創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(471)レオ・バーネットが語った(4)

シカゴ派……たしかに存在していたとおもいます。この派を好む広告主もいたのです。ただ、ぼくは取材にいかなかった。


    ★   ★   ★


 この業界にはいられて以来、多くの人と話す機会があり、いろいろなライターのコピーを監修していらしたと思います。
それらの人に、なにか一本糸のようなものが認められますか?
なにかみんなに共通な質的なものが感じられますか?
それとも、コピーライターにはいろいろなタイプがいると思われますか?


バーネット 彼らにはいろいろなところからきた、いろいろなタイプがいると思うが、その中でもっとも優れているのは、すでに知られていること、信じられていることを新しい関係におくことや表現にたいする直感的鑑別力がするどい人です。

シカゴ派の広告はまあ……そういう派があるとすればの話だが……ストレートな表現をしようと努めています。

感傷的にならずに暖かみのあるものにしようとしています。

印刷媒体に関していえば、こんにち、視覚面は、かつてよりずっと重要性を増しました
……これはむろん、テレビについてもいえることですが。

もしその広告が目にとまらなかったら、なにも得られない。
まず、見られなければならない。

しかし、アートはジタバタしたり、仕掛けを細工しなくとも自然に見られるのです。


 消火栓に眼帯をはめたりするように?


バーネット まったく、あれはあからさまな仕掛けです。

もちろん、私たちはたくまざるドラマを力説してはいます。

というのは、それが市場で売られているからには、なにかその理由があるはずだし、工場でそれをつくっているからには、なにかがあはず。

それを買う消費者がひきつづいているからには、買わせるなにかがあるはずです……
それがなんであっても……仕掛けを使うより、その理由自身を印象づけるのです。
それが大きなケーキであろうと、また……                                                            


 自動車であろうと……?


バーネット そう、自動車だろうと。

数年前、精肉会社がアメリカ精肉研究所を通して広告していたころ、大成功したことがあります。

わが社にとって一つの画期的な事件でした。

私たちは肉のイメージは生ま生ましいもの、赤い肉でもっともよく表現されるべきもの、と確信しました。

しかし、会社関係の人びとは、調理していない赤い肉であらわすことなど不可能だ、まるで食欲を減退させる、というのです。

しかし、私たちは反対をとなえて、多くの調査をした結果、赤い肉は婦人たちに食欲減退させることは全くないことがわかぴました。

私たちは赤い肉ほど「肉」らしいものはないと感じたのです。

そして広告のはじめから、ふんだんに赤い肉を使いました。


しかしやがて、さらに一歩すすんだ手法に出たのです。

これはやや偶発的に起こったことなのですが、ある日、私みずからスタジオにいったとき、広告のためにたくさんの写真を取って、その日も打ち切りというときでした。

当時、私はひじょうに積極的にほんの少人数のグループで仕事をしていました。

ニューヨークのハイ・ウィリアム・スタジオにいるうち、ふと、赤い肉を赤の背景に
おいたらどんな風だろうと思ったのです。消されてしまうだろか?----ドラマティックだろうか?

これは、テレビが出現する前で、プリント・アドとして、撮っていました。


……やってみょうじやないか、ということになりました。

もう5時をすぎていました。

そこらじゅう撮影に使った肉がおいてあるなかで、私たちは、まるいステーキをとりあげ、大きな赤い厚紙の上に、ペタリとおいたのです。

そしてハイが写真をとりました。

つぎにはポーク・チャップを2つ、赤の背景でとりました。

ウィンナー・ソーセージも赤の背景にしました。


あとで、その写真を送ってきたが、まったくすごいものでした。

そこでプリント媒体用にカットし、精肉研究所の委員会へもっていったのです。

するとみんな、歓声をあげてよろこびました。

これこそたくまざるドラマだったからです。

なんの仕掛けもないドラマです。

赤の背景は仕掛け、赤にたいして赤、というのも仕掛、しかし、それはきわめて自然な演出だからです。

私たちが表現したいと思っていた肉の赤の強烈さ、生ま生ましさを十分に強めてくれました。

この赤い背景のフリート広告はずいぶん長いあいだつづきました。

これはたくまざるドラマのもっとも純粋な型です。

私たちが、過剰なさかしさやユーモアを用いないで、見いだそうとしていたのが、これなのです。

まったく自然でした。


食欲を減少してしまう
……1945年度の肉の広告のアイデアは、こんなふうに始まりました。
「私は、ニューヨークのハイ・ウィリアムス・スタジオにいるうち、ふと赤い肉を背景においたらどんな風だろうと思ったのです。消されてしまうだろうか? ドラマチックだろうか? 私はやってみようじやないかといいました」
氏はやりました。そして「赤に赤」のブリード・アド・キャソペーンが生まれました。
バーネット氏はこういっています。
「これは、たくまざるドラマのもっとも純粋な型です。私たちが過剰なさかしさやユーモアを用いないで見い出そうとしていたのがこれなのです。まったく自然でした」


研究者がいないということは、困ったことです。こんな写真1枚、カラーの現物が日本のどこにもないのですから---。

菊川淳子・訳



東京コビーライターズクラブ訳/編『5人の広告作家』(誠文堂新光社 1966.3.23)より

明日に、つづく