創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(485)ロッサー・リーブス、広告の不変の原則(2)


リーブス方式のキャンペーンに広告賞を与えないのは不自然だと、いう人もいます。勲章かレジスターの音か---は、広告界では永遠の争点でしょう。


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 どんどん書くという意味ですか。


リーブス そうです。
そのほか、どこで学ぶというのですか、そんなところはありません。

ヘンリー・クレーやパトリック・ヘンリー時代の法律とたいへん似ています。
当時は法律学校がなく、そのため実践的な法律家のもとで法を学んだのです。

現在、コピー・ライティング技術を学ぶためには、実践的な広告家のもとで広告を学ばなければなりません。


 外部からきた人、つまり他の分野からはいってきた人が有能なコピーライターとして成功するとは思いませんか。


リーブス 思いません。
それはコピーライターが小説に手をだす、というのとおなじくらいに馬鹿らしい話です。

ヘミングウェイと競うというのですか。
これはまったく別の話ですが、シェイクスピアは悪いコピーライターでしょう。
ヘミングウェイも、そして、ドフトエフスキーもトルストイもそうです。
彼らはまったく異なった部門の専門家なのですから。


 自分自身の必要のために、ほかの分野、つまり小説家、詩人その他の著作集からコピーライターが学べると思いますか。


リーブス ただ、ヘミングウェイのように、とくにすぐれた小説家との関連においてのみ。
たまたま、私はヘミングウェイに傾倒しているからですが。


 彼は広告も書いたのですね。


リーブス そういわれています。
だが、彼があの広告を書いたのではありません。
彼はコピーを一つ書き、それが広告に使われたにすぎません。

しかし、ヘミングウェイのような活躍している小説家とコピーライターとの結合点は、いずれも英語を使っているということです。


 テクニックについていわれましたね。
テクニックについての本や講演は数多いし、著述のための公式、アイデアを得るための手順など、そのようなテクニックをおもちですか。


リーブス 質問の意味がよくわからないのですが、私がこれに関して読んだり聞いたりした本や講演など、みんなナンセンスです。


 もう少し話してください。


リーブス それはモーツァルトの場合を考えてみるのとおなじです。
モーツァルトは12才のときシンフォニーを書きました。
「あなたは、シンフォニーを書くときに、なんらかの公式をもちますか」-------


「シンフォニーを書くか、あるいは書かないかというのが問題であって、音楽の構造、法則、そして調和というワクの中で、作曲家はある程度の基本的テクニックを使わなければなりません。

もし、偉大な作品を書く作曲家と、そうでない作曲家との相違を論じているのなら、その作曲ができあがるまでの順序について作曲家に聞くのがよいと思います。

そうでなければただ時間を浪費するだけです。

作曲家はそんな手順を自分でも知らないでしょう。


 その手順について知っている人もいます。
たとえば……

リーブス あなたは別のことを話しています。
オグルビーと私はホプキンスの弟子です。


参照】クロード・ホプキンスについては、[『コピーライターの歴史』7月26日まで夏休み] ()←クリック
・[(475)オグルビー[広告を体験論的に語る] 連結クリック

[『かぶと虫の図版100選』テキスト](15)]←クリック


あなたがいう手順とは……それはどのようにしてアイデアを得るまでに到るかという問題ではありません。
それはアイデアを得た後で、いかにして表現していくかというテクニカルな方法についての問題です。


 アイデアを得ること自体が、もっとも困難な仕事です。
これはアイデアを生みだそうとして、まずぶつかる絶えることのない問題です。
たとえば保険会社など毎年、毎年、くる日でも、くる月も……


リーブス それは仕事の中でもっともむずかしいか、あるいはもっともやさしいかのどちらかです。
それは商品にもよります。

たとえば、1954年、チャールス・ホワイトとジョン・マクナマラの2人が私のオフィスにきました。
ジョンはM&Mキャンデーの社長でした。


そのとき、「広告をつづけたくない、もっと売れるアイデアが必要だ」と彼はいいました。


実際10分間話しているうちに私にはわかりましたが、広告のアイデアが商品に密着していないのです。
砂糖でくるんだチョコレートを売っているのは、米国であの会社だけです。


この点てアイデアがすぐでるはずです。
一つのアイデアを探求していないのです。アイデアをどのように取りあげ、広告にいれていくか、問題はそれだけです。
テクニックの問題に立ちいるならば広告をどのような方法で書くかであって、広告でなをいうかではないのです。


この場合、私はスクリーンの上に二つの手をおいて、
「どちらにM&Mキャンデーが入っていますか? 
こちらの手ではありません。こちらは汚れています。
こちらです。
というのはM&Mキャンデーはあなたの口の中で溶けすが、手の中でにぎっても溶けません」


口の中でとけても、にぎって溶けないという文を書くことはテクニックです。
たぶん、15くらいほかにも方法があったでしょう。


だが、これは製品特有の性質ですから、キャンペーンのアイデアです。
つまり砂糖でくるんであるので溶けないということを伝えるのは、もっともやさしいことなのです。


 そうすると、ほとんどの場合、解答は商品自身の中にあるとお考えですか?。(岡田 耕・訳


商品の中にアイデアがある----リーブス氏はM&Mキャンディのジョン・マクナマラ社長と最初に打ち合わせたときのことを思い出し10分間話し合って私はわかったのだが、この商品の広告アイデアは、商品の中にあった。これは、米国ではただ一つの、外側を砂糖で固めたチョコレート・キャンディなのだ。だから私は、両手をスクリーンにさし出して、いわせたのだ。『どちらの手にM&Mチョコレート・キャンディがあるでしょうか? こっちのくちやくちやになったほうではなく、こっちの手の方です。なぜならM&Mキャンディは、あなたの口の中では溶けますが、手の中では溶けないからです』と。
この広告キャンペーンのアイデアは、じつにカンタンなことだ。商品がもっているアイデアなのだから」


【chuukyuu補】40年ほど前でしたか、明治製菓がマーブル・チョコを新発売し、上原ゆかりちゃんに「マーブル、マーブル・・・」と謳わせましたね。M&Mとどっちが先だったんでしよう? 当時、製菓業界は、夏にはチョコレートを北海道に避暑させ、秋になると本土帰りさせたといわれていました。糖衣でくるむことで、夏も本土で売ることが可能になつたのです。まあ、味覚は別にして。その後は、クーラーの普及、冷蔵技術の進歩で、夏でもチョコレートはコンビニで買うことができます。


>>(3)に続く