創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(474)バーンバック[広告の書き方を語る]連結

ニューヨークの43丁目にあるDDBの録音スタジオに、バーンバックさんはすわっていた。
彼は思ったより小柄で、柔らかい話し方をし、保守的なスーツに身を包んでいた。使い古されたピアノを背にして折りたたみ椅子にすわって、税務所の監査員のきびしい尋問を受けている無邪気な男といった態度で私を眺めていた。1965.4.5号


 バーンバックさん、どうして広告コピーを書くようになったのですか?


バーンバック ええ、じつは、おおぜいの有名人の講演代筆をやっていたのです。
知事とか市長とか、おおぜいの有名人です。


また私は、美術にも関心がありました。


文章とアートの結びつきは、広告の媒体全体をより効果的に使うためにつくられたグラフィックとコピーというものに必然的に結びつくものと考えます。


 それではお話をもとに戻して---お聞きしたかったのは、なにがあなたをこの仕事に決心させたかということなのですが---。


バーンバック ええと、それはちょっとむつかしい問題ですね。


ものごとはすべてはっきりした決心のもとに行われるわけではないと思うのですが---私がこの仕事に入ろうと思ったのは、ある日、突然なのです。

どうしてそうなったのか、自分でもわかりません。

私は書くことに興味をもっていました。

また、美術にも関心がありました。

そして、書くこととアートを広告の中で行う機会がやってきたとき、その機会を利用しようとしただけなのです。

広告代理店に入る直前まで、私はニューヨーク世界博で働いていたのです。


 1939年のですか?


バーンバック そう、1939年のそれです。
リテラリィ部門のディレクターをしていました。
私たちはこれを、調査部と呼んでいたのですが。


私たちは、エンサイクロピーディア・ブリタニカのために世界博の歴史について書きました。

いろんな雑誌に多くの論文を書き、私は世界博の絵をいくつが描きました。

そしてその世界博が終わったあと、誰かが、ある広告代理店の人が私を探していると伝えました。

そこで、広告界に入るという機会に挑戦することになったのです。


 その人は誰だったのですか?


バーンバック ウィリアム・H・ウェイントローブ(小さな広告代理店社長)でした。

私はそこでたくさんの広告界のベテランたちに互して戦い、ウェイントローブ氏に頼まれて書いたいくつかのものが認められて、仕事を得ることができたのです。

こんにちの私の地位は、このときに決まったといってもよいと思います。

私は、自分のコピー部門の中に型にはまった人間がいるのは我慢できませんでした。

そういう人をいままでやっていた一切のことから引き離しました。

そうすることによって、新鮮な見方、外側からの見方ができるようになると考えたからです。

そして、私たちが広告についてなにか新しいことを知ったら、あとで彼らに教えてやりました。


 それは、私がお尋ねしたいと思っていた質問の一つにふれているように思います。
あなたは、広告コピーを書くのはほかの種類のファクチュアル・コピーを書くのよりむずかしいとお考えですか?


バーンバックいいえ。広告の知識とか、なにをいおうとするかということに関しては、ひとつの秩序があるように思います。

なにをいうかということが分かるのは後のことです。

広告において第一の、またもっとも大切なことは、オリジナルでフレッシュだということだと、私は思います。

広告の85%は一瞥だにされないということを、あなたはご存じですか?


これは広告に携わる人びとに委託されているハーバード・ビジネス・スクールが集めた統計です。
そこで私たちは、大衆は広告をどう考えているかということを知りたいと思いました。

広告というものがアメリかの大衆に愛されているかどうかを知りたいと思いました。


私たちは、憎まれてもいなかったのです!
大衆は、私たちを無視していたのです。


そこで、私にとってもっとも大切なことは、フレッシュで、オリジナルなことです。

こんにちの世界におけるあらゆるショッキング・ニュース、あらゆる暴力に対抗できるようにすることです。

なぜなら、広告はそれだけのものを持っているからです。

もしあなたが、ひとりも止まってあなたのいうことを聞くようにできないのなら、あなたは広告をむだにしてしまっているのです。

私たちはあらゆることに正しいのです。でも、誰も見てくれないのです。


 コピー・ライティングにもどりましょう。あなたは広い範囲からライターを求めているとおっしゃっていますが、どんな種類のライターをさがしておられますか?


