out on Chicago presses (even the power for the Volkswagen plant is supplied by coal from the U.S.A).
As any VW owner tell you, Volkswagen serviice is excellant and it is everywere. Parts are pientiful, price low. (A new fender, for example, is only $21.75.) No small factor in Volkswagen's success.
Today, in U.S.A, and 119 other countries, Volkswagens are sold faster than they can be mads. Volkswagen has become the world's fifth largest automotive manufactur by thinking small. More and more people are thinking the same.


参考オリジナル版↑は、小さなビジネス誌のために用意され、のち『ライフ』誌用などが創られた経緯クリック


エイビスは、業界で2位のレンタカーです。
それなのに、お使いいただきたい、その理由(わけ)は?


私たちは一所懸命にやります。
(だれでも、最高でないときはそうすべきでしょう)。
私たちは、汚れたままの灰皿をがまんできないのです。
満タンにしてない燃料タンクも、いかれたワイパーも、洗車してない車も、
山欠けタイヤも、調整できないシート、ヒートしないヒーター、霜がとれないデフロスタ…
そんな車はお渡しできません。
はっきりいって、私たちが一所懸命にやっているのは、すばらしくなるためです。(省略)

この次、私たちの車をお使いください。

すいていることでもありますし、ね。


また、「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙の1965年8月22日号は「DDBはマジソン街の諸法則を無視して立ちあがる」と題する記事で、

 もし、1960年代の広告キャンペーンの中で、最優秀作品に賞を出すとしたら、ほとんどの広告人は即座につぎの四つを挙げるだろう。フォルクスワーゲンの「小さいことが理想」キャンペーン、エイビスの「私たちは一生懸命やります」、ドレイファス信託のライオン、コロンビア・コーヒーのホアン・ヴァルデッツ。


ホアン・ヴァルデッツ、コーヒー農園主、誇らしげに、1本の木のことを語る


ホアン・バァルデッツが暮らしているのは「鷲とラバだけが生きられるところさ」といわれてもいます。
でも、そこは(地味豊かで高湿のコロンビアのアンデス山脈で標高5,000フィート)、コーヒーにとっては天国です。
太陽がジリジリと照りつけるそんな土地で、ホアンはコーヒーの木を植え、育てているのです。
もっと、コロンビア・コーヒーを栽培する人たちと同様に、木陰をつくるために、わざわざ高い木を植えます(だから、陰の木で実った豆から独特の風味が引きだせるのです)。
彼は、熟していると確信できた豆だけを厳しく選んでは、一粒ずつ摘みます。
1本の木からはコーヒー豆1ポンドしか採れません。
それが、世界のどのコーヒーよりも、彼のコーヒーに高い芳香と深い味わいという個性をもたらしているのです(コロンビア・コーヒーをブレンドすることで相手を一層引き立てもします)。




Juan Valdez, coffee planter, proudly hows the entire yield of one tree.


Somebody called the region where Juan Valdez lives "fit only for eagles and mules."
But it is a paradise for coffee growing, 5,000 feet up in the Colombian Andes, where the soil is rich and the air moist.
Juan could let his coffee trees stand in the burning sun.
But, like all the men who grow Colombian coffee, he plants tall trees to shade' them (and bring out a remarkable flavor).
He stubbornly picks the beans one by one, to be sure he takes only the ripe ones.
The result, only one pound of coffee fronl each tree.
But it has more character than any coffee in (the world. Colombian coffee is invariably the dominant flavor in good brands (the more Colombian coffee, the better the blend).


これらはみなDDBの制作で、同社のパイオニア的アプローチは多数の模倣者をつくるとともに、羨望と賞賛をマジソンのライバルたちから得てきた。
想像力に満ちた広告によって、DDBは主要代理店の中ではもっとも成長率が高く、美的価値のある創作にたいし最高の栄誉を受けている。
また、それらの広告のほとんどがDDB自身とそのクライアントの収入をいちじるしく増大してきた。


たしかに、DDBの成長はすばらしい。1949年6月、バーンバック社長は、グレイ広告代理店をネッド・ドイル氏とともに去り、マックスウェル・デーン社に加わり、社名を現在のドイル・デーン・バーンバックに改めたのである。
当時の社員数は14人だった。
それがいまや社員数約1000人になり、扱い高は全米で第13位の1億850万ドル(1964年)。


