創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(377)ボブ・ゲイジ氏のスピーチ(1)

書庫の片隅から、ロバート・ゲイジ氏が1963年にモントリオール・アートディレクターズ・クラブで行ったスピーチの草稿が出てきました。もちろん英文です。『繁栄を確約する広告代理店DDB』(誠文堂新光社 『ブレーン』別冊 1966.10.1)に訳文のみを収録し、今年(2008)の2月12日の当ブログに掲載しています。そのときは、『確約するDDB』から転載したので、英文をつけなかったと思い込みました(いま確認したら、原文をつけていました)。で、当のDDBの各地の人たち、また、新たに1960〜'70代のDDBに注目している世界中のクリエイターや研究者のために英文を掲載し、和文は後ろにつけようと思いつき、準備しました。当時、DDBのいろんな人と頻繁に交わしていた手紙も1通(1965年11月3日付)だけ残っていました(部分的に汚れていますが---)。ゲイジ氏の秘書ミズ・サンドラ・ベリスからの別件のためのものです。レター・ヘッドのデザイン見本としてご覧ください。ついでですから、ゲイジ氏のスピーチ用の草稿そのものも掲載しましょう。


A speach by Mr.Robert(Bob) Gage (1)
(at Art Directors Club of Montreal in 1963)

Mr.Robert(Bob) Gage
Doyle Dane Bernbach Inc. Senior Vice President, Head Art Director


"I love advertisements"


In order to tell you how I like to work, I have to go back to when I first met Bill Bembach. I was working for Kelly Nason, but had decided to quit. Bill was at that time, creative head of Gray. I didn't know Bi1l1 but I had heard that there was a job open and he was the man to see.


I remember the night before I had the appointment with him, I removed everything from my portfolio that showed any compromise. I left only rough comps that I had done on my own which I thought demonstrated the kind of work I wanted to do from here on in.


As I walked in to meet Bill, I had this sudden fear that perhaps the samples I had were too far out, but I still felt that if he didn't like this kind of work, he could lump it, and it was no place for me anyway. I didn't want to do anymore advertising that I couldn't believe in.


Bill went through the work, liked it, and I got the job. Before I left, we discussed the future of advertising.
How he saw it.
How I saw it.
His enthusiasm and his being so articulate had a profound effect upon me.
I had at last found someone who not just tolerated new ideas, but demanded them.
An imaginative writer who thought visually.
That started a wonderful relationship with a man which has lasted and will continue to last for a long time.


When Doyle Dane Bembach started thirteen years ago, working in teams of copywriter and art  director was practically nonexistent.
We never worked any other way. I always worked with Bill or Phyllis Robinson in those early
days. A piece of copy was never handed to me. I was never asked to make a layout that had a proconceived idea. I never got those type-written yellow papers with ugly little copywriter drawings on them. I've been very fortunate for the last thirteen years.
It seems to me there's no other way of working.


Of course, you can think alone and start an idea without havinga copywriter present, but actually thinking and conceiving an idea seems to work much better when two people who respect each other sit in the same room for a length of time and arrive at a state of sort of free association, whre the mention of one idea will lead to another idea, and then to another idea.


An art director has to ready to give up a good idea for a better one, and that goes for the copywriter, too. It also doesn't matter, it seems to me, if the copywriter comes up with the visual idea and the art director comes up with the headline.


It's a two man operation right down the line, and the credit for it being a good job should be shared. And if it's a bad job, they've got nobody to blame but themselves.
I've never really cared whether the idea sprang from the copywriter I was working with, or whether it was mine.


Sometimes, I'm put in a position of being a developer of an idea. Sometimes, my contribution is greater. I'm always amazed that I can't trace back the steps that lead to the idea, because the step that was made just before the idea was arrived at is in some foggy section of my subconscious.


Often, we are asked, do we ever get stuck or do we ever run out of ideas.
I must say in all honesty, I had never been stuck, and I have never run out of ideas. But, I must confess that I have had moments or periods in my life and of rrv career where I have
been convinced that I was becoming drained, or that I would never get an idea again.
I now have this pretty well figured out.
I think I know why this happens and I can pretty well forecast when it will happen.