バーンバック ええと、私は別に、この仕事にこういうライターをと、さがしているわけではないのですが--- 。


 では、もう一度いいなおさせてください。あなたは、これまでに多くの部下をもってこられましたが、そのうちの誰かに、なにかとくに目立った個性というものを発見されましたか? ひじょうに才能がある人とか、ひじょうにクリエイテイブな人とか?


バーンバック さっきも言ったことがあると思うのですが、もう一度ここであなたにお話しましょう。

ここで問題になることの一つは、私たちが一つの公式を探しているということです。

なにが優れたライターをつくるか? これは危険です。

まずいライターをつくるのがこういった態度なのです。
ライターに向いていないような人たちをライターに育てることにもなるのです。

私は、むかしの『タイムズ』のインタヴューを憶えています。
インタヴュアーが小説家だったか、短編作家だったかに聞いているものでしたが、そこで彼は、こんなことをいっていました。

「朝は何時に起きますか? 朝食には何を召し上がりますか? 何時に仕事をはじめますか?」

そしていわんとするところのすべては、もし、朝6時半にコーンフレークスを食べ、それから散歩をし、つぎにうたたねをし、それから仕事をはじめ、昼でやめるならば、あなたもまた偉大な作家に違いない、というものでした。

誰も、こんな数学的で、こんなに正確ではないでしょう。

この、すべてのことを正確な言葉で測ろうという仕事は、今日の広告に関しての問題のひとつです。

これが、調査崇拝ということにつながります。

私たちは自分の手にいれたファクトについては大いに関心を持ちますが、このファクトを消費者に向かって刺激的にするかということについての関心は十分とはいえません。


 バーンバックさん、ものを書く人は、アイデアを積み重ね、それらを将来のために貯めてかくための一定のやり方をもっています。
あなたが活躍しておられた頃、すばらしいアイデアをたくさん持っていらしたと思いますが、あなたはクライアント(広告依頼主)によって確立された基本的ルールによって書く方がやりやすかったか、それとも、Carte blanche (白地書式、署名だけしてあって自由記入をする)の時に書く方がやりやすかったのでしょうか?


バーンバック クライアントが私たちに基本的ルールを与えることを私たちは決して許しません。


それは、クライアントのために悪いと私たちは思っています。
それはこういうことです。


私たちは決して製品についてはクライアントとおなじには知ることができないと考えています。なにしろ、クライアントは、製品と寝食をともにしているのです。


彼はそれをつくったのです。

生活の大部分をそれとともにすごしているのです。

私たちは、どうしたって彼とおなじようにそれについて知ることはできないのです。

それと同じことで、彼は広告については、私たちと同じように知ることはできないのだと、私は確信しています。

なぜなら、私たちは広告環境の中で一日中生活し、呼吸しているのです。


そして、私たちがそのおなじ製品をとり扱っているということと、それとは全然無関係なのです。

私たちは、彼のとは別の技術を必要とします。
彼はその製品をつくり、マーケットする技術を必要としています。私たちには、それを消費者に伝え、説得する技術が必要なのです。
この二つは、違ったものです。全く別ものなのです

そして、すべてのことを数学的に(調査や指図によって)片づけようとすることの欠点は、誰もかれもが同じやり方をしだすということです。


 バーンバックさん、私たちがいま話していることは、業界の見解というよりはむしろ、個人としてのものの見方です。
さて、広告界にはたくさんのライターがいます。
そんなにうまくはないけれども、よりうまくなろうとしているライターもいます。
これらの人たちへ、どうしたらその技術を進歩させることができるかということについて、広告界のベテラン・コピーライターとしてのあなたから助言をいただきたいのです。


バーンバック そうですね。これを使いさえすれば安心というような方程式でもあれば教えてさしあげるのですがね。そんなものはないのです。


しなければならないことは、
絶えず働くこと、
絶えず考えること、
自分がしていることにできるだけ誠実であること、
絶えず練習すること です。


 ものの見方を新鮮に保つためにどのようなアウトサイド・ソースを用い、どのような興味を追求しますかと、インタヴューしたほかに人たちにも聞きました。
あなたもこの質問に答えていただけますか?


バーンバック もし、これがあなたのおっしゃっておられることの一つだとすれば、私は、読書を大いにやります。


 どんな分野の?


バーンバック 哲学の本をたくさん読みます。

小説もたくさん読みます。

人間のすることはなんでも、コピーのためになると、思っています。

あなたのしたこと、経験したことはきっとあなたのコピーのためになります。

もしあなたがコピーの中に、より考え深い、よりおもしろいことをいれることができれば、あなたはもっとプロポカティブ(刺激的訴え)になれるものです。


 あなたはいま、どれくらいお書きになりますか? よく書きますか?