扱い高の推移を表にしてみると、


1950年240万ドル(8億6,400万円)
1951年260万ドル(9億3,600万円)
1952年350万ドル(12億6,000万円)
1953年510万ドル(18億3,600万円)
1954年800万ドル(28億8,000万円)
1955年 1,100万ドル(39億6,000万円)
1956年 1,630万ドル(58億6,800万円)
1957年 2,020万ドル(72億7,200万円)
1958年 2,200万ドル(79億2,000万円)
1959年 2,750万ドル(99億0,000万円)
1960年 4,640万ドル(167億0,400万円)
1961年 5,050万ドル(181億8,000万円)
1962年 6,200万ドル(223億2,000万円)
1963年 7,630万ドル(274億6,800万円)
1964年1億0,850万ドル(390億6,000万円)
             (ドル換算は当時のレート、1ドル=360円)


【参照】新規アカウントのリストクリック


こうした業界一の急成長も、あるいはさして驚くにあたらないかも知れない。
なぜなら、他業界には、DDBを上まわる成長ぶりを示した企業があるだろうからである。


DDBの成長に関して私が驚くのは、クライアントを引きうけるのと同数ぐらいの依頼会社を蹴っている事実と、これほどの急成長を示しながら、制作部門に多ぐの優秀な人材を補充している事実である。


クライアントについては、「私たちの仕事に魅力を感じたから、私たちのところにくるのだ。もし、ゴルフ・コースでアカウントを得たとしたら、またゴルフ・コースで失うだろう。が、作品でアカウントを得たら、それは堅実だ」とバーンバック社長は強調している。


もう一つのDDBの人材に関して、私はいま、もっともふかい関心をもっている。
1人の傑出したコピーライターのいる広告代理店は、DDBに限らず、全世界に何百とあるだろう。


けれども、10人あるいは20人の傑出したコピーライターを擁しているところは、DDBをおいてほかにない。
これは、現代の奇蹟といえる。
しかも、かれらのほとんどは、どこかほかの代理店で名を成した後に、DDBに移ったライターではない。
たとえば、その中のひとり、ロン・ローゼンフェルド氏は、ソニーやカルバート・ウィスキーを担当している、ことし32歳の副社長兼コピー・スーパバイザー(主任)である。
彼は、8年前にはボルチモアの名もないライターで、DDBに売り込みにいって採用された1人である。
その彼が、彼自身がいう「いままで働いたうちで、いちばんいい環境」であるので、のびのびと自由に仕事をして、数多くの賞を獲得している。


「クリエイティブ関係の人間は、できるだけ自由に新しいことを試みるのを許されるべきだと思います。たとえ、少々野バンでも、それがその人のやり方ならかまわないと思います。退屈な広告をイマジナティブ(想像力に豊んだ)にしようとするより、彼らをちょっと引きもどすほうが、ずっと簡単なのです。もし必要があればの話ですがね」と彼は強調している。
要するに、バーンバック社長は、自分自身が、偉大なコピーライターであると同時に、クリエイティブ組織の最高のオルガナイザー(組織者)であり、養成の名手である。
この点が、ほかの大コピーライターと違うところである。


私が、DDBにとくに関心をもつのは、じつは、この点に関してなのである。


現代の広告創造というビジネスは、ひとりの偉大な人間だけではどうすることもできないほど複雑になり巨大化している。30年か50年前なら、たった一つのアイデア、あるいは広告の見出しで、ものは売れたのだが……。


つまり、現代では、共通の考え方をもった多数の人材の参加が必要になっている。
そこで、「共通の考え方」……創造哲学と、クリエイティブ組織とその運営が問題になるのである。
また、人材の養成が云々されるのである。


DDBの創造哲学はなにか? バーンバック社長はインタビューのなかで答えているが、氏の別のスピーチから引用すれば、
「広告は基本的には、説得です……そして説得は、科学ではなく、アートである、ということです」
というこの言葉にいいつくされていると思う。


アートであるからには、「新鮮でオリジナリティ(独創性)とイマジナティブな表現」が必要なのであり、また、アートであるために、すぐれたアーチストが必要なのである。

DDBのクリエイティブ組織は、すぐれたアーチスト……コピーライターとアートディレクターのチームの集合体としての組織をとっている。
彼らはたがいにコピーライターであり、アートーディレクターであるように訓練されており、どちらが、アイデアをだしてもいい約束になっている。

こうしたDDB方式は、創業いらいのやり方であり、これによって、偉大なアイデアに裏打ちされたショッキングな表現の広告キャンペーンのかずかずがつくられ、その成功が同社を繁栄に導いたのである。


しかも、彼らの上には、プランズ・ボード(企画委員会)と呼ばれる、意地悪じいさんたちが、広告からアイデアを骨抜きにしてしまいがちな委員会はない。
バーンバック社長自身がほとんどのキャンペーン・アイデアに非公式な審査を行なうだけだ。


単純明解な、そしてたぶんに原始的ともいえるクリエイティブ組織の運営ぶりである。
しかし、だからこそ、ほとんどのキャンペーンが新鮮さを保っているのである。


別の見方をすれば、担当のコピーライターとアートディレクターに、広告創造の全責任がまかされているともいえる。
だから、彼らは、すばやく成長していく。
成長しなければ落伍するだけなのだから。

