創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(484)ロッサー・リーブス、広告の不変の原則(1)


東京コピーライターズクラブ訳/編『5人の広告作家』の中から、テッド・ペイツ社のロッサー・リーブス氏を紹介する。
DDBのバーンバック氏をアテネにたとえると、ロッサー・リーブス氏はスパルタといわれている。パッケージ・グッズをハード・セルで売るのに長じているのである。
紹介がおくれたのは、訳者・岡田 耕氏と連絡がとれなかったからにすぎない。先日、岡田夫人と電話で話した。9年前に逝去されていた。68歳であった。惜しい才能を失った。ご冥福を祈る。なお、岡田訳の転載には、夫人の快諾をいただいた。


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″効果的であったか?″ロッサー・リーブス氏にとって、これが広告制作における唯一の規準です。
楽しさ、暖かみ、そして変わっていることなど問題ではない。
アド・マンの中では多くの反対者がいるでしょうが、リーブス氏はテープ・インタヴューの最終回で、彼の見解をぶっきら棒に、腹立たしげに打ちだしました。



 まずお聞きしたいのは、あなたはある明確な理念をもってコピーライターになられたそうですが、その理念は変わりしたか?


リーブス ほとんど変わりません。
しかし、広告制作におけるテクニックに関する限り少しあります。
1929年、コピーライターとしてスタートしていらい、36年間、この世界にいます。
だが、広告の不変の原則はほとんど変わっていません。


 広告の不変の原則……コピーの不変の原則とはなんですか?


リーブス 私は、コピーの不変の原則について話しているのです。
3分前あなたに会うため、バローク・レストランからやつてきました。
その途中、バスが私の目の前を通りいぎたのです。
しかし、そのときの私は、まったくぞっとするようなといいたい広告の一例を見ました。


バスの横面に貼ってある大きなポスターでした。バスは私の前で約1分半ほど止っていました。
その広告には魅惑的な女性の写真と、ヘッドラインは、「スウェーデンから生まれた驚くべき……」だったと思います。
私はその女性に目を奪われましたが、バスが行ってしまい、道を横切っているとき、「なんの広告だったのか」と思いました。

【chuukyuu注】ニューヨークでは、市バスの横ッ腹は移動式広告媒体であった。 


 エリク・シガーの広告でしょう?


リーブス エリク・シガー? 商品名は見ませんでした。
私も人間なのでブロンドの女性は見ました。
5、6年前に有名なトランプ手品師のカーティニに会ったときのことです。
彼はカードの半分をエリのところに隠そうとしました。
そして左手でカードをエリのところに持っていきながら、膝の下からカードの扇を作りだしたのです。


だれもが膝の下からでてくるカードの扇を見つめていたため、もう一方の手を見なかったのです。
つまりこれは、バスの横面にあった広告の典型的な例ではないでしょうか。

私は、うっとりさせるような女性の魅力的な姿を見たが、商品がなにかを知ることができませんでした。

私にとって、これはお金の浪費にしかすぎません。


 魔術師用語で、それは「見当違い」といわれてぃますが……。


リーブス ミスディレクション(misdirection)。
私は自分の本の中で、「気を散らす技術」と呼んでいます。
これは現在の広告の中でもっとも共通した誤りと思います。


 ミスディレクションといえば、どうしてコピーライターになられたのですか。


リーブス 広告が好きだからです。


 コピーの部門に誤ってはいったのですか、それとも最初からコピーにはいる予定があったのですか、
または広告界の他の部門へ……。


リーブス 私は新聞記者になりたかったのです。

それは当時、私か得られる唯一の仕事でしたから。

しかし、コピーを書きたかったのが本音です。

そしていまだにほんとうのコピーライターです。


 ジョージ・クリビン氏(『5人の広告作家』の中の1人……未登場。Y&R社長=当時)は、新聞記者になりたかったが、これに対抗するものとしコピーライターになったと話していましたが……。


リーブス 私も新聞記者を望みました。
しかしわずか19才にすぎなかったのです。
1929年か30年には1週14ドルしか収入の得られないことを知り、情熱はみとにうせてしまいました。


 いま(1965年)でもそれ以上の収入はほとんど得られないでしょう。


リーブス そう、仕事は面白いがひじょうに収入の悪い職業だと聞いています。
当時の私のボスは「リッチモンド・タイムズ・デスパッチ」の編集者で、ジョン・デンソンという人でした。
彼はその後「ニューズ・ウィーク」の編集員、「ニューヨーク・トリビューン」の編集員を経て、最近は「ジャーナルーアメリカン」の編集員をしています。

最近、彼と昼食をともにしたとき、コピーライターと新聞記者とどちらが給料がよいか討論したのですが、「新聞の仕事はとても名誉で、かつ、かなり高給だ」と彼はいっていました。


 あとで聞きたいと思っていた質問にもかかわりがあります。
それはトレーニングとバック・グラウンドについてです。
コピーライターとして、また監督者としてコピーライターを訓練する最良の方法はなんでしょうか。


リーブス 大きな広告代理店で、自分たちのしていることをよく知っている人の下で働くことです。


 どんどん書くという意味ですか。(岡田 耕・訳


>>(2)に続く