創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-03説得は感情的なものの組み合わせ

コピー管理部長のメドウ氏も、
バーンバックさんの言葉や彼の広告に関する方法論には学ぶべきものがたくさんあって、特に何かを選び出してみることは難しいですね。
 まあ、強いて言うならば、彼の広告に関する感知力は、非常に鋭いと思います。
 彼が広告というものをいかに捕らえているかということですが、彼は『広告は一つの説得である。そして、説得というものは科学ではないんだ、科学ではなくて、それはアートである』ということを言っています。
これは、彼の哲学の中で非常に印象深く残っている言葉です。」
と、バーンバック氏の中心思想をあげました。もっとも、メドウ氏は「私のコピーライティングに関する哲学は、それはすなわちDDBの哲学なのです」と言うぐらい、DDBと一体になっている人ですから、この答えは当然かも知れません。
chuukyuu「あなたがその言葉に特に共感なさる理由を話して下さい」
 
メドウ「なぜかといいますと、バーンバックさんは最新の調査というものを、調査技術というもの、これをじつにうまく取り入れているわけなんです。
取り入れるといっても、それはあくまでも一つの道具としてであって、広告を作るというプロセスに対する一つの道具にすぎないのです。
そして、広告が成功するためには説得力を持たなければならないわけですが、もしそう認めるとすれば、それに対しては、広告は非常にクリエイティブなものでなければならなくなってきますね。
ですから、どんなに大量の調査、そして化学的な技術というもがあったとしても、また、いかに人を説得するかという技術を科学的な方法が教えるとしても、しょせんは、説得というものは感情的なものしの組み合わせです。
そこには、感情、論理、あるいは非論理的なものが組み合わされてくるものであって、大部分において、説得というものは、個人と個人の間のコミュニケーションなんですね。
 ですから、こういう説得は、決して、科学または科学的だと言えるものではなくて、これは、やっぱりアート、さらには技術と呼ばれるべきものだと思います」
市川亀久弥教授は、自我の本体をエモーショナルなところにあるものとして捕らえ、大脳生理学でいうところの脳幹の部分にある自我中枢が、人間全体の行動を基本的に支配しているとし、たとえば、ある事実について論議する場合にも、エモーショナルなものが最初の位置づけをしてしまう、とおっしゃっていますが、メドウ氏のいう「説得というものは感情的なものの組み合わせ」というのも、そこのところをいっているのでしょう。