と同時に、すぐれた人材の中に混じって仕事をすることが、どれだけ成長を早めるか……それはDDBの実例をみるまでもなく、明らかである。

以上の事実は、現代における組織的クリエイティブの原則として、研究の価値が十分にある、と思う。

バーンバックという現代の天才、DDBという現代の奇蹟は、ほんとうに、もっともっと研究されるべきだ、というのが、現在の私の心境である。


ホアン・バァルデッツと彼のロバの、頑固一徹ぶりときたら、それはもう---。


ホアンは、コロンビアの標高5,000フィートもあるアンデス山中に、finea(コーヒー園)を持っているんです。
そこは、地味が豊かです。 高湿です。 コロンビア・コーヒーの並はずた風味はこの2つから生まれてくるのです。
3番目? それは、裁培者がホアンのように頑固一徹だからです。
ホアンは自分のところのコーヒーの木を、ジリジリと照りつける太陽に向けて植えているんですよ。しかも、木影をつくるべく、高い木を---(陰で育った下の木のコーヒー豆から顕著な風味が引き出せるのです)。
熟しきる前の豆を採るくらいなら、finea(コーヒー園)のほうをあきらめた方がましって思っています。だから彼は、コロンビアのコーヒーのしきたりどおり、完熟した粒だけを、1粒1粒、手できびしく選んでは採集しているんです。
世界一の風味のコロンビア・コーヒーですからね、そうするだけの価値はあるんですよ。
コロンビア・コーヒーは独特の風味を誇っているブランドんなんです(コロンビア・コーヒーをブレンドすることで相手は一層引き立ちもます)




We don't know who's more stubborn-Juan Valdez or his mule.


Juan has a finea (coffee grove) 5,000 feet up in the Colombian Andes.
The soil there is rich. The air is moist.
Two reasons for the extraordinary coffee of Colombia.
The third is the stubbornness of growers like Juan.
Juan could let his coffee trees stand il burning sun.
But he plants tall trees to shade them (and bring out a remarkable flavor). He would sooner give up his finea than pick a single coffee bean before it is ripe.
Then he does it the way all Colombian coffee is grown and picked. By hand.
Arduous work.
But worth it.
Colombian coffee invariably has the best taste in the world.
It is used as the dominant flavor in all good coffee brands (the more Colombian coffee, the better the blend).


1本はコーヒー用、1本は木陰用。「これ、とびきりのコツ」とホアン・バァルデッツ。


「私たちは日なたで帽子、かぶります」 「私たちのコーヒーの木には帽子、ありません、どうする?」と、ホアン・ヴァルデッツが問いかけます。
すべてのコロンビアのコーヒー裁培者のように、ホアンもアンデス山脈で暮らしています。黒い土と高湿の大気は、コーヒーに魔法をかけます。
だけど、高地にふりそそぐ陽光は容赦がありません。
ホアンも慈母のように、コーヒーの木を覆います(木陰で育ったコーヒー豆が、すばらしい風味にゆっくりと熟していくことを知っているからです)。
そう、コーヒーの木を植えるときは、横に高い庇蔭樹を植えます。「ひさし帽の木」とでも呼びましょうかね。
コロンビアの木陰育ちのコーヒー豆は、世界一すばらしい味をもっています。これには、議論の余地がありません。
コロンビア・コーヒーのブランドの名声は飛びぬけています(ほかのコーヒーとのブレンドでは、相手の味の引き立て役として働きます)。




One tree for coffee-one for shade. "Es muy importante," says Juan Valdez.


"We wear hats in the sun. Why shouldn't our coffee trees have hats?" says Juan Valdez.
Like all Colombian coffee growers, Juan lives high in the Andes.
The black soil and moist air have a kind of magic for coffee.
But the nearequatorial sun is relentless.
Juan protects his coffee trees like an anxioucs mother (he also knows that shading them helps ripen the beans slowly to a remarkable flavor).
So whenever he plants coffee trees, he plants a tall shade tree.
A "sun hat."
Colombia's shade tree coffee has the best taste in the world; no one disputes the fact.
It is invariably the dominant flavor in good coffee brands (the more Colombian coffee, the better the blend).


コロンビア産のコーヒー全体を、ホアン・ヴァルデッツという一人の人格に凝縮したアイデアがすばらしい。製品、企業の人格化の好見本の一つ。


明日は、『5人の広告作家』(1965)の企画をした『アド・エイジ』誌発行人のS・R・バーンスタイン氏の刊行の辞ともいえる[まえがき]。これがすばらしい。文章書き必読。