創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(475)オグルビー[広告を体験論的に語る]連結


ニューヨーク84丁目の古びた褐色砂岩の家。ダヴィッド・オグルビーは、そのドアをあけて身体が痛そうにゆっくり歩きながら、奥の居間へ招きいれてくれた。

部屋の造作は英国の町屋風にしつらえてあった。壁の2面には、塵よけカバーをかけた本が幾段にも並んでおり、他の一面には3点の油絵が掛かり、みごとなつくりの炉があった。

オグルビーの説明によると、ここ数日間、背中の痛みや風邪などがいろいろ重なったため、会社を休んで家にいるとのことだった。

「仕事とおなじで、私は病気のときも3つ以上重なる」こういって顔をしかめ、「まあ、すわりませんか」とつけ加えた。部屋を横切って、フランス式高窓の近くにある広い机のそばへ案内された。机の上には紙や鉛筆が散らばり、パイプ用の大きな灰皿、会社からの報告書などもおいてあった。

こうしたものの中になかば埋もれて、この祖国を離れているスコットランド人が書いたベストセラー『ある広告人の告白』が一冊見えた。オグルビーは私に腰をおろすように手まねすると、ちょうど熱いバスの中に身を沈めるように椅子に腰掛けた。 1965.3.15号にトップをきって掲載


 アイデアを生むための方式をつくることを、多くの人が話題にしていますが、あなたはそんな方式をお持ちですか?


オグルビー アイデアを得るための方式らしいものをもっているから、イエスと答えるべきでしょう。


 広告のコピーは、他のものを書くよりもむずかしいと思いますか。


オグルビー コピーを書くむずかしさの一つは、短いということです。

印刷媒体でもテレビでもおなじです。
テレビでは100語以内です。
短いということは、すこしもやさしいことではありません。
コピーをたくさん書くと、短くタイトに書くくせがつくので、長いものを書こうとすると、えらく苦労します。


 そんな経験がおありですか。


オグルビー 自分にできるかどうか確かめたかったので、2,3年前に本を書いたのですが、そのときは800語で、もう終わりという始末だったのです。

それで、もっと長く書けるように勉強のやりなおしというわけです。これまで幾人かの優れた作家が広告のコピーを書いてみましたが、結果は失敗でした。

マルカン、ベネット、ヘミングウェイ、ショーなどが試みましたが、だめだったようです。

もちろん、優れた作家はだれでもコピーを書きたがるというわけではありません。

いいものを書くのは、なんの場合でもむずかしいものですが、いいコピーを書くのは、また容易なことではありません。
オルダス・ハクスレーだと思いますが、こんなことをいっています。

「及第点をつけられる詩を書くのは、及第点のコピーを書くよりやさしい」

私は詩人ではないので、これは私に関係ありませんが。


 一般的にいって、あなたがコピーを書くとき、広告主あるいはあなたのプランズ・ボードなどによってつくられた、基本的なルールにのっとって書こうと思いますか。それとも白紙からはじめますか。


オグルビー 基礎的なルールなしに、私はなにも書けませんが、白状すると自分自身のルールをつくるほうが好きです。
どうすればいいコピーが書けるか、私は25年前よりも、ずっとよく知っています。それは勉強もしたからですし、広告の効果についての調査も重ねられたからです。みっちり訓練しないで、いいものは書けません。


 訓練というのは自分で課したものですか。それとも外部から与えられたものですか。


オグルビー 両方です。


その点で私は幸運だったようです。というのは、私が最初のコピーを書いたのは39歳のときだったからです。

コピーライターになる前に、私は調査をやっていました。

ギャラップ博士といっしょに多くの調査をやりました。

だから私の広告へのアプローチは、調査マンという視点からだったわけです。

代理店をつくってはじめのうちは、他の仕事といっしょに、私は調査のデクターもやっていました。

金曜日に、コピーライターとしての自分のために調査メモを書くのが常でした。

月曜の朝、出社してメモを読み、その調査に関連したコピーを書いたのです。

だから私は、こうした自分自身の中の闘いをやってきたわけです。

しかし、調査結果があり、基礎的ルールがあり、ディレクトがあり、データがあっても、コピーが書けたことにはなりません。

それからドアを閉めてなにかを書かなければならないのですが、だれでもその瞬間をできるだけ先にのばそうとします。


 なぜですか。


オグルビー 私にとって、コピーを書くことは年々むずかしくなっています。

できそうもないからです。

ときにはすごくいいコピーを書きますが、書かなければならない時点では自分にまったく自信がないのです。

失敗するのではないか思ったり、アイデアがでてこないのではないかと思うのです。

たまたまいくつか有名なコピーを書いているので、事情はいっそう不利なわけです。

私がどのように優れたコピーライターであるかという記事を読むのは楽しいのですが、それがまた問題です。

というのは、自分でもいままではひじょうに優秀なコピーライターだったと思うだけに、いまでは、それほどでもなくなったのではないかと思うので。


 いつだったか、あなたは「死火山」だといったことがあるように思いますが、たしかあれは、あなたのことばですね。


オグルビー そうです。

 なぜ、そんなふうにお考えですか?なぜむかしのタッチをなくしていると、お思いですか。


オグルビー まだ完全な死火山でないにしても、むかしのように、しばしば噴火しないのは事実です。(笑い)

7年間ぐらいのあいだ、私はアイデアの固まりだったことを思いだします。

いつもいいアイデアがでて、それが印刷され、そのいくつかは、広告の歴史に残ったものです。

思い出すとあのころは、多産なライターだったと思いますが、いまはそれほどでもないようです。

現在では、マネジメントの責任が重すぎて、いいアイデアをだす時間がないのだと、自分で慰めていますが……どうも気休めです。

イデアがないのです。ときどきはでますが。


 時間はありますか?


