創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(562)レオン・メドウ氏とのインタヴュー (まとめ篇・下)

好きな自作は、ベター・ヴィジョン協会とフランス政府観光局(つづき)

メドウ氏「もう一つの好きな自作---フランス政府観光局のシリーズは、1959年にあつかうことになり、翌年からスタートしました」


1959年といえば、ちょうど米国VW社がクライアントとなり、VWビートルの広告シリーズによってDDBが注目を集めていたころです。
ぼくの米誌---定期購読していた『ニューヨーカー』誌と『ライフ』誌、『マコールズ』誌、さらに神田神保町古書店でほかの古雑誌類の束を買っていました---のうちの『ニューヨーカー』誌に広告がカラーで載っており、VWビートルの広告とともに切り取るのが夜なべ仕事でした。
テレビ・コマーシャルの存在は、DDBを訪問してメドウ氏をインタヴューするまで知りませんでした。


メドウ氏「好きな自作は、フランスの歴史的な名所旧跡を扱ったものです。それは、見る人に対していかにも自分もその観光の現場に居合わせているというような感じを起こさせるようにつくりました。

たとえば、カメラでベルサイユ宮殿の鏡の間を写して、そして解説が入り、『その昔、マダム・ポンピドーがダンスしたベルサイユの鏡の間を歩いてみてください』というのです。
それからシャトルへ行き、「かつて偉大な王妃がひざまづいた有名なカテドラルにひざまづく』のです。
そのほかフランスのいろんな名所旧跡が写ってジャンヌ・ダルクの記念像のあと、最後に凱旋門へくる、ということになります。

メドウ氏がもっとも気にいっている自作の一つにあげたフランス政府観光局のTV-CM


アナウンサー「ベルサイユ宮殿の有名な鏡の間であなたの姿をうつしてごらんなさい

−−−そう、マリー・アントワネットがかつてしたように。

つぎは、かつてネル王妃がひざまづいて祈りをささげたニール大聖堂にも行ってごらんなさい。

ちょっとの距離にあるシノン城へも足をのばしましょう。
フランスを救った聖女ジャンヌ・ダルクの歴史が秘められているところです。

フランスにいらっしゃい。

歴史が生きている国へ」


メドウ氏「これはとっても美しく編集されていて、視覚に訴えた時、フランスがじつに美しい国であり、さらに、フランスの華麗さの中に、あたかも招待されているかのような形式にしたのです。
しらずしらずのうちに、フランスの雰囲気の中に人を誘い入れるというような形、そのフランスの観光シーズンの中に自分自身も参加してしまう、というような趣向のものでした」


テレビという媒体は、人を現場にいるような錯覚に陥らせる魔力を秘めています。『ニューヨーカー』に載せる雑誌広告は、より知的に---たとえはピントはずれかもしれませんが、常盤新平さんも納得してしまうように語りかけるべきでしょう。

メドウ氏が担当したフランス政府観光局の雑誌広告の例



ようこそ!


コンコルド広場はゴシゴシときれいに洗われて輝いています。4つ星印のレストランのソムリエは、ことしはワインのあたり年になるだろうと言っています。そして田舎からは鵞鳥が丸々と肥っていると報告してきています。ルイ王が去って以来初めて、ベルサイユはキャンドルの灯に輝いています。ルーヴルは26のホールに劇的な古代美術を展示しています。私たちは、絵のように美しいたくさんの城を新しいホテルに改装しました。パリからニースまでの道も花で満たすように計画しています。あなたに美しい旅をしていただくためです。



パリっ子、パリに帰る---もっともふさわしいお客さまを、いま、パリへ−−−


パリは、パリっ子たちが街に戻る秋に生き返ります。レストランやビストロがほんとうに美味しいフランスの味を取り戻すのです。劇場もオペラも花やかに---芸術の秋の開場です。ファッション・シーズンの真っ只中、あらゆるものすべてが真っ盛り。しかも、夏の暑さは去りました。いまこそ、米国人をパリへ送る秋(とき)----パリっ子を知るために---生きている、ざわめいているほんとうのフランスらしさいパリを知らせる時です。



コーヒー1杯で、これだけのすばらしいショーが見られるところが、ほかにありましょうか?


