(376)DDBへ帰ってきた人たち (2)
仲間はみんな気のおけない、いい奴ばかりだった、とりわけボスがすばらしい仁だった---不満だったのはペイだけ---それで、つい、悪魔の舌に載って出て行った。けれども、そこはなんともひどかった。クリエイティブの自由なんて、これっぽちもなかった、「DDB流は、うちのやり方じゃ、ないんだよ。ただ、やれば、うちだってDDB流もつくれますさ、といってみるために、君をひっこぬいただけなのさ」
新天地のつもりがどろ田に足をとられていた---君ならどうする。運よくDDBに出戻っても、ちょっぴり気まずい---そんなとき、ウィットとジョークたっぷりに挨拶して関門を通り抜けるコツ。
出戻りキリスト
DDB コピー・スーパバイザー ジョージ・ライク
どのくらい留守してた?
DDBへ私が戻った時、多くの人たちの風紀を乱してしまった。 ・
私のことをみんなはよく覚えていてくれて、こういったものだ。「トム、どのくらい留守してた? 1年くらいか?」
「3年以上になるね」と私。
「そんなに長かったかな? なんてこった! おれも齢とるはずだ!」
その時まで、自分はまだまだ壮年期なんだと考えていた人たちも、私の肩ごしに、死が彼らを睨みつけているのを悟ると突然気が弱くなり、意気消沈してしまうのであった。
しかし、巡廻靴磨きのフランクは、私に会えだのを喜んでくれた。
彼にはDDBへ戻った最初の日、木曜日に会った。
「どこへ行ってたんだ? そこら中捜したよ」
「フランク、ぼくは、きょう初出勤したばかりだよ」
「きょうだって? 先週の金曜日じゃなかったのかい?」
フランクの情報網は、私のよりいつも優秀だったので、彼といい争うのはやめにした。
「まだ15セントで磨いてくれるのかい?」
「15セント? おとぼけじゃないよ! そんなのは、昔の話だよ。すわりな、磨いたほうがいい」
「あっちの具合は、どうだった?」とフランク。「ベントン&ボウルズ(注:広告代理店 DDBよりも大きい)は気に入らなかったのかい? ウェルズ・リッチ・グリーン(注:メリー・ウェルズの新進の広告代理店)は、どうだった?」
「ひどいもんだよ。あそこの靴磨きは、75セントだったよ」
「ナンテコッタ!」フランクは叫んだ。
「もう片方も磨いてくれよ。フランク、今のは冗談だよ」
「J・ウォルター・トンプソンはどうだった?」と彼は尋ねた。
「J・ウォルター・トンプソンなんて、行ったこともないよ、フランク」
「行ったはずじゃないか?」
「そんなことないよ、フランク」
しかし、いたと答えたほうがよかったと、私は思った。というのは、おかげで気のない磨き方をされてしまったのだ。だれがそんな誤った情報を提供したのか。
廊下をブラブラしててくれよ
フランクのあとは、万事下り坂であった。廊下で会った副社長の一人はこういった。
「ジョージ、ここで何をしているのだい?」
「また、はいったんですよ」
「でも君は、クローン(ヘルムート 参照)と出て行くって聞いたよ」
「あれは私か3週間前に流したデマですよ。あんなの信じるバカいないと思ってましたがね」
「彼らと出て行きなよ、ジョージ」
靴磨きのフランクに私の部屋はどこか聞いとけばよかったと今にしては思うのだが、レオン・メドウ(コピー部管理部長 参照)に尋ねた。
「まだ君のための場所は取ってないんだよ、ジョージ、でも、どこかあくかもしれない。だれかが撮影か休暇で出かけるかもしれないし……あいてる部屋を捜してあげよう」
助け船を出すっもりで私はいった。「レオン。バーンバックが出かけてるけど」
「ジョージ、昔やってたみたいに、廊下をブラブラして、冷房のへんにいてくれよ。用がある時は、捜すから。昔やってたみたいにさ」
そこで数日間というもの、私は、サチ・タサカ(注:バーンバックさんの日系の秘書)の部屋に置いてあるオーバックスのショッピングバック(写真)の中をひっかき回しながら、浮動して回っていた。
3日間、こっちの個室にいたかと思うと、次の1日半はあっちの部屋へという具合で、それが続いて行った。
私はいろいろな場所を占領したが、中でもいちばん面白かったところは、部屋でない場所、いつもレオン・メドウの秘書がすわっている廊下の突き当たりのところであった。そこにかかってくる電話といったら、こらえようもなく面白いものであった。
「もしもし、メリー・アン・ペネノープ・キャベツですけど、メドウさんに私の作品をそろえてもらえるかどうか聞いていただきたいんですけど……」