オグルビー たっぷりあるので、多くのアイデアを考えたり、多くのコピーを書いたりもできるわけですが、私はしません。

むかしほどいいアイデアやいいコピーができないからです。その理由はいろいろありますが、一つには、私が39歳でコピーを書きはじめたとき、広告について、現在のように知らなかったのです。

訓練も不足していました。

いわば「めくら蛇に怖じず」の諺のように、広告について無知だったわけです。


【chuukyuu注】ハサウェイ・シャツの物語

また調査から来るきまったやり方も知りませんでした。
だからオリジナルな仕事がたくさんできたのだと思います。

つまり大部分のコピーライターは、私もふくめて、40代より30代のほうがいい仕事をするし、50代より40代のほうがよいということです。

50の坂をこしても多産なコピーライターはきわめてまれでしょうーー私は53歳です。


(ここでオグルビーは一息いれて、アパッチ・インディアンが首に巻くような赤いハンカチで鼻をかんだ。クラシックな型に仕立てたグレイのツィードの背広の下に、よく似合う真赤なサスペンダーをしていた)


こんなこともあります。広告やテレビのコマーシャル用にコピーを書いたり、アイデアをだしたりするために頑張らなければならないとき、しかもカラでなにも出てこないような気がするとき、いくつかの手があります。

私もそうですが、少し飲んだときにアイデアがでる人がおおぜいいます。
私は2,3杯ブランデーか、ワインを飲んだほうが、ずっと調子よく書けます。
音楽を聴いても、リラックスして書けます。
「オックスフォード引用句辞典」を15分間も見ていると、いろいろなアイデアがつぎつぎに浮かびますね。


 人によっては、書きはじめる前にちょっと儀式めいたことをやるライターがいますね。
たとえば、列車の車掌の帽子をかぶって、窓をじっと見るとか。
あなたは、音楽や2,3杯のブランデーを創造の奔流が流れるための手助けに使うといわれましたが、それは儀式的な意味でですか?


オグルビー そういうわけではありません。

とにかくいまは手紙一本さえ、オフィスでは書けないありさまです。
電話にでること、ミーティングに出席すること、他の人の仕事を見ることだけで、手いっぱいです。

書くとなれば、家でやるより他にありません---夜かウィークエンドか早朝です。
5時か6時に起きて、朝食までにいいコピーが書けたこともあります。

ここ数年、私は代理店の社長であり、現役のコピーライターとして雇われているわけではありません。

私たちの代理店には50人のコピーライターがいますから、私は気を使わなければならないのです。

私のおもな仕事の一つは、彼らにいいコピーを書かせることだと思います。
もし私がいつも彼らの中にはいって、自分でキャンペーンを書けば、担当のライターたちと競争することになり、けっして彼らにいい影響をもたらさないでしょう。

(ここでオグルビーは、ちょっと脱線して、これまでに賞をとったライターたちの評判などについて話した)


もちろん名誉殿堂のような賞を得るまでには、コピーライターとして、名を成す必要があります。
つまり一般的にいえば、コピー部門を卒業しマネジメントの人間として個室のドアに名前がでるようになるか、さもなければ、コピー以外のことで広告界で有名にならなければなりません。

名誉殿堂にはいった人たちと話せば、大部分はもう実際のコピーライターではないことがわかるでしょう。もしかつてコピーライターであったらの話ですが。

私は自分でコピーライターだと思いたいのです。「広告人名録」には、だれでも自分の伝記を書くわけですが、私は「会長」ではなく「コピーライター」と書いておきました。私はコピーライターだと思うのが好きだし、いまでも曲りなりに、そうだと思いたいのです。

ところでもう一つ。私のような立場にある人間によく起こることですが、私たちの代理店の作品ではあっても私自身は全然タッチしなかった作品について、その名誉をいつも私たちが与えられることです。

「すばらしい広告だ。だれがやったんだろう」という話になると、だれかが、オグルビーだとか、バーネットだとか、バーンバックだと答える。
これはどういうことでしょう。
知らないからです。

そうした場合の9割までは、私が自分でやったのではなく、バーネットやグリビンやバーンバックについても同様だと思います。

それは代理店のだれかがやったのであり、ひどいサギのような気がします。
他人のアイデアで名誉を受けるなどということを、故意にやるのではないのですが、成行き上そうなってしまうわけです。

