コピー管理部長メドウ氏に初めて会った時に、私たちはこんな会話を交わしました。
西尾「DDBのクリエイティブ部門の秘密を一言で言うと、どういうことになりますか?」
メドウ「私たちは、自由を持っています。
もちろん、制限付きの自由……licenced freedomというべきだが……」
licencedは、あるいは「認可された」とか「許された」と訳す方がいいのかもしれません。
それから2年後、私はまたメドウ氏に質問しました。
西尾「2年前にお会いした時、『DDBにはライセンスド・フリーダムがある』とおっしゃいましたが、もう一度詳しく話してください」
メドウ「前にお会いしたとき、私がそう言ったのはどういう意味だったとかと言いますと……ここでは各ライターが自分のスタイルを持っています。そして、みんなをすべて一つのスタンダードに統一しようというようなことはありません。たとえば、初めから製作基準第7号だとか13号だとか15号だとかでやれ、というようなことはありません。
私たちは、このようなどうでもいいような基準、与件はつくらないんです。
また同時に、私たちがやっていないことは、特に私たちがあるコピーやアイデアをこれはいいとほめる場合に、今までの既存の枠を打ち破って突飛なものを持ってきた、だからこれはよくできた、という理由で、それをほめる、認めるということもやりません。
それは、結局、単なる個人的な一つの表現に過ぎないという場合があるからなんですね。
コピーライターやアートディレクターは、広告をつくる時、たとえばテレビの広告なんかの場合、やはり最も自然な形で、最もそれが当然だ、現実的だ、というものを考えるわけです。
DDBのどんな広告についても、写真でも、何か決まった型というものはありません。
たとえば、写真だけでほとんどコピーがないというような場合もあるし、またはコピーばかりだという場合もありますし、マンガ的な絵という場合もありますし、いろんなものがあります。
そこに全然外形に対しての規定というものはありません。
また、それがどのように仕上がらなきゃならないかということについても、いっさい規則はありません。
要するに問題点は、商品が売れればいいんです。どんなものであっても、このことが、いちばんの判断基準になるのです。だから、商品販売ということに直接結びつくようなものを、コピーライターなり、アートディレクターなりが採用する、ということなのです」
この人は、いつもバーンバック氏のどこかでの発言を忠実に解説するクセがあるようです。