創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-18 だれとでも気軽に話し合っている

DDBを創業した時に「足かせを解かれた人のように、牢屋を飛び出した人のように、自由を喜び合った」というロビンソン夫人に、DDBはいまでもそういう雰囲気を維持していると思うかと尋ねたところ、
DDBは、方針としてそれを大切にしています。
でも、12人しか従業員がいなかった当時と、2,000人近くの従業員がいる今との環境を全く同じにしておくことは不可能なことです。

そうなんですが、大切なもの、つまり自由であることと、どんなに突飛なアイデアであっても快く迎えること、言い換えると、クリエイティブの自由を尊重するという点では、今も昔も変わりありません。
実際、自由で創造的なアイデアの追求はやむこと知りません。
また、私たちには、お互いあとくされなく批評し合える雰囲気があります。
気心を知り合った同士だけに許されるインフォーマルな雰囲気があるからです。
あなたがこの様子をごらんになったら、きっとそれをアメリカ人気質と解釈なさるでしょう。
でも違うのです。
なぜなら、この業界のアメリカ人ですら、この雰囲気には感心するのですから。
私は、以前、インタビューの申込みをよく受けました。
そして、記者の人たちに体があくまで待ってもらったことがありました。
彼らは、その間に感じたDDBの印象をこう話してくれたものです。
『ここがすごく気に入りました。みんながみんな、楽しそうです。誰とでも気軽に話をしているんです』って。
DDBには、一対一で話のできるチャンスが、どの代理店よりあると思います。
昔はよく、堅苦しい、組織を重んじる代理店から入社してきて、DDBの雰囲気に驚いていました。
このように、自由な環境の中で、人々が手を取り合って仕事をすれば、当然、アイデアも豊富になると思います。
自由にアイデアを出せるところなのですから」