これは、なんとか止めたいと思っています。

近ごろ、代理店のトップになったら、コピーを書くのは、スッパリやめたほうがいいと思うようになりました。

すごく腕の立つコピーライターだったレイモンド・ルビカムも、私が代理店をつくって間もないころ、今後は絶対にコピーを書くなといいました。

私も他の人にそういいたい。彼のいったことは正しいと思います。

(オグルビーは慎重に立ちあがって、ゆっくり部屋を横切り、炉の中のくすぶっている木を押しこんでから、椅子にもどった)


ちょっとがっかりしているのですが、1ヶ月ほど前に、自分ではすごくいいと思うコピーを書いたんです。
一生懸命やって、それを書くために半分徹夜したほどです。
傑作だと思ったのです。
現在クライアントに提出してありますが、まだOKがでていないし、どうもOKにならないらしいのです。

こんなことは、大部分のコピーライターにとって毎日のことでしょうが、私にはまったくはじめての経験です。

いままでは、書いたもの全部印刷になったからです。

だから、今後書きつづけたものかどうか迷っているのです。


 そのコピーがよすぎたためか、悪すぎたためか、どちらだと思いますか?


オグルビー クライアントが自分の会社にふさわしくないと思ったからです。

それはたぶん正しいでしょう。
私は判断できません。

自分で書いたものは、だれも判断できないものです。

ところで私は、自分で書いたコピーを、だれか少なくとも一人以上の人に十分見てもらわないうちはクライアントへだしたことはありません。

たとえば、ご存じでしょうが、ロールス・ロイスのあのコピーを書いたときは、26通りのヘッドラインをつくって、6人ほどのライターにどれがいいか選ばせました。

それから約3,500語のコピーを書き、3、4人のライターに見せて、モタモタした部分、意味不明瞭の部分をカットしました。

現在では、多くのライターたちの仕事に判断を下さなければなりませんが、ヘッドラインを1つしかもってこないときには、いらいらします。

なぜ1ダースも2ダースも見せないのだろうと思います。とにかく、私は自分の作品の質は判断できないし、だれにもできなでしょう。

自分のコピーのよし悪しが、よくわかると思っている人も少なくありませんが、私はわかりません。

参照




「時速100kmで走行中に新しいロールス・ロイスの運転席で聞くのは電気時計の音だけ」


−−こんな世界最高のロールスロイスをつくっているものは? 「手品なんか、まったく、なし---精妙で特許まみれの設計の成果です」と技術部の最高幹部は語る。−−


1. 「時速100kmで走行中、聞こえるのは電気時計の音だけ」と『ザ・モーター』誌の技術担当記者が報告しています。エンジンの静かさは不思議なほどです。 3本のマフラーが健全な状態を証明しています。


2. すべてのロールスロイス・エンジンは、搭載前に全速力でぶっつづけ7時間作動させています。エンジン搭載後の車は、異なった路面で2000km近くも試めし運転します。


3. ロールスロイスはオーナーが自分で運転する車として設計しています。 だから米国車の同クラスのものより車長が30cmも短いのです。---以上、chuukyuu


4. パワーステアリング、パワーブレーキ、自動変速レバー付きです。運転・駐車はとても簡単です。おかかえ運転手なんて必要ありません。---atsushi


5.速度計以外、胴体とフレームは金属部品で接していません。車内は完全に絶縁され、密閉されています。---fuku33


6. 組み立てられた車は、さらに一週間かけて最高の状態に仕上げられます。98もの厳しい仕上げ項目のなかでは、車軸の異音をとらえるために聴診器も登場します。---phimerdin


7.ロールスロイスは3年保証。新らしい通信網でデイーラー間が東海岸から西海岸へも部品を融通しあうので、ご不自由はおかけしません。---渡辺


8.皆さん周知のロールス・ロイスラジエーター・グリルのモノグラムRRは、唯一の例外のほかはまったく変更されていません。唯一の例外とは、1933年に逝ったロイス卿への弔意を表して、赤色から黒色に変えたときです。----kayo


9. ボディへは5回の下塗り塗装を施し、14回におよぶ上塗り塗装面は、その都度手作業でポリッシングされ(磨かれ)ます。--- 以下、cao


10. ステアリングコラムのスイッチを入れると、路面のコンディションに合うようにショックアブソーバーを調節することができます。(この車の運転中の疲労の少なさは、注目に値します)


11. もうひとつのスイッチは、リアガラスの1,360本におよぶ熱線を持つリアデフロスター(後部窓)のスイッチ。この車は2系統のベンチレーション・システムを持ち、すべてのウィンドウを閉じていても曇ることなく快適なドライブができることをお約束します。なお、エアコンはオプション装備となります。


12. シートは、履きやすい革靴を128足も造ることができる、英国製の牛革8枚で覆われています。


13. ダッシュボードの下には、フランス産クルミの合材を使用したスライド式ピクニックテーブルが収納されています。さらに、フロントシートの背面には、折りたたみ式テーブルが2枚取り付けられています。---cao+phimerdin


14. あなたはエスプレッソコーヒーマシンのような特別なオプションを手に入れることができます。口述レコーダー、ベッド、温水・冷水が選べる手洗い、そして、電気カミソリなどです。


15. あなたは運転席からペダルを踏むだけで、車体全体に注油することができます。 ダッシュボード上にはクランクケース内の油量が一目でわかるインジケータもございます。


