創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(370)ボルボの広告(25)

ソーレン・ヴェヴレン『有閑階級の理論』(岩波文庫原敬士訳 1961)を読んだのは、40年以上も前のことです。(いまは、壁に作りつけた文庫専用棚の最上段隅にあって、床に山積みの資料類を移動しないと取り出せないので、あらためることは急にはできかねますが、たしか、ノルウェーからの移民の子で、米国の経済学者だったと記憶しています)要点は2つ。1.レジャー・クラスは見せびらかしの浪費をする。 2.レジャー・クラスは無用の知識欲が強い---当時、広告から一級品(ホンモノ)に対象を移しつつあったぼくは、ラクジァリー品の取材の視点として大いに参考にしました。いや、要点は、訳語。岩波文庫は「有閑階級」としているが「クラス」は「階層」と訳すべきだと、そのころから思っていました。



>>『ボルボ〜スウェーデンの雪と悪路が生んだ名車』目次


第4章 「世界最高の安全車」といわれるために
主任テスト技師に安全性を聞く

安全性論議の前から


あとがき




序に代えて

蛮人と弓
      

「これは、10人の蛮人の3日間の生活記録だが・・・」と前置きして、ガブリエルソン(ボルボ社創業社長)は、この話をするのを好んだ。

 10人の蛮人が森へ出かけていった。彼らのいでたちときたら、まったくの裸で、武器もなし、道具もなし---であった。
 したがって、最初の1日日は、文字どおり手あたりしだいのものを取って食べた。つまり、生産即消費の1日であった。だから、一目が終わっても、蛮人たちは、依然として貧しく、裸のままであった。

 その夜、1人の蛮人が頭領株の男の前にすすみ出て言った。
「いい考えがあります。私が弓をつくります。私たちみんなのためになるすばらしい道具です」
「つくればいいじゃないか」と頭領株の男が答えた。
「でも、そう簡単にはいかないのです」と、アイデアのある若者はつづけた。
「私がみんなといっしょに森へ行けば、私も1日分の食糧を手に入れることができます。でも、弓をつくるとなると、1日はたっぷりかかるから、森へは行けません。だから、私はみんなに面倒をみてもらうことにな屡ます。みんなは余分の食糧を取ってきてくれなければなりません。私だって、みんなと同じだけ食べたいですからね」
 頭領株の男と蛮人たちが若者の提案について考えていると、彼は、さらに言葉をつづけた。
「いや、こういうやり方もあります。みんなは、きょうと同じだけのものを取ってもいいんです。それを9人で分けないで、10等分してもいいわけです。弓をつくっているあいだ、私だって食べなければなりませんからね。つまり、みんなは、きょうより食べる量がすこし減ることにはなるけど---」。

「とんでもない話だ」と蛮人たちは叫んだ。「おまたが弓をつくるために、われわれの生活水準を下げろだなんて、ひどい話だ」

 ここまで話すと、ガブリエルソンは、いたずらっ子のように笑って、
「アイデアを思いついた若者に与える食糧をどうしたか、実は、私も知らないのですが、3日目には、彼らは弓を持って森へ出かけて行きました。彼1人がつくったのか、それとも、みんなの助けがあったのか、私は知りません。とにかく、彼らは、資本でもあり生産手段でもある弓を携えていたのです。そのときから、彼らの暮しの水準が変わったことは、いうまでもありません。弓があるので、それまでは手が届かなかった鳥を落とすこともできたからです」

 ガブリエルソンは、ここでちょっと間をとり、こう結ぶ。
「そして、この発明家の弓はどうなったでしょうね? 多分、『社会の資産として自分があずかる』と、頭領株の男が考えぶかげに宣言したに違いありません」

 この寓話は「イェシアチブと組織」の価値と必要性を暗示しているばかりでなく、ガブリエルソンという男の思想のあり方を典型的に語っている。
『社会の資産として自分があずかる』とガブリエルソンが言うとき、ボルボ社の幹部たちはいつも反対することができなかった。
 ガブリエルソソが65回目の誕生日を迎えた日。1956年の白夜の季節だが、ボルボ社の幹部たちがお金を出し合って、黄金製の小さな彫刻像をガブリエルソンに贈った。
それは、その年の5月に、30年に及ぶボルボ社長の地位を譲って、会長に就任した彼への特別のプレゼントで、矢を天に向けている蛮人の姿を形どった彫刻像であった。


レジャー階層用に
ボルボが働き者の車を
創りました。


どんなに生活に贅を尽くすことができる人たちだって、時には家財道具を運ぶこともあるはず。
世界の一流自動車メーカーのほとんどがその点を軽視しているようです。ステーションワゴンに対する興味をまるで欠いているわけです。
ボルボ265がこの手抜かりを解消しました。世界最大のトランクではリムジンに匹敵します。
でもリムジンの運転手と違い、ボルボおかかえ運転手は荷物よりも丁寧に扱われます。
フロント・シートのクッションは上下し、かしぎます。シートの背はリクライニングします。腰があたる所は「柔」にも「硬」にも調節できます。
エア・コン、オートマチック・ギアはもちろん標準装備。
静かで、スムーズで、楽な運転。
パワー・ステアリングにパワー・ブレーキ。
そして燃料噴射式の軽合金のオーバーヘッド・カム・V6エンジンはどんなにスポーツマンタイプのドライバーでも満足できる性能があります。
これだけ整った車です。当然安くはありま
せん。でもそのお金を払う気にさせるだけのすばらしさがボルボにはあります。
ボルボ265に組み込まれたすばらしい装備。
そしてそれが作り出す行動の可能性。


ボルボ265
考える人たちのための車。


掲載:『ビジネス・ウィーク』1974年3月30日号




VOLVO CREATES
A WORKING CAR FOR
THE LEISURE CLASS.


Even those who can afford life's luxuries must occasionally carry them home. A fact apparently of minor concern to practically every prestige car maker in the world. They've shown a dramatic lack of interest in station wagons.
The Volvo 265 overcomes this oversight. It can be likened to a limousine with the world's largest trunk. But unlike most limousine drivers, the Volvo chauffeur gets more consideration than his cargo.
The front seat cushions raise, lower and tilt. The seat backs recline. The area at the small of your back adjusts from "soft" to "firm."
Air conditioning and automatic transmission are standard equipment, of course.
Driving is silent, smooth and effortless.
Steering and braking are power-assisted.
And a fuel-injected, light alloy, overhead cam V-6 provides ample performance for the most sporting driver.
Quite naturally, a car this generouslyendowed does not come cheap. But when you think about it, Volvo does offer extra incentives for paying the price.
All the things we've put into the Volvo 265.
And all the things Y0l:l'll be able to.

Volvo
The car for people who think.


BusinessWeek, March 30, 1974


明日は、ボルボの広告の番外篇です。