バーンバック そうですね。こんにちではボディ・コピー(本文)はそんなには書きません。

でも、DDBがつくるほとんどのものを校閲します。そして、いまもヘッドライン(見出し)を考えています。


ここで一つ重要なことをいわせてください。

こんな古いことわざがあります---それは確かに私のものではない。
しかし、私は完全にそれに同意する---これは、あなたがなにか書くべきものを持っているときほど、よく書けるということです。

あなたの賢明さ、訴える力の強さ、イマジネーション、斬新さは、製品に対する知識から出ています。

こんにち起こりつつあるもっとも悪いことは、グラフィック上の手品(ごまかし)だと私は思います。

イデアを得るということは、だれにとってもそんなに難しいことではありません。

重要なのは、そのアイデアがよいものかどうかということを見分けることです。

あなたはイマジネーションを持たなければなりません。

斬新さを持たなければなりません。
これは訓練されなければなりません。

あなたの書くすべてのこと、誌面に表現されたすべてのもの、すべての言葉、すべてのグラフィック・シンボル、すべての影は、あなたが伝えようとしているメッセージを助長するものでなければなりません。

おわかりのように、あなたはアートのできを、それがどのくらいよくその目的を達成しているかということによって測ります。

また、広告に携わる人で、自分の目的は一つの商品を売ることだといわないような人は偽者です。

また、あなたはできるだけ簡潔で、できるだけ素早くて、できるだけ鋭くなければなりません。そして、これは知識からくるものです
そしてあなたは、この知識を消費者に結びつけなければなりません。

イマジナティブということは、ただ出かけていって愛敬をふりまくということではありません。


広告でモデルの男性を逆立ちをさせることによって人びとの目を広告に引きつけることもできるという例を、私は何回も見てきました。

しかしこれは、売ろうとしている製品が、ポケットからものが落ちないようなズボンでなければいい広告とはいえません。

そのとき、あなたの斬新さ、引きつける力、賢明さが、あなたの商品の利点をさらにおしすすめ、記憶されやすいものにするのです。

こういうふうにやらないと、人びとをあなたの広告に引きつけることはできず、そして、つまりは、あなたが広告でなにをいっても、ただえお金を浪費しているにすぎないことになります。

たとえそうやったにしても、それらがあなたが広告している商品と関係のないやり方であると、人びとがその広告でだまされてその製品について読まされてしまった---という憤りを感じさせてしまうことになります。

ですから、あなたがやるべきことは、できる限りに安く、それでいてクリエイティブな手段で人びとを引きつけ、商品を印象づけることです。

ところが、これがむずかしい。骨が折れる。これこそ、広告創造ということです。


 簡単に、あなたのやり口をお聞きしたかったのですが---。


バーンバック (笑声)


 どうして笑うのですか?


バーンバック まるで私の説明に対する答えみたいに、あなたが、私のやり口について聞いたからですよ。


 いいえ、答えではありません。答えのつもりでないって、はっきり知っています。


バーンバック DDBには、コピー部に100人ほどの人がいます。

この中で、同じようなやり口を持った人がいるかどうかは疑わしいのですよ。

それどころか、てんでばらばらですよ。



 やり口って、こういうつもりで言ったんです。
あなたがボディ・コピーを書いていたころ、あなた自身がボスの時でも、ご自身の検閲者でしたか?


バーンバック ええ、もちろん。


 では、あなたはあなたをチェックするのに外部の人、第三の人を必要としなかったのですね?


バーンバック この代理店---DDBで、これが長所だと私が思い、かつまた、非常に誇らしく思っていることの一つは、この代理店の社長である私がクリエイティブ・マンであるということです。