16. 燃費がとても良く、しかもプレミアムガソリンを使う必要もありません。とても経済的です。


17. 油圧式・機械式、2系統のブレーキシステムを持っています。ロールズ・ロイスはまさしく安全で余裕のパワーを持つ車。あなたに永く褪せることのない快適な走行をお約束します。それでいて最高速度は時速100マイルを超えるのです。
※at eighty-live.の部分がわからなかったので想像で意訳しています。


18. ロールズ・ロイスの技術者は、車の点検とアドバイスのために、サービスで定期的にオーナーの元を訪れます。


19. ベントレーロールズ・ロイス社がお届けしています。 ラジエータ以外はまったく同じ技術者の手による、同じ作業によって製造されているのです。
ラジエターがよりシンプルな構造を持つためにベントレーはもう300ドル安いのです。 「ロールズ・ロイスを運転するのはちょっと気が引ける…」という方でも、ベントレーならお乗りいただけます。


プライス:この車の世界観は、この広告によって実証されたと思います。関税込み13,550ドル。もしあなたがロールズ・ロイスとベントレーでの価値あるドライビング体験をお望みなら、この紙面の一番下にあるディーラーにご連絡ください。


ロールズ・ロイス株式会社 ニューヨーク州 ニューヨーク ロックフェラービル10階




"At 60 miles an hour the loudest noise in this


new Rolls-Royce comes from the electric clock" 


What makes Rolls-Royce the best car in the world? "There is really no magic about it−−it is merely patient attention to detail," says a eminent Rolls-Royce engineer.


1. "At 60 miles an hour the loudest noise comes from the electric clock," reports the Technical Editor of THE MOTOR. The silence of the engine is uncanny. Three muffiers tune out sound frequencies - acoustically.


2. Every Rolls-Royce engine is run for seven hours at full throttle before installation. and each car is test-driven for hundreds of miles over varying road surfaces.


3. The Rolls-Royce is designed as an owner-driven car. It is eighteen inches shorter than the largest domestic cars.


4. The car has power steering. power brakes and automatic gear-shift. It is very easy to drive and to park. No chauffeur required.


5. There is no metal-to-metal contact between the body of the car and the chassis frame-except for the speedometer drive. The entire body is insulated and under-sealed.


6. The finished car spends a week in the final testshop, being fine-tuned. Here it is subjected to ninety-eight separate ordeals. For example, the engineers use a stethoscope to listen for axle-whine.


7. The Rolls-Royce is guaranteed for three years. With a new network of dealers and parts-depots from Coast to Coast, service is no longer any problem.


8. The famous Rolls-Royce radiator has never been changed, except that when Sir Henry Royce died in 1933 the monogram RR was changed from red to black.


9. The coachwork is given five coats of primer paint, and hand rubbed between each coat, before fourteen coats of finishing paint go on.


10. By moving a switch on the steering column, you can adjust the shock-absorbers to suit road conditions. (The lack of fatigue in driving this car is remarkable.)


11. Another switch defrosts the rear window, by heating a network of 1360 invisible wires in the glass. There are two separate ventilating systems, so that you can ride in comfort with all the windows closed. Air conditioning is optional.


12. The seats are upholstered with eight hides of English leather-enough to make 128 pairs of soft shoes.


13. A picnic table, veneered in French walnut, slides out from under the dash. Two more swing outbehind the front seats.


14. You can get such optional extras as an Espresso coffee-making machine, a dictating machine, a bed, hot and cold water for washing, an electric razor.


15. You can lubricate the entire chassis by simply pushing a pedal from the driver's seat. A gauge on the dash shows the level of oil in the crankcase.


16. Gasoline consumption is remarkably low and there is no need to use premium gas; a happy economy.


17. There are two separate systems of power brakes, hydraulic and mechanical. The Rolls-Royce is a very safe car-and also a very lively car. It cruises serenely at eighty-live. Top speed is in excess of 100 m.p.h.


18. Rolls-Royce engineers make periodic visits to inspect owners' motor cars and advise on service.


19. The Bentley is made by Rolls-Royce. Except for the radiators, they are identical motor cars, manufactured by the same engineers in the same works.
The Bentley costs $300 less, because its radiator is simpler to make. People who feel diffident about driving a Rolls-Royce can buy a Bentley.


PRICE. The car illustrated in this advertisement-- f.o.b. principal port of entry-costs $13,550. If you would like the rewarding experience of driving a Rolls-Royce or Bentley, get in touch with our dealer. His name is on the bottom of this page.


Rolls-Royce Inc., 10 Rockefeller Plaza, New York, N.Y.


 あなたは優れたコピーについてはっきりした考え方をもって、調査からコピーにはいったわけですが、その後、考え方は変わりましたか?


