創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(459)バーンバックさん、日本でのスピーチ


たまたま、DDBの重鎮アートディレクター---ビル・トウビンさんによるリヴィ・パンのポスターが数葉、資料庫の隅から出てきたので、1966年に来日、5月10日に日経ホールでスピーチしたバーンバックさん(写真)の講演記録(『日経広告手帖》1966.5.15)とともに掲示します。



 秘密は製品にある


今日、何も原稿を用意していない。
なぜならば皆さんとお話し合いをしたいからで、対話の形で話を進めたいと思う。
正しい広告についての話をするわけだが、まず第一に言いたいことは、私は毎日、広告の仕事に従事しているけれども、広告には魔術がないということだ。


魔術は何にあるかというと、それは製品にあるわけだ。
こんど私の子供が大学を卒業することになり、ある日私に電話をしてきて、自分も広告業にはいりたいのだというので、聞き返してみた。
なぜ広告業にはいりたいのかと。


彼は、自分は説得する力があるから広告をやりたいという。
そこで私は、広告で大切なことは説得する力があることではなく、説得する何物かを持っていない製品は広告はできない。


製品に魔術があれば、広告には魔術がなくとも広告はできるといった。


最初、ソニーから依頼されたとき、うれしかった。


ソニーは米国ではいちばん大きな広告主でもないし、電子業界においてもいちばん大きな会社ではない。
実際、米国には、ソニーの10倍も大きな電機関係の会社があり、何度か依頼されてきたが、断わったのである。


なぜならソニーの方がいい製品を造っているからである。
いくら偉大な広告を行なっても、悪い商品であれば、広告が偉大であればあるほど、逆にその商品を市場から失墜させてしまうような加速度をかけることになる。



 差のない品質


米国の企業は最近だんだんよい製品を造る重要性を知り始めている。 
むかしのように悪い製品を造って、それで人びとをだますことはできなくなってきた。


なるべく他社と差のついた製品を造るということを強く感じている。
そして改良をし、製品の優秀性を誇って売り込むという努力をしている。


しかしそうして企業が巨大化してくると同じような人材があり同じような研究施設がある巨大会社の製品の品質は、非常に近付いてくる。

米国の自動車業界をごらんになってもわかるように、3大メーカーの製品にあまり変わりはない。


食品会社もそうで、大きな食品メーカーの製品はほとんどその品質が同じである。


そこではじめて広告の必要性が出てくるわけだ。 少ししかない差、あるいはほとんどない差をいかにして人びとに説明するかというになる。

競争相手の品質が自分のところよりも悪かったならば、広告などは必要ない。

私は別に広告の悪口を言うためにこういうことを言っているわけではないが---。



 洗練された広告を



もう一つは経済が成長すればするほど、そして高度化するほど、その社会に住む人たちは洗練されてくる。
そこで広告に、高級さ、洗練さというものが求められてくる。


米国の何千何万というメーカーがいまテレビ、ラジオ、新聞などで、自分のところの製品を買いなさい、なぜならば自分のはいちばん優秀なのだからというふうに毎日繰り返している。
そこで消費者はどういうことになるかというと、それによって完全に混乱させられてしまう。


どれを信じてよいかわからない。


そして広告というものはだんだん質が悪いものだというふうになってくる。
そこで人びとはそのような広告を排除し始め、もっと洗練された広告に目を向けていくわけである。


 広告は創造


この間、私はフォーチュンのある記者に会ったときに、このように重要なビジネスのための道具があるのになんで人びとはそれをうまく利用しないのか。


いま人びとに感じるような形で、自分の商品がわかってもらうような話し方をしなければいけないのだということを話した。


ジョンソン大統領の選挙のキャンペーンも私どもの会社でやったわけだが、このときにコミュニケーションの根本的な理論として私はこういうことを言った。


正しいことを研究調査して発表することは非常に簡単である。


しかしそれをただ正しいことだから言おうということだけでは決して有効な広告にはならない。
そこには芸術的表現力を持つタレントがあってはじめて人ひとが信ぴょう性を抱いてくれる、説得力がある広告ができるのだと。


ここで洗練された高級な広告のポイントについて少し申し上げたい。
広告というのは計画を持ってやれることでもなければ、科学でも機械工学でもない。


それは芸術的能力なのである。


それはコピーライターとアーチストといった創造力のある人たちの能力を合わせてつくるわけだ。


たとえば1ページの広告をやり、そこに人が泣いている顔を画いたとしても2種類の描き方があると思う。
片方はただ泣いている顔であり、もう一つの描き方は、その泣いている顔をみると読者が自分も泣き出したくなるといった、そういう感動を受けるようなやり方で、それがつまり芸術的能力なのである。


そしてそれは指先にある。


またその能力は人間の血の中に流れているものである。
1プラス1は2であることは科学の世界ではいえる。


しかしコミュニケーションの世界、そして説得の必要な世界においては、一人の人間が何かをやったとき、何かを感動させるような形に持っていかなければいけない。


ところが皮肉なことに、こういう話をビジネスマンにしなければならないわけである。
ビジネスマンというのは生来、日常の仕事で確実性を尊ぶ。
それに広告の不確実性を説き、それがビジネスの非常に重要な道具であることを説くことはむずかしい。


 ストーリーの展開


ニューヨークの地下鉄に乗っている何人かの人は必ず『ライフ』誌をみている。 
『ライフ』誌は1ページ5万ドルの広告掲載料を取るわけだが、そのような感動を受ける広告をつくらないがために人びとはそれを見過ごしている。