この次フランスへいらっしゃる時は、旅行者であることを忘れてください。一番手近かなカフェで楽しさをともにしてください(どんなに小さな田舎町でも、きっと1軒はありますから)。
椅子を引いて靴をけとばし、通り過ぎていく世界を観察してください。
1杯のコーヒーで1日中座っていてください(ウェイターは、あなたがコーヒーを飲みにきただけではないということをちゃんと知っています)。
羊乳製チーズでブランデーを飲んでください。コニャックでチーズをちびちびかじってください。
詩か絵葉書を書いてください。真昼間に恋をしてください。
休日のすべてをフランスの舗道のカフェで過ごしてもいいんですよ。コーヒー1杯分の値段で、多くの観光者が一生かかって見るよりもっと多くのものを見ることができます。
舗道のカフェの休暇は、計画するだけでも楽しいものです。


A/D Bill Taubin
C/W Mary Wells


注:この雑誌広告のコピーは、なんと、かのメリー・ウェルズ夫人でした。彼女がDDBを去ったあと、メドウ氏が担当したようですね。ウェルズ夫人のことは"ADVERTISING - Wells, Rich, Green And Others Expand - NYTimes.com")。



DDBにおけるコピーライターの採用


chuukyuuDDBで、新しいコピーライターを採用する時のケースを話してください」


メドウ「新しい人を採用する時、経験がある、ないにかかわらず、とにかく一定の要件は同じです。
イマジネーションと新鮮なアプローチ、売ることに関してのコンセプトの力を持っていること、殊に、そのコンセプトを実行にうつす場合、これに対する信頼性のあるものをつくるかどうかということですね。
そういうことは、経験者が見ればすぐわかります。


また一方、初心者を選ぶ場合には、しっかりと厳選しなければなりません。
注意深く採点して、その中から選ばなければなりません。
これはキザっぽく聞こえるかもしれませんが、初心者というのはひとつの投資でもありますから、サラリーははじめは非常に安いんです。
でも、その人たちへはサラリーは安くしか払っていませんが、その上の監督者にとっては、その人たちを監督指導するということで大変なエネルギーを使うわけですから、会社から見れば、やはりひとつの投資ということになります。


そしていちばん初めのトレイニーという段階から、ジュニア・ライター、さらにはシニア・ライターというところまで育っていかなければなりませんね。


現在、スーパバイザーのレベルでは、サラリーは非常に高いんです。
はじめての初心者からジュニア・ライター、シニア---と段々に進んでいく間に、最初見込んだほど伸びがよくない、見込んだほどじゃなかった、にもかかわらず結果的には会社が投資してしまった、というような場合がありますね。
ですから、初めのトレイニーとして新人を採用する時には、非常に注意を払わなければなりません。
そして、その人がどれだけ伸びるかということも慎重に吟味しなければならない、で、おのずから新人採用の数はとても少なくなるということですね」


chuukyuu「よくわかります。経験者を採用する場合は?」


メドウ氏「それは、経験者のサンプルを見ます。
その経験者が以前、どのような仕事をしたかということを見るわけです。
そして、こちらが持っている一定のものさし、それに従って経験者のクリエイティブな価値というものを決めるんです。


まれなことですが、経験者を選ぶ場合に、その人があまりにも長いことよそでやってきていると、考え方その他が固定してしまっていて、DDBの方法を学ぶことができない、こちらの要求することを受け入れられない、また、考え方ややり方が固くなってしまって弾力性がなくなっている、という場合があるんです。
そういう場合は、やはりその人の採用は避けます」

メドウ氏が監督したフランス政府観光局の雑誌広告の例




注;この作品には、同一の写真で、ヘッド、ホディ・コピーとも異なったものが2点あります。ここでは掲出のものとは違う方の訳文を添えます。英文のほうは掲出分にあるコピーの方です。訳文のほうに、なぜ、こちらを選んだか、英文と読みくらべてご推察ください)。


次の休