この会社のコピーライターたちの仕事を私が検閲することができるのは、それが、私が、クリエイティブ・マンが今やろうとしていることをずっと経験してきたからです。

ですから、彼らの問題もよくわかります。

それを通りこしてきたからです。

こういった経験をしてきたからです。
私は働いている人たちを拘束し、押しつけるだけの実務家とはちがいます。


私は、この仕事についてかなりよく知っているつもりですが、今でも私は、自分の個性を押しつけてはいません。

私が見つけようと思っているのは、彼らの個性はなんであるか、ということ、そしてそれを育てることです。

ですから、私は、この会社にすばらしく深いタレントの層をもっているのです。すぱらしく広く、変化に富んだタレントを。

なぜなら私たちは、自分たちの個性を社員に押しつけなかったからです。

むしろ、なにか変った目立つものをさがしてきました。

非常にユーモアにたいする感覚の鋭い人です。

また、非常に素早く、ストレートに問題の核心に入っていける人もいます。

彼らはまったく異なった人です。

おのおのの人の個性を効果的に生かせる仕事に向けるべきです

ユーモアの得意の人に、彼のできないような仕事をやらせるのは、私が間違っているのです。

これは大事なことです。

その人の個性はなんであるかを発見し、それを育てなければなりません。

すべての人に同じことをやらせ、みんなを退屈させてしまってはいけません。
 広告界には、個性をつぶしてしまうような人びとがいると思っていらっしゃるようにとれますが?


バーンバック 誤解しないでください。私は、多くの広告代理店を尊敬しています。

ただ、これが私たちのやり方なんです。支配しない、あまりにたくさんのルールをつくらないということです。


 信条についてはどうですか? ルールと信条のあいだには何か違いあるのですか?


バーンバック あります。
私の信条は---製品の利点をアイデアが記憶に残るように伝えるということです(このために新鮮で独創的でなければなりません)。

もし、この世のすべてのルールを破ることでそれができるのなら、私はこれらのルールが破られることを望みます。

自分のクリエイティブ・チームに「写真を上部に置いて、ヘッドラインを次に、それからその下にボディ・コピーを置きなさい」とはいいたくありません。

「そうするな」ともいいたくありません。

しかし、ヘッドラインのないほうよりもあるほうがよい時もあります。

ロゴ(商品名の合成文字)がよいときも、だめなときもあるのです。

その例を、とおっしゃるんですが? 

消費者に評判の悪い製品を私が持っている、と想像してください。

さて、ロゴというのは人の名前のようなものです。

あなたがよく知っている人について私がふれると、その人に関するすべてのことがあなたの心に浮かびます。
その人がどんな人であるかを眼前に思い浮かべさせることができます。

ロゴは、ある製品に関してそれと同じことをします。

私の製品が消費者にあまりいい印象を与えておらず、しかも私がその名前を大きく誌面にのせたと考えてください。

消費者はその名前を見て、自分はその製品についてすべてを知っていると感じ、ページをめくってしまうでしょう。
私は彼を失ってしまったのです。

でも私が、非常に好奇心をそそるような考えをそこに置き、それが彼が最初に見るものだったら、彼をその興味をそそる考えからある事実のほうへ導き、つぎにこう言います。
「これがこの製品のこんにちある姿です」

私たちはここまでもってきて説得したのです。

そしてこれが非常に大切なファクトになるのです。

ですから、「いつでもロゴを」というのは間違いなのです。

じつをいえば、ある非常に大きな広告予算をもった見込み客がこんなことをいったことがありました。
「もし、この大きさのロゴをここへ置いてくれとぼくが要請したら、ビル、君はなんというかな?」

この答えには1,000万ドル以上がかかっていましたが、こう答えました。
「どうやら、私たちはあなたには向かない代理店のようですね、といいます」

長い目でみると、これが非常に健康的な広告代理店を作り上げてきたのではないかと思います。
なぜなら、私たちは自分たちの見解を守り通してきたからです。これが私たちに、自分がほんとうに正しいと信じるクリエイティブ・ワークだけをさせ、あの15%の手数料のために才能を安売りさせなかったのです。

長い間には、クライアントはあなたに、自分がどうしろといったのか忘れてしまうものです。
彼が憶えているのは、それが効果があったかどうかということだけです。


 恐らく、誰でも、ある時期に人や事件によって影響されるものと思いますが、あなたはコピーライターとしての人生で、なにかそんなことがおありですか?


