創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

(318) ボルボの広告(12)

第1章で書いていることは、「ボルボ社の社史」の翻訳ではありません。いろんな断片を集めてきて、推理をまじえて構成したものです。専門の著述家なら当然の作業でしょうが、コピーライターとして、そこから生まれる広告からたどっていったのですから、恐竜の…

(317) ボルボの広告(11)

『ボルボ』の本を書いていたころ---37歳から次の年にかけてですが、心がけていたこととの一つが、明快で読みやすい文章でした。コピーライターだから、とうぜん、ですね。具体的には、1行の漢字とひらかなの割合を3対7までにとどめる。できれば、2対8にもっ…

(316) ボルボの広告(10)

ブログのむずかしさを、つくづく、感じています。1日に目をとめていただけるのは6分間が限度---これが大前提。それ以上の時間を奪うのは、いくら親しくても、暴力。必然的に、コンテンツがコマギレになります。ここが本や雑誌メディアとの、大きな違い。コマ…

An interview with Mr.Edward McCabe (3)

Scali, McCabe, Sloves Inc. Vice-President, Copy Director interviewed in 1968 chuukyuu What kind of managerial talent do you think is necessary for a copywriter to open up his own agency? Mr.McCabe It depends on who you open it with. If he …

(315) ボルボの広告(9)

エド・マケイブ氏にこの時にした質問は、多くの才能のあるコピーライターとアートディレクターが、〔クリエイティブ・ブティック〕と呼ばれていた小広告代理店がオープンし、それなりに繁盛していたからです。それらの代理店が、その後どうなったかは、無責任…