(continue to tomorrow)

original manuscript for speech




私は広告が大好きだ


人生で最高の出会いが、広告の歴史を変えた


私がどれほど仕事好きであるかを知っていただくためには、初めてビル・バーンンバックに出会ったときのことをお話する必要がありそうです。
私は、ケリー・ネイソン社で働いていましたが、ちょうど辞めようと思っていたところでした。
ビルはそのころ、グレイ(広告代理店) のクリエイティブ・ヘッドでした。
私は、ビルを知りませんでしたが、ある仕事のために人が求められており、彼がその面接官であるということは聞いていました。
会う前夜のことを忘れることができません。私は、ちょっぴりでも妥協したものは、すべてポートフォリオ(作品のスクラップ)からのけました。私がやりたいと思っている種類の仕事をよく表わしていると思われるラフ・スケッチだけを残しました。
ビルに会うために部屋に入って行きながら、私は突然、今、自分が手にしているサンプルはとんでもないものではなかろうか、という恐怖におそわれてしまいました。
もし彼がこの作品を気に入らなくて、ポイと投げ捨てでもしたら、私はもう行くところがどこにもないのだと感じていました。そうなったら、広告なんか信じられなくなって止めてしまうだろうと思っていました。
ビルは、私の作品を見て、気に入ってくれ、私はその仕事を得たのです。
別れる前に、広告の将来について議論しました。
彼が広告の将来をどう見ているか。
私はどう見ているか---を。
その情熱と理解は、私に深い感銘を与えました。
ついに、新しいアイデアを寛大に扱ってくれるだけでなく、それを要求する人に出会ったのです。ビジュアルに考えることのできる想像力豊かなライターに、です。一人の男との、長い間続いた、そしてこれからも、もっと長く続くと思われるすばらしい友情がこのとき始まったのです。


イデアは、アート=コピー・セッションで高める


1949年、DDBが発足した当時の米国の広告界には、コピーライターとアートディレクターがチームで仕事をするということはとんどありませんでした。しかし私たちには、それ以外のやり方で仕事をするなど、思いもよりませんでした。当時私は、ビルかフィリス・ロビンソンといっしょに仕事をしました。一片のコピーだけが私に渡されるなんてことは、絶対にありませんでした。先入観をもったレイアウトをつくることを要求されませんでした。コピーライターの下手くそで小さな絵を添えた例の黄色い紙(注:コピーライターが使う法律用箋。大学生が講義をメモるのもこれ)を受けとることもありませんでした。
私は、この13年間(注:1963年の時点で)、ほんとうに幸福でした。仕事をするには、これ以外の方法はないように思えます。
もちろん、コピーライターといっしょでなく、1人でアイデアを練ることもできます。でも、お互いに尊敬しあう2人が、一つ部屋にすわってやるほうが、アイデアがよく湧くように思えます。そこでは、一つのアイデアについて語ることによって、もう一つのアイデアを導き出し、それがまた次のものを生みます。
アートディレクターは、もっとよいアイデアが出てきたときには、今もっているアイデアがどんなによいものでも捨てる勇気をもたなくてはなりません。コピーライターもそうです。
私は、コピーライターがビジュアル・アイデアを思いついても、アートディレクターが見出しを書いて、ちっともかまわないと思います。それは、2人の共同作業であり、その仕事の栄誉は2人で分かつべきです。またもし、その仕事がまずいものであったら、それは自分たち2人の責任でもあるのです。
私は実際、アイデアがどこから出てきたものか、気にしたことはありません。いっしょにやったコピーライターのものか、あるいは私自身のものなのか。
ときには、私がアイデアの推進者になることもあります。場合によっては、私の力のほうが大きいこともあります。ある一つのアイデアへ導いていった過程をたどってみようとしても、それができないのには、いつもあきれてしまいます。なぜなら、そのアイデアに達するまでにたどった過程は、私の意識下の中のモヤモヤとした部分にあるからです。
私たちは、あなたがたはアイデアが行きづまるとか、アイデアをきらすとかということがないのか、とよくきかれます。
正直にいって私は、一度もアイデアにつまったこともきらしたこともありません。でも、私のこれまでの仕事の中で、自分がどんどん消耗しつつある、あるいは2度とアイデアにぶち当たることがないのではないかと思った瞬間や期間があったことを、白状しなければなりません。
このごろになって私は、それがどういうことであるのか、よく分かりかけてきました
私は、なぜこれが起きるのかわかりますし、それがいつ起きるかを予見することもかなりよくできます。

(明日につづく)