オグルビー 変わりました。

私の優れたコピーについての考え方は、大部分が調査から導きだされたもので、個人的なものではありません。

それで、いつも調査の進歩に遅れまいと務めています。

ときどき新しい事実が見つかるからです。

たとえば10年前のギャラップ調査では、テレビのCMをハッとさせるような仕掛けではじめずに、まずセールスからはじめるほうがいいとされていました。

もっともだと思われる証明があったので、それを信じその通りにやってきたわけです。

しかし、最近の調査によると、最初にハッとさせる仕掛けでまず聴視者の注目をひくほうが、効果があることがわかりました。

この点でも私の考えは変わったわけです。

しかし印刷媒体の場合、どうしたら優れた広告がつくれるかについては、ほとんど変わっていません。

とにかく、印刷媒体の広告は40年も調査が行われているので、多くの事がわかっていますが、テレビの調査は8年ばかりなのでわからないことが多いわけです。


 コピーライターとして、だれの影響を受けましたか?


オグルビー 他の人の仕事を見ていると、影響を受けるものです。
私の場合、最初はロッサー・リーブスでした。
私が1937年にはじめて米国へきたとき、広告のことをあまり知らなかったのです。

しかし興味はありました。

すぐれた広告はハイブローで気取った、文学的なものだと信じていました。

当時はブラケット・サンプル・ハマートで若手のコピーライターだったロッサーに会ったわけです。

彼は彼で、デュアン・ジョーンズやフランク・ハマートの影響を受けていました。

この2人は、ともともロード&トーマスでクロードホプキンスの部下だった人です。

ロッサーは、彼が働いている代理店でみごとに実行されていた広告哲学を、私にくわしく説明してくれました。

それから私は、ヤング&ルビカムやケニヨン&エックハートのような、注目率順位を重視する代理店に関心をもち、その影響も受けました。

もちろんこれは広告の2つの流派で、私は両方から学んだことを調和させるのに、長いあいだかかりました。

最近ではDDBのとくにプリントの仕事です。

私には新鮮に見えました。

他から得たのではなく、いわば独自の流派を創造したのだと思います。

たいへん強い印象を受けました。

私は100歳まで生きても、フォルクスワーゲンのようなキャンペーンを書けないでしょう。すばらしい広告であり、新しい扉を開いたものだと思います。


(ここでドアのベルが鳴ったので話は中断。小包みが届いたのである。しばらくのあいだオグルビーは居間のドアのそばに立って、たちこめたパイプの煙と炉の火のかすかな匂いを外にだした。それからドアを閉め椅子にもどって、痛い背中をいたわりながら腰をおろした)


私は、はっきりとした創造哲学をもっています。

大部分、調査にもとづいたものです。

はっきり定義されすぎているかもしれません。

窮屈すぎるかもしれません。そのうち、だれか若い人が私のオフィスにやってきて、「あなたの『96の創造ルール』は馬鹿げています。

そんなものは、時代遅れの調査結果にもとづいたものです。

ここに新しい調査にもとづいた96の新ルールがあります。

古いのは窓から捨てたらどうです。

もうあなたは過去の人です。私は新しいドグマ、新しい理論を書きました。

私は未来の予言者です」 こんなことが起きればいいと、いつも思っています。

起きるのではないかと思いますよ。

小さな事がらについては、私たちの代理店内ですでに起きつつあります。

これは幸運なことです。

ときには私にとって頭痛のタネですが、代理店にとってはいいことです。


 あなたの方法、コピーのスタイルは、広告以外のことから影響を受けましたか? さきほど「文学的な気取った見方」といわれましたが。


オグルビー それは、若かったころのことです。


 小説や詩から影響を受けましたか?


オグルビー いいえ。他の人は受けたかもしれませんが、私は違います。

私は詩を読むのは嫌いですし、このところ小説も読みませんね。

読むのは他のものですが、読む本は私のコピーにたいして影響がないと思います。

自分ではいまは優れたライターだと思いませんが、優れたエディターではあると信じています。

自分もふくめて、だれのコピーでも手直しできます。

だから私は書いてから何回も何回も、これならイケルと思うまでなおします。

骨の折れる仕事です。

もっと筆が立って楽々と書きこなし、そのまま通るライターがいることも知っていますが、私はそんな風にできません。

スローペースです。

一つのコピーを他のライターに見せる前に、19回書き直したこともあります。

先週、シアーズ・ローバックの仕事で37通りのヘッドラインを書きましたが、そのうち3つは、他のライターに見せて批評してもらう価値があるほどの出来ばえだったと思います。

書くことは、私にとってやさしいことではありません。


 商品によって、他の商品よりも書きやすいということはありますか?


オグルビー 個人的なインタレストを感じさせるものは、書きやすいですね。


 たとえばロールス・ロイスは、インタレストを感じさせたというわけですか?


オグルビー そうです。このアカウントを取った理由は、私が子どものころからロールス・ロイスに関心をもっていて、ぜひ書きたいと思ったからです。しかし、関心がなくて、うまく書けない商品もあります。


 たとえば?


オグルビー 化学には関心なしです。
シェル・ケミカルのアカウントをもっているので、こんなことをいうべきではありませんが---しかし、私たちの代理店には化学に関心をもっているライターが2,3人いるのでやっていけるわけです。

私がオクスフォード大学を中退したのは、もっとも初歩的な化学の試験に落第したからです。

興味がないので、ぜんぜん弱いのです。哲学も興味ありませんから、それについて書くことはできません。国家を発展させることには関心があります。たとえば、プエルト・リコです。

 あなたがいままでやった仕事のうちで、プエルト・リコのコピーがいちばん気に入っているそうですね?


