創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-13 コントロールド・パーミッシブネス

ところで、幹部コピーライターの一人であるパーカー夫人は、DDBの自由を controlled permissiveness という言葉で表現しました。
chuukyuu「一度、DDBをやめて他の代理店へいらっしゃったことがありましたね」
パーカー「ええ、2年間ばかり。若かったんです。もっとサラリーがほしかったし、肩書にもあこがれちゃって…」
chuukyuu「DDBと他の代理店との雰囲気の違い、仕事の進め方の違いなどを話してください」
パーカー「雰囲気…まさにそれなの、私がDDBに戻ってきた理由は。
他の広告代理店は、DDBから人を抜きたがります。DDBスタイルの広告をやりたくって…。
でもそれは無理というものでしょう? 
DDBからきた人間がいたからって、それでDDBスタイルの広告がつくれるはずがないわ。
DDBの雰囲気のことを考えないんですもの。DDBと同じような条件を与えないでおいて、DDBと同じような仕事を求めてもダメ」
chuukyuu「条件って?」
パーカー「他の代理店では、序列というものが強くって、上司の承認がなければ仕事が進まないようになっています。
ですから、DDBスタイルの広告を持っていっても、みんなで寄ってたって骨抜きにしてしまうの。
これにひきかえ、DDBでは、自由なやり方ができるんです。コントロールもある程度はありますけど、とても弱いものなの。
controlled permissivenessという形です。
ですから、こういう雰囲気の中で育ったDDBの人間は、他の代理店の古いしきたりにしばられると、たちまちお手上げなんです。
私も、DDBを離れていた2年間に、あちこちの代理店を回ってみたのですけれど、結局満足できなくて、またDDBにもどっちゃったんです。もどれてよかったと思っています」