バーンバック ええ、それは、もう、たくさん。私はむかし、音楽の学生でした。
そしてすばらしい個性をもった音楽の先生をもちました。
長じてその先生の手ほどきをうけるようになって、自分のものの見方というものを形作るようになりました。

あなたもお分かりのように、あなたは今まであなたの上にふりかかってきたことの結果として生じたものがあなたなのです。

だから、ここで、どれが大きな影響を与えたというようなことは私にはできません。それは、これらすべてのものの総合なのですから。

さらにいいたいのは、広告をつくるうえでの成功でもっとも重要な要素は、製品そのものだということです。

このことを十分にいう機会が、これまであまり、なかったように思います。

あるいは十分に強調することもできなかったようにおもいます。

というのは、すぐれた広告キャンペーンは悪い製品をより早く失墜させると考えているからです。 

それがよくない製品であるということを、すぐれた広告によって人びとがどんどん知ってしまうようになるからです。

重要なことのすべては、私たちが広告代理店としてクライアントといっしょにその製品をよくしようと、改良点を見つけ、大衆に欲しい気持ちを起こさせるような方法を捜し、製品に付け加えるものやチェンジを探しているわけは、製品そのものが決め手だからです。

(注:DDBは40年前に製品の改良点やこんな製品があったらいいという提案をするスタイリング部を創設している)。


なぜなら、あながそれを持っている時は、あなたが大衆にほかで買うことができないものを売ろうとしていることになるのです。

そこでいま、その利点を伝えるのに非常にうまいやり方を加えるならば、あなたはゲームに勝つことになります。

でも、あなたの腕がどんなにすばらしくとも、ない利点をつくりだすことはできないのです。

そしてもしあなたがそれをつくりだせば、たとえそれが手品のしかけにすぎなくても、いずれは落ちてしまうのです。


ですから、私たちは、広告の手品で自分をごまかそうとは決して思いません。


魔法は製品の中にあるのです。


だから、私たちはクライアントが大切だとおもうのです。
私たちがよいクライアントをもっているということは、ほんとうに幸せなことだといつも思います。

ここへ、VWビートルのこの広告が挿入されている。



不良品


このVWは船積みされませんでした。車体の1ヶ所のクロームがはがれ、しみになっているので取替えなければならないからです。およそ目につくことがないと思われほどのものですが---クルト・クローナーという検査員が発見したのです。
当社のウルフスブルグの工場では、3,389人が一つの作業にあたっています。VWを生産工程ごとに検査するために、です(日産3,000台のVWがつくられています。だから、車より検査員のほうが多いのです)。
あらゆるショック・アブソーバーがテストされます(抜き取り検査ではダメなのです)。
ウィンドーシールドも全車が検査されます。何台ものVWが、とうてい肉眼では見えないような外装のかすり疵のために不合格となりました。
最終検査がまたすごい! VWの検査員は1台ずつ車検台まで走らせていって、189のチェック・ポイントを引っぱり回し、自動ブレーキスタンドへ向けて放ちます。それで50台に1台のVWに対して”No"をいうのです。
この細部にわたる準備が他の車よりもVWを長持ちさせ、維持費を少なくさせるのです。
(中古VWが他の車に比べて高価なわけもこれです)。
私たちは不良品をもぎとります。
あなたはお値打ち品をどうぞ。




Lemon


This Volkswagen missed the boat.
The chrome strip on the glove compartment is blemished and must be replaced. Chances are you wouldn't have noticed it; Inspector Kurt Kroner did.
There are 3,389 men at our Wolfsburg factory with only one job: to inspect Volkswagens at each stage of production. (3000 Volkswagens are produced daily; there are more inspectors than cars.)
Every shock absorber is tested (spot checking won't do), every windshield is scanned.
VWs have been rejected for surface scratches barely visible to the eye.
Final inspection is really something! VW inspectors run each car off the line onto the Funktionsprufstand (car test stand), tote up 189 check points, gun ahead to the automatic brake stand, and say "no" to one VW out of fifty.
This preoccupation with detail means the VW lasts longer and requires less maintenance, by and large, than other cars. (It also means a used VW depreciates less than any other car.)
We pluck the lemons; you get the plums.


(注:「不良品」というヘッドラインにきまった秘話は、[効果的なコピー作法]([2−1])←クリック<<


 もうこの質問にはお答えになったのですが、もう少し質問させてください。
とくにこれまですばらしい成功をおさめているような人びとは、たんにその製品が嫌いだからということで、ある種の製品について書きたがらないことがままあるものですが、あなたもどの製品について、こんなことをお感じになっていらっしゃいますか?


バーンバック ええ、ご存じでしょうが---


 たばこですか?