オグルビー そうです。あれはいい広告だと思います。
すごくハードワークの仕事でした。本もたくさん読みました。

家に10日も閉じこもって、あのコピーだけ書いていました。

派手なところのない、コピーの多い広告です。

たしかヘッドラインは、「プエルト・リコは新興産業に100パーセント免税」だったと思います。

そして、ビアズリー・ラムルのことばとして、長いサブ・ヘッドを付けたのです。

あの仕事には、私のハートをこめてあります。

理屈の上でも、気持の上でも、全身でぶつかったからです。


chuukyuu注】じつは、オグルビー氏が一番好きだというプエルト・リコの企業優遇誘致の広告の実物をスクラップしていない。
内容からいって、経営専門誌に掲載されたのではあるまいか。
ぼくが30〜40年前に定期購読で米国から直送させていたのは『ニューヨーカー』『ライフ』『マコールス』といった一般誌、女性誌だった。
それらから何千という気になった広告とエディトリアル・ページをスクラップしていた。
オグルビー氏のプエルト・リコの文字だらけの広告を見ても、きっと、スクラップしなかったとおもう。企業進出して免税という特典(メリット)は、小さな広告制作プロダクションを創設したばかりのぼくには、興味のもちようがなかったから。
いや、プロダクションの分社をプエルト・リコにオープンする意志があったら、切り抜いたであろう。


 例を一つ話してくれませんか。


オグルビー 人によっては評判が悪かったと思うかもしれませんが、私は15年ほど前に、オースチンの自動車の広告を書いたことがあります。

ヘッドラインはこうでした。「オースチンに乗って節約したカネで、息子をグロトンへやっています。」

この例は、ある外交官の場合として書いたものです。

当時、私はワシントンのイギリス大使館をやめたばかりで、私自身が「ある外交官」だったわけです。

車はオースチンを使っていましたが、学校へやる年齢の息子がいたので、経済的なオースチンなら、乏しい中から子どもを寄宿学校へいれる余裕ができるだろうと思ったからです。

これはほんとうの話でたしかです。

最初の話にもどると、どんなコピーライターでも、興味のない場所や商品について、説得力のあるコピーを書くのは難しいことです。

不運なことに、大部分のコピーライターは仕事を選べる立場にありません。もっとも、成功して名を成した連中なら、ある程度その自由もあるでしょう。

代理店の経営者になると、自分の仕事を選べるという点ですばらしい立場です。

コピーライターに仕事を与えるときは、彼らがうんざりするアカウントでなく、感覚的に熱中できるアカウントを担当させるべきだと思います。

つまり、あなたの家族、妻、友人、ディナー・パーティーで会った人、世間一般の人に、その商品を使うように説得したいと心から思わなければ、どんなセールスもできないということです。

本気で信じていなければ、説得できるものではありません。

本当の気持と関係なく、生活のためだけでは、いいコピーは書けません。

商品を信頼することです。青くさいと思われるかもしれませんが、これはきびしい現実です。


 広告業界でのご経験から、またコピーのスーパーバイザーとしてみて、これが創造的な人間だとわかるような、はっきりした特長に気づかれましたか。実際の作品以外にですが。


オグルビー 16年間も、そうしたすべての創造的な人間に共通の特色がないものかと探しましたが、やはり見つかりません。

もし、5つか6つの特長が見つかれば、人を雇う場合にもうまくいくでしょう。たとえば、


(1)好奇心

(2)豊富なボキャブラリー

(3)視覚面に強い……


といったリストをつくり、こうした特長をもった何百人と面接して、適任者を雇うことができるはずです。しかし、共通の特色など見つかりませんし、どんな教育を受けた人が優秀なコピーライターになるかも知りませんね。

たとえば、クロード・ホプキンスの説では、大学教育を受けた者には大衆向けの広告は書けないということでしたが、これは馬鹿げています。

むしろハードワークこそ優秀なコピーライターの特質でしょうが、それも確信はありません。

当社には50人ほどいますが、一年をとおして一つでもほんとうに成功したキャンペーンがあれば、優秀な人材だと思います。これ以上はわかりません。

私の代理店では、コピーの書き方、優れたコピーライターの資質について、一般的法則を懸命に探していますが、どうもハカバカしくいきません。


 テレビのCMだけうまいライターや、印刷媒体だけうまいライターについて、どうですか?ライターは、両方とも堪能であるべきではありませんか?


オグルビー 現在では、かなり優秀なライターで、印刷媒体は全然書けない人がおおぜいいます。私の代理店の若いライターですが、テレビのCMだけはうまい人たちがいます。彼らに印刷媒体の広告を依頼すると、2、3日後にもってくる作品は、広告と呼べたシロモノではないのです。まるで広告を見たことがなく、話にだけ聞いた人が書いたような作品です。しかし、彼らは立派なテレビのライターです。しかたがありませんね。


 印刷媒体のライターたちはどうですか?


