創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(465)[陽気な緑の巨人]の創造(了)

よく読んでみると、デラ・フェミナ氏も、さほど変わったことを言っているわけではない。
ほんのすこし、大げさなだけである。
遠まわしに、婉曲に言わないのは、学者じゃなくて、コピーライターだから。
そして、DDBに嫉妬しながら、胸を借りている。

この本の第8章、第9章は、いずれ---。


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今日の広告界では目下とても大規模なクリエイティブ革命が進行中だ。

バーンバック派、ロッサー・リーブス派、レオ・バーネット派、メリー・ウェルズ派などと、表面的な区分けをしてはいるが、実はそれほど大きな違いはない。


その手法に違いはあっても基本前提は違わない。


たとえば本物の才人であるロッサー・リーブス。
彼の手法は商品に関してひっかきまわすことができる要点を発見することである。
次にゼロにもどって、このUSP(ユニークな売り込み主張)以外は商品に関するすべてを忘れて押しまくる。


問題はどのボタンを押したら、人に他の商品の代わりにこっちの商品を買わせることができるかを発見することだ。


人びとを惹(ひ)きつける感動的なことは何か?

私がつくったプリティ・フィートと自分の足を嫌ってきた、醜く、しわだらけで、やっかいでと考えきたたいていの女性は、靴店へ行っても足のことをきまり悪がってかくしてしまう。

店員は靴を合わせてやるためには足を見なければならない。
だが彼女はその足をみせることさえ嫌う。


そこで、それがプリティ・フィートを売るための手になると考えた。


写真はカラーだったが、現物を処分してしまっているので---


体で
最も醜い部分は
どこ?


即座に「足!」ってお答えになるでのでは?
みなさん、そうなんです。
体の中でいちばん魅力のないところは足だって、多くのご婦人が思いこんでいらっしゃるんです。
だから足をかくすだけであきらめていらっしゃる。
でも、今では、美しくする方法があるんですよ。
マズマズの足にするんじゃなくって、美しい足にするんです。
ですから、 「プリティ・フィート---すてきな足」って命名しました。
「すてきな足」は、表皮を除くロ-ションです。
少しずつ指先にとって、足によくすりこんでください。毎日欠かさず----。
死んで汚い表皮が、すぐにとれてきます。
ストッキングをランさせないすべすべの足に----。あなたの体のほかのところと同じくらいセクシーでソフトな足に----。
あなたが、生まれたままの愛らしさをご披露できればと切望していらっしゃるのでしたら、喜んで試供品をお送りしますよ。
ニュージャージー州ウェイン、フェアフィールド街のケムウェイ社G2係へ、すぐにお便りください。

手法は異なるかもしれない。

私の広告は「あなたの体で一番醜い部分はどこですか?」
かなり大道香具師(やし)の語り口のような言い方だったかもしれない。

デビッド・オグルビーならこう言うかもしれない。


「あなたの足をもっとすばらしく見せるための12の方法」

レオ・バーネットは、ネブラスカ州オマハのサリー・クローセンをつかまえてこう言わせるだろう。

「生まれてこのかた30年間というもの、私の足にはほとほと手をやいてましたが、このすばらしいものがあるおかけで、私の足も美しくなりました」


私がダニエル&チャールズ広告代理店にいた頃、代理店によって電話の答え方がどういうふうに違うか、いつも議論したものだ。


これは手法の違いを如実に物語ると思う。


ベイツに電話すると、彼らはこう言って応えるだろう。

「もしもし、テッド・ペイッです。もしもしテッド・ペイツッ。もしもし、テッド・ペイッ!」

DDBは「グッテン・モーゲン、何をして上げましょうか?」

PKLは「パ

パパート・ケーニグ・ロイス。セックスしましょう!」
昔のPKLには反骨精神があった。
(この章、了)

おまけ。
電通は---? 博報堂---は?




明日からは、傑出したクリエイターでレオ・バーネットを崇拝し、訪問し、ひそかに師事していた志垣芳生氏によるレオ・バーネット社論[広告は信仰である](東京コピーライターズクラブ訳・編『5人の広告作家』1966.3.25より)


既出章---訳者あとがき(↓第2章1.をクリック
第2章 「スピーディ・アルカ・セルツァー」の死 (.)

第6章 クリエイティブ生活 (.)

第7章 [陽気な緑の巨人]の創造 (.6.)

ジェリー・デラ・フェミナ氏とのインタヴュー
デラ・フェミナ、トラビサノ&パートナーズ代理店 社長
1969年