バーンバック たばこの広告はやりません。

(注: バーンバック氏自身は50年も前から、たばこは百害あって一利なしと考えて、DDBでは広告を扱わないし、自分も吸わないが、社員が吸うことは禁じていない。しかし、幹部たちは吸わない人が多い。
ぼくはその頃は吸っていたので、取材するたびに恥ずかしかった。いまは禁煙して25年になる)。




 ものを書くということに対する考え方についてはどうですか? ただ単に製品について書くのですか? その製品の品質に逆らってまでも?


バーンバック 人間が考えていることは、かならずその人の書きものに影響すると私たちは信じています。

ご存じのように、私たちはジョンソン(大統領選挙)キャンペーンを手がけました。信じているからです。私たちは決して反対にまわることはないでしよう。
どんなにたくさんのお金を積まれても、私たちはそうしなかったでしょう。

注:この選挙キャンペーンは、VWビートルのキャンペーンに惚れたケネディ大統領が生前に、次の大統領選に出馬するときはぜひ頼むということで、民主党との約束ができていたが、あの突発的惨事で、おはちがジョンソンにまわったものの、DDBとしては約束を果たす結果になったらしい。
その後、DDBのある幹部は非公式に、あれは、わが社にしては最低の商品を広告した形になってしまった、きわめて稀な例だ、と笑って打ち明けてくれた。
懲りたDDBは、政治広告は個人で参加するのはいいが、社としてはあつかわないと決めた)。


バーンバック あなたの信じていることは、もしあなたが深く信じていれば、そしてそのことについてよく知っているならば、たとえあなたが競争相手と同じような技量を持っていなくても必ずうまくいくものなのです。

もし深い信頼と技量の両方を持っていたら、鬼に金棒です。


 バーンバックさん、あなたがこれまでに発表されたたくさんの広告の中で、ご自身のお気に入りはどれですか?


バーンバック そうですね。ご存じのようにオーバックス(衣料中心の百貨店)のキャンペーンをはじめたのは私です。そしてもう17年もこれをやっています。


ですから、これに深い愛情を感じています。たとえば、猫の広告もやりました。どれのことをいっているのか、お分かりと思いますが---。


ジョーンの秘密がわかりましてよ


彼女の話すのをお聞きになったら、あなただってきっと、この人ったら名士録に載るほどの人だなってお思いになってよ。でも、私、彼女の秘密をつかみましたことよ。ご主人が銀行家だろう---ですって? とんでもございません。銀行口座すらありませんわ。それに彼女の住んでいるあの邸宅だって抵当に入っているのよ! 想像できて? それなのにあんなにたくさんの衣装! ええ、もちろん、彼女は着こなし上手ですわ。 でも、ほんとうのところ、ミンクのストールやパリ製のスーヅや、あんなにたくさんの衣装が、ご主人の収入で買えるとお思いになれる? そこなの、私の発見は---ジェーンを尾行しましたのよ、そしたら彼女、オーバックスから出てきましたわ!


 これはコピーライターズ・ホール・オブ・フェイム(『名誉の殿堂』)入りした人たち全部に聞いてきたことなのですが、もしあなたに息子さんがあって、その子がコピーライターの仕事に入りたいといったら、あなたはなんとおっしゃいますか?


バーンバック いま、あなたに申しあげたとまったく同じことをいうでしょうね。 人間が考えていることは、かならずその人の書きものに影響すると私たちは信じています。


ご存じのように、私たちはジョンソン(大統領選挙)キャンペーンを手がけました。信じているからです。私たちは決して反対にまわることはないでしよう。どんなにたくさんのお金を積まれても、私たちはそうしなかったでしょう。


注:この選挙キャンペーンは、VWビートルの広告に惚れたケネディ大統領が生前に、次の大統領選に出馬するときはぜひ頼むということで、民主党との約束ができていたが、あの突発的惨事で、おはちがジョンソンにまわったものの、DDBとしては約束を果たす結果になったらしい。
その後、DDBのある幹部は非公式に、あれは、わが社にしては最低の商品を広告した形になってしまった、きわめて稀な例だ、と笑って打ち明けてくれた。懲りたDDBは、政治広告は個人で参加するのはいいが、社としてはあつかわないと決めた)。


(西尾忠久・訳)


東京コピーライターズクラブ訳/編『5人の広告作家』(誠文堂新光社 1966.3.23)より



明日は、ダヴィッド・オグルビーさんの連結版のための30分です。


chuukyuuからひと言共同運行者の一人---atsushi さんの「前出の分割掲示のコメントが有意義なので」との提案に従い、分割分もそのままのこしています。この連結版へのコメントも期待しています。