ながめようともしないし、そのページにとどまろうともしない。


だから、ここで重要なことは正しいことを言うだけでなく、その正しいことをいかに人がとどまり、みてくれて、それが説得に持ち込める形でやるかということが大切なのである。


人びがラジオやテレビや新聞を買ったりするのはあなたの広告をみるためにするのではない。
毎日、世界ではいろいろな出来事、いろいろな暴力がニュースの種として伝わっている。
それに対向して人びとが目を止めてくれるような広告をつくるためには、そこに創造性と独創性、そして読者とピタリと心が合うということが必要なわけだ。


だから今日最も大切なことは、その芸術的能力である。

しかし悲しいことだが、ビジネスマンにはその芸術的能力というのがなかなかわかってもらえないのであ る。


あるぺージに広告を出して、人が逆立ちしているところを描いたとする。
人が逆立ちしている絵をかくと、たいがいの読者はそこに目を止めるでしょう。
けれども、その目をとめちた瞬間に間髪をいれず説得にまで 持ち込むことは非常にむずかしいことである。


しかし、もし、私がその広告の作成の段階でトリックを使って人を欺いたとしたならば、その読者はそれに対して嫌悪の感を抱くでしょう。
ですから、次は何をするかというと事実のストーリーを伝えなければいけない。


たとえば逆立ちしている人のポケットから物が落ちてこない。


なぜ、落ちてこないか、ということから製品につながるようなストーリーを次に展開しなければならない。


私はいままでにも何人かのクライアントになってくれる人たちに、非常に興味深く聞いてもらいながら、こういう広告の原則というものをお話しした。

しかしその方がクライアントになってくれるときに、私はよく言うのです。


私がこうして原則の話をしただけであなたがちの広告代理店をいいと思ってお使いになるのでしたら、それは間違いです。
なぜならば原則を言い、原理を言うことは非常に簡単です。


しかし、その原狐を実際にどのように実施していくか。
どのように仕上げていくかという能力は口で言った
だけではわからないはずです。
この芸術的能力を仕上げの面い表現していくかという能力は、口でいっただけではわからないはずです。


この芸術的能力を仕上げに持ち込む。
フイルムや紙のうえに現わし、それによって人びとを心から感動させ、人びとに印象づけるということの証明を私はまだ何もしていない---ということを申し上げるのである。


  ★  ★  ★


その証明の一つとして、バーンバックさんはリヴィ・ライブレッドを例に引き、スライドを映写した。


【chuukyuu注】リヴィ・パンは、1949年6月1日に創業したばかりのDDBの、オーバックスに次ぐ2番目のクライアントとなった。


 ユダヤ風パン


この会社はリヴィ・ライブレッドというパン屋さんだったが、私どもに広告を依頼してきたときは破産寸前であった。


私どもが広告の依頼を受けてから1年ほどすると、非常に売り上げが上がり、ニューヨークでいちばんたくさん食べられるライブレッドになった。


【chuukyuu注】媒体は、ほとんど地下鉄の駅貼ポスターと店頭の販促用であった。

 
この広告には「リヴィのユダヤ風ライブレッド」と書いてあるが、ここで言いたいポイントは、偉大な広告、傑出した広告はないということである。


そのときの問題と、それに関連性を待った広告をしなければいけないのであって、特別に傑出した広告はないということである。


1年後にこの広告をした。これには「ニューヨークは食べつくしている」とあるが、もし破産しそうな会社がこの広告をしたならば、信じられなかったと思う。


しかし、1年後の売り上げが上がったときにこの広告をしたればこそ、人びとは信じてくれた。
だから悪い広告は事実をいわない広告、消費者から尊敬されない広告である。


あなたは広告で事実を述べればいいのであって、消費者はその事実から演えきして、優秀な製品であるという結論を出してくれる。


だからこれは一年後にやった「ニューヨークが食べつくしている」という広告で、事実にそって言ったからこそ、心理的に抵抗を受けずに人びとに受け入れられた。


ここで話がそれるが、この広告のうたい文句は「リヴィのライブレット」であった。
私はそのときリヴィのユダヤ風ライブレッドと、《ユダヤ風》を入れろと言った。


ところがクライアントは《ユダヤ風》と入れるのを強固に反対した。なぜならばニューヨークにはユダヤ人ぎらいがたくさんいるので、その人たちに悪感情を抱かせて、これを食べてもらえなくなると恐れていたのである。


ところが、リヴィというのはユダヤの名前で避けられない事実なので、私は《ユダヤ風》ライブレッドと入れたほうがいいと、押し通した。
ユダヤ風》と入れることによって、人びとはパンの種類をこまかくしらせてくれる親切な広告であると感じとり、たくさん食べてくれるようになった。


経営が立ち直る1年間に掲出したポースター



2度おいしいリヴィ
(ほんとうのユダヤ風ライ)


artdirector Bill Taubin
copywriter Bill Bernbach & Judy Protas



おいしいサンドイッチはリヴィではじまり、リヴィで〆る
(ほんとうのユダヤ風ライ)


artdirector Bill Taubin
copywriter Bill Bernbach & Judy Protas



リヴィの6種類のパン
(どれからバターをつけますか?)


artdirector Bill Taubin
copywriter Bill Bernbach & Judy Protas



リヴィ・パン(ほんとうのユダヤ風ライ)を好きに
なるのにユダヤ系でなくっちゃという法はありません。 (同文)


artdirector Bill Taubin
copywriter Bill Bernbach & Judy Protas