「なくしてしまったそうです」と私は電話を切ってしまった。
(chuukyuu注:転職者がDDB時代の作品ポートフォリオを依頼している)
DDBのような広告じゃ通らないんだ
マルハナバチ&マルハナバチ(この社の受付には小さなハチのついた壁紙がはってあったので〔ベントン&ボウルズ社〕)の話をしてみょう。
ここは9時15分に始まって、5時15分に終業する代理店であった。私はここには長くいなかった。といっても私がこの会社にいた6ヶ月間のことをいっているのではない。それは実際とてもとても長い期間のように思えるくらいなのだから。
私は正直にオフィスに出かけたものだ。しかし一度、10分ばかり遅れそうなのに気がついた時のことだが、遅刻をしたことがとても恥ずかしかったので、私は病気と偽った。
彼らはわかってくれた。そこの会社ではたくさんの人が病気だったからだ。
しかし、仕事をしていることを見せるために、私ぱ時々広告をつくった。だが彼らはいったものだ。
「ここは違うんだぜ。DDBのような広告じゃ通らないんだ」
「そんなの珍しくもないね」と私。「DDBにしても、たくさんの人たちにしても、みんな私にそれと同じことをいったもんさ」
のちに私はしばらくほかのところにもいたが、もしそこで彼らが、私が昼飯に出かけたまま戻ってこないんじゃないかというようなことをいわなかったら、私も今でもそこにいたかもしれない。
それから私は大学に行っている娘のところへ、DDBへ戻ったことを知らせた。
「お父さん」と彼女は書いてよこした。「本当にあっちこっち動き回ったわね。家に帰ってどんな感じ、サンタクロースさん?」
ここがサンタおじさんの部屋だよ
娘は、私のことをサンタクロースだと本当に思っているわけではない。彼女が14歳になるまで、私はサンタクロースのことは彼女に話してなかったのだから。
(chuukyuu注:ライク家は ”The Season's Greetings!” 派なんろう)
とはいっても私はそういうふうにしてお金を貯めていたわけなのだが。
しかし60年代の初期のことだが、ある12月のこと、私の部屋の入口にはってある名札が取り去られ、その代わりに、わくわくするようなクリスマス調の書体で、〔サンタクロース〕と書かれた名札がぶらさげられた。そしてそれは何年もそのままであった。
よく迷ったメッセンジャーたちが、わたしの部屋へひょっこり現われて、こう言ったものだ。
「すいませんが、サンタクロースさん、ケン・ダスキンの部屋はどこでしょうか?」
DDBのある秘書は私にこう聞いたものだ。
「あなたの頭文字はSなのに、どうしてみんながジョージって呼ぶんですか?」
そしてクリスマスの時期になると、誇り高き父親化石が、その小さな子供たちを私の部屋に連れてやってきて、こういったものだ。
「ここがサンタおじさんの部屋だよ。入口にかかっているサインを見てごらん。それから灰色のひげのこの変なおじさんを見てごらん」
「赤い服はどこだろうね?」と子供たちは、ささやいたものだ。
「あの赤い鼻見てごらん」そういったものだ。
「フ、フ、フ・・・」と私は、偽善者的な上機嫌さで、笑いかけたものだ。
「何を持って行ってあげようかな、小さなお方? すてきなドラムのセットがいいかな? お父さんたちに聞かせてあげられるよ。それとも生きた子馬がいい? 800ドルの電気機関車? それとも本当に弾の出るガンがいい?」
「お父さん!」子供たちは飛び上がって喜んだものだ。「本当にぼく、あんなにもらえるの?」
「お黙りッ! スターン(注:エグゼクティブ・アート・スーパバイザー)のところへ行こう。そうすれば、すてきなサンタクロースに会えるよ」
スターンに何か起こったかは、みんなの知るところだ。そして私はここにこうしている。
そしてずっとここにいることになりそうだ。私にはまだ2、3年はすばらしい年が待ってくれる。自分が去るべき時は、私にはわかると思う。すべてのコピーライターにはわかるはずだ。まず自分の指がだめになるはずだから。ちょうどミキー・マントルとその足のようにだ。
確かにまだタイプもたたけるし、広告をつくり出すことができる。だが年がたつにつれ、ふしぶしがぎくしゃくしだし、つめは割れてきて、指はタイプライターの上をはねなくなってきてしまう。そうしたら、タイプライターをしまいこむ時がきたということなのだ。
その時こそ私が---- ( 『DDBニュース』1969年9月号より)