創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(470)レオ・バーネットが語った(3)

70冊以上も本を出したので、いつも、冗談めかしていうのですが、「本を書く(または、作る)のは、たやすい。売るのがむつかしい」
冗談ではなく、ホンネです。
ウェブも同じ。良質のアクセスをふやすのがむつかしい。
このブログは、明日、来月、来年になっても読み返してもらえるようなコンテンツを目指しているつもりです。

先日、累計ページ・ヴューが---25万を通過しました。2年半の積み重ねの集積です。ありがとうございました。



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 個々のコピーライターについては、いかがでしょうか?
「アド・エイジ」誌や「シカゴ・トリビューン」紙やその他で見かけるのですが、特別な製品について経験のあるコピーライターを求める広告があります。

コピーライターは担当する分野に経験をもっているべきだと思われますか?


バーネット いや、一般的にいって、その必要はありません。

ある種の製品、たとえば薬品などは、なにが効いて、なにが効かないとか、含有物の科学的な知識などの裏づけと経験が大いに望まれると思います。

しかし、そのような知識や経験は、表現力、思考力、説得力のある文章に自分の考えを整頓する力、などと同じほどには重要ではないのです。

知識などは学びとることができるからです。

しかし、特殊な知識が望まれる例もいくつかあります。ある種の農産物がそれです。

ノーマン・ロックウェル氏を説き伏せた。

レオ・バーネットは1964年におけるこのシリーズにたいするコンセプト(コピーだけでいく)をすぐれたものと考えています。

彼は自分でアーリントンヘ行って気のすすまぬノーマン・ロックウェル氏にケロッグのコーンフレークのパッケージに子どもの顔をのせるシリーズをやることをすすめました。

バーネット氏の論点は、このロックウェル・スタイルは、今までのどんなものよりも人目をあびるでしょうというものでした。実際にそのとおりでした。


 コピーライターはどんな本を読むべきだとお思いになりますか? あなたの読書傾向は? 伝記とか……。


バーネット ほとんどなんでも。
いまはたくさん読む時間がないのですが。
妻も私も、趣味としてスペイン語を勉強しています。だから、私のヒマな時間はほとんどスペイン語にあてられています。


 社では、いまでも、ユピーをたくさん書いていられるのでしょう?


バーネット そんなに多くではありません。
広告に最終的にあらわれる形としては、そんなに多くは書いていません。

もっぱら指導にあたっています。

みんなを刺激したり、励ますために、アイデアの荒筋を聞いてやったり、要約のメモをつくったりしています。

私たちはギャロ・ワインの広告でちょうど、その過程にあります。昨日、午前中かかって30〜40人あつまって会合を開きました。
いままでにだされた広告のすべて、あらゆる背景について目を通しながら、ワインについて簡単な研究会をもったわけです。

それから、この週末に制作部員全員にメモを書こうと思っています。このアカウントを、いくつかの制作部門に割り当てるつもりです。

私たちは、実をむすばせるために、全体の創造性をつき合わせようというのです。
特殊な問題がおこったときに、時おりそういうことをやります。

なにか新しい仕事がくると、だれでもやりたがる、そこで、最終的にはだれの責任になるというでもなく、全員に機会を与えるわけです。


 それは、おたずねしたかったことの一つです。

個人個人の創造性の源をかき立てる方法がいくつかあると思います。

あるライターは、机の上に足をのっけてビールのコップを片手に窓の外をみつめる、とかいうぐあいに。

あなたは、なにか特別な方法をとっていらっしやいますか? 

コピーライターの立場からいかがですか?


バーネット いや、私のテクニックは、もしあるとすれば製品についての知識で頭をみたすことです。

そして売り込もうとしている消費者と実際に顔を合わせることが大切だ、と信じています。

その人たちがどうやってこれを使うか、想像し、なにが購買動機になり、なにが興味をひくのかを、彼らのことば少なく語るところから想像してみるのです。(菊川淳子・訳



東京コビーライターズクラブ訳/編『5人の広告作家』(誠文堂新光社 1966.3.23)より


>>レオ・バーネットが語った(4)に、つづく