創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

01-14 DDBでは、お金は第二の問題

それでは、DDBは金銭勘定を無視していたのか、ということになるわけですが、そこのところを、ゲイジ氏はこう説明しています。「便宜主義は、仕事を破壊することもあります。DDBでは、お金は第二の問題です。すぐれた作品をつくるのが第一です」 「すぐれた仕…

(15)「レイアウトを語る」ヘルムート・クローン インタヴュー(その3 了)

<<ヘルムート・クローン インタヴュー エイビスは、フォルクスワーゲンの裏返し 問い「エイビスのレイアウトについてお尋ねします。あれもまた、新しいものでしたね」 クローン「ええ。ある晩、ボブ・ゲイジ(DDBのクリエイティブ部門の責任者)と一緒に列車…

03-13 コントロールド・パーミッシブネス

ところで、幹部コピーライターの一人であるパーカー夫人は、DDBの自由を controlled permissiveness という言葉で表現しました。 chuukyuu「一度、DDBをやめて他の代理店へいらっしゃったことがありましたね」 パーカー「ええ、2年間ばかり。若かったんです…

02-13 相手を一人の人間として尊敬すること

DDBのペア・チームによる広告づくりが日本に紹介されて以来、似たような形でクリエイティブ・ワークを進めるところが出ています。中には,糸川博士のいわれるように,観念の固定化を破ろうという意味でペアを運営しているチームもありましょうが,あまりうま…

01-13 足かせを解かれた人のように…

モーゼとアロンに率いられて「アビブの月」の逾越節の日にエジプトを出た人々も、ロビンソン夫人のように「足かせを解かれ」「牢屋を飛び出た」と感じたでしょうか? それよりも、ロビンソン夫人の言葉の重要な示唆は、グレイ社(というよりも、当時のアメリ…

(14)「レイアウトを語る」ヘルムート・クローン インタヴュー(その2)

<<ヘルムート・クローン インタヴュー(その1) 『ガートルード・スタイン風』コピーの組み 問い「VWビートルの広告は、コピーの外見もかなり変わりましたね。前にも一度話したことのある《未亡人》(chuukyuu注:日本でいうクワタ…行の途中で文章が終わり、…

(13)「レイアウトを語る」ヘルムート・クローン インタヴュー(その1)

ヘルムート・クローン(Helmut Krone) 前DDBアソシエイト・クリエイティブ・ディレクター>>in English 肩書に「前」とふったのは、1969年に退社し、ケイス&クローン社を開設したから。ちなみにコー・パートナーのケイスはジーン・ケイス氏で、やはりDDBでア…

03-12 ライセンスド・フリーダム

コピー管理部長メドウ氏に初めて会った時に、私たちはこんな会話を交わしました。 西尾「DDBのクリエイティブ部門の秘密を一言で言うと、どういうことになりますか?」 メドウ「私たちは、自由を持っています。 もちろん、制限付きの自由……licenced freedomと…

02-12 流動的なペア・チーム

ですから、一人のコピーライターが三つのプロジェクトを持っている場合は、プロジェクトごとに三人のアートディレクターとペア・チームを組むわけです。 そして、そのペア・チームは多分に流動的です。 たとえば、新入社員、退社、昇格などで担当アカウント…

01-12 製品に魔術があれば…

バーンバック氏は、1966年に来日して、日経ホールで講演しました。 「きょうは正しい広告について話をするわけですが、まず第一にいいたいことは、私は毎日、広告の仕事に従事しているけれども、広告には魔術がないということです。魔術は何にあるかというと…

(12)DDBの歴史を語る

マックスウェル・デーン DDB経営担当取締役 デーン氏は、DDBの真ん中の「D」…つまり、創業者の一人です。 社内報『DDBニュース』1969年7月号掲載のデーン氏のインタヴュー記事を、『DDBドキュメント』(誠文堂新光社ブレーンブックス 1970.11.10)へ翻訳転載…