オグルビー テレビの場合とおなじです。ずっと印刷媒体をやっていて、テレビのコマーシャルを書くことにまったく関心がなく、また、できない人が多いんです。テレビもプリントもおなじようにこなせるライターはきわめて少ないでしょう。

 あなた自身はテレビよりプリントのほうが好きですか?


オグルビー (しばらく考えて)私はテレビよりプリントのほうがうまく書けますから、その限りではプリントが好きなんでしょう。

プリントの広告なら、私がこれまで書いたものの中から名前をあげれば、3つか4つは、あなたもごぞんじで認めていただける広告があるでしょう。

しかし、私が書いたテレビ・コマーシャルの中で、あなたにすぐ見分けがついて、ほめていただけるようなものはないようです。

テレビ・コマーシャルが本格的になる前に、すでに私の代理店には、私より若いライターが何人かいたので、テレビの仕事は彼らのほうにまわったようです。

しかし12年ほど前---100年も前のような気もしますが---は全盛期で、アカウントの数は現在より少ないくらいでしたが、当時15のそれぞれ異なるキャンペーンを実施していました。

そのうち14は私が直接やっていたものです。

全部プリントでした。

現在では当社がつくるキャンペーンのうち、私が書いたといえるものがはたしてあるか怪しいものです。

いずれにしろ、私自身はテレビよりも、プリントのライターだと思っています。

当社の50人のライターの中で、プリントに関して私よりうまいのは、3人を出ないでしょう。

しかし、テレビなら私よりたくみなライターが37人ほどいますね。


 「最後の将軍」の中で、あるシナリオ・ライターが作家に向かって、シナリオは「書く」のではなくて「描写する」のだ、と話す場面があります。ライターはスクリーン上のものを「書く」のではなく、「描写する」のだというわけです。この意見に同意しますか?


オグルビー その通りだと思います。

これはじっさいにあったことで、テレビ広告がつまらなかった原因でもあるのですが、テレビの前はラジオがあったわけです。

そのラジオのCMはことばです。

むかし、チャーリー・マッカーシーやフレッド・アレンが活躍し、メロドラマが流行したラジオの全盛時代には、CMはことばばかり60秒間つづいたものです。

つぎにテレビの時代になって、それまでラジオのCMを書いていた連中が、テレビのCMを書きはじめましたが、彼らが書いたのは、やはりことばでした。

効果のあることばを使うように努めたものです。

しかし間もなく、効果があるのはことばではなく、目に見えるもの、アクションだと気がつきました。

私はときどき考えるのですが、いいCMはことばとしてはじめに「これをごらんください」という2語だけで、それから、視聴者がその商品を買いに出かけようと思うような、興味深い、説得力のある画面を見せてやればいいのではないかと思うのです。

これと直接関係はありませんが、もし小説や戯曲や詩を書くのなら、概して好きなだけ時間をかけることができます。

5ヶ月後でも5年後でも、完成したら出版すればいいのです。

しかし広告では締切りがあります。

イデアを、それも優れたアイデアを、火曜の朝までに考えなければなりません。容易なことではないので、おおぜいのライターが失敗するわけです。いいコピーを急いで書かなければならないのですが、まずいコピーを急いで書く結果にもなります。

 これを避ける方法がなにかありますか?


オグルビー ときどき考えるのですが、もし私が広告主だったら、予算を蓄積して、代理店に大きなキャンペーン---調査の結果もよく、適用したいと思うどのような標準によってもすばらしいと思われるキャンペーン---をつくらせます。

月毎に、年毎に資金を小出しにしていくかわりに、広告のために蓄積した戦争資金を、どっとつぎ込みますね。

不幸にして税法のために、メーカーは広告予算を蓄積することができません。

現実の問題として、優れたコピーライターなら大部分の人が---もし私のように経営首脳陣にはいってしまっていなければ---大きな圧力の下で、恐ろしく多くの製品のために、無数のコンテやコピーを書かなければならない羽目におちいっています。

しかも、優れたライターがつくりだすことができる以上のものをつくりださねばならないのです。

とにかくやらなければなりません。

調査のワナをお話ししましょう。

ある私たちのクライアントは、まったく正当なことだと思いますが、まずテストしなければCMを電波にのせることを拒み、テストの結果のいちばんいいものを使うのです。

そのアカウント担当のコピーライターは、一つのすばらしいコマーシャルを書くかわりに、テストできるようにいくつものコマーシャルを書かねばならないということです。


 才能のある人たちの供給についてなにか?


オグルビー たいがいの代理店---すべての代理店でそうなんですが---コピーライター、腕の立つライターが不足しています。

そして優れたライターはひじょうにオーバーワークで、一つの仕事や会議から別な仕事へヨロヨロ歩きしているありさまです。

彼らは、それを火曜の午後までにやり上げ、それから、それのOKをとらなければなりません。

そんなふんい気の中で、不滅の広告を生み出すことは、たやすいことではありません。


 平凡な質問を一つさせてください。あなたが広告の仕事について知っていらっしゃることでもあり、またOBMの社長として、もしあなたの息子さんがコピーライターになりたいとしたら、どんなアドバイスをしますか?


オグルビー まず、これから広告界にはいりたいと望んでいる若者たちは、たいがいコピーを書きたいと思っていません。

たとえば、私の代理店では、ハーバード、コロンビア、ダートマス、などのビジネス・スクールから、22人の青年をとりました。

これら22人の若いビジネス・スクール出身者は、たいへん驚くべき青年たちです。

コピーライターなど一人もいません。

全部アカウント・エグゼキュティブの道を選んだのです。

それにもし私の息子が---彼は22歳ですが---私のところへきて広告をやりたい、コピーライターになりたいといったら、私は「よせ」というでしょう。

私の蔭からどうして脱けだすか、というような重大な問題から出発することになる、と彼にいうでしょう。

人びとは「親父ほどではない」とか「親父よりはいい」とかいうでしょうから。それで私は彼にいってやります。

「おまえは22歳だ。お前が最初になにか別のことをやってからでなければ、コピーライターになるべきではないと思う」

人によっては、大学をでてすぐコピーライターになる人もいますが、私の代理店にそうした人はほとんどいません。

それはむずかしいことだと思います。

前にもいったように、私は39歳のときはじめて広告を書きました。

そしてすぐ相当うまい具合にいったのです。

しかし、もしはじめにたくさんの仕事をやらなかったら、そうはいかなかったでしょう。

私は戸別訪問して、調理用ストーブのセールスをやったし、調査の仕事でも働きました。

つまり私は、最初の広告を書くにあたって、たいへんな重要な経験をもっていたのです。

しかし、もし私の息子が、コピーをどうしても書きたいといいはるなら、私は一生懸命にやるようにいいます。

椅子にすわって39もの下手くそで気の抜けた形容を書く前に、その製品を知り、それをすっかり学べといいます。

広告を読めといいます。

私は雑誌をたくさん読みます。

ずっとそうしてきましたが、記事はぜんぜん読みません。

広告を読むだけです。

私は息子に、適度に高いレベルの代理店にはいれと忠告します。

そこで彼はミッチリ訓練を受けるでしょうし、よい指導を得られるでしょう。

どれが優れた広告で、どれがそうでないかをわきまえている代理店ならばです。


 コピーに俗語を使うことはどうですか?たとえば「ウィストンのうまさ、タバコ本来のうまさ」というような使い方です。


オグルビー 私は学校で英文法を習ったことがないので、文法の規則を知りません。

「ウィストンのうまさ」のいい方が文法的に間違っているという話はよく耳にします。

しかし、なぜ間違っているのか、わかりませんね。

まったく正しいと思います。

間違いだというような人びとは、いやらしいペダントだと思います。

しかし、彼らは文法家で、私はそうでないというだけのことかもしれません。

他の人になにかさせよう、なにか買わせようと説得するときは、彼らのことば、彼らが毎日使っていることば、彼らがそのことばで考えるようなことばを使うべきです。

私の代理店では、俗語で書くように努めています。

この点でレオ・バーネットは、じつにみごとです。

ある人から聞いたのですが、バーネットは机の上に箱をそなえつけておいて、俗語に出くわすたびに、書いてその箱に入れるのだそうです。

私はあまりうまくありません。

私は外国人なので、米国の俗語については達者でないからです。

私が俗語を使ってみると、きまって失敗するのです。

しかし、他のライターの場合には感心しています---─人の人間が別の一人に話しかけるように書く能力、つまり俗語のことです。


 ちょっとおたずねしてみたいのですが、なにかアイデアを思いついたとき、それをファイルにしておく箱をおもちですか。とりとめのないアイデアを考えたことを、どのように書きとめていますか?


オグルビー オフィスに、そうしたものを入れる引き出しがあります。

またベッドの傍にメモ帳をおいて、真夜中でもなにか書いたりします。

なにか書きとめるポケット・ノートをもとうと、ここ数年思っているのですが、いつも忘れてしまうのです。

どうも効率の悪い話です。(了) 清水啓一郎氏・訳


かつて(株)オリコミがPR誌『広告美術』を刊行していました。その49号(1965.8.31)は観光広告特集で、「ツーリズム・マーケットへの理解」と題した22ページにわたる原稿を寄稿したなかに、プエルト・リコ共和国観光局が米国でだした2点の広告を紹介していました。元稿はカラーでしたが、掲載はモノクロ(『ニューヨーカー』誌からスクラップしたものなので、1960年から65年へかけてのアーカイブにカラー版があるはず。ついでにパブロ・カザルスが海辺を歩いている広告も探していただけたらうれしい。)


プエルト・リコで昨年開かれたカザロス・フェスティバルの悲痛な瞬間。カザルスは病気でした。中央のいつもの席は空っぱなしでした。





プエルト・リコの緑の楽園が子どもの発育にすばらしい環境であるわけ。この3人の地元の少女は、サン・ファン郊外の学校で、週末の乗馬レッスンを受けています。


コメント欄でお分かりのように、早速、いつものように、khalki さんが『ニューヨーカー・アーカイブ』から探してくださり、atsushi さんがurlに従って検索、メールしてくださったので、写真を入れ替えました。


さらに1点追加


パブロ・カザルスは、彼にとっては3回目になる
サン・ファン音楽祭に
プエルト・リコ「Operation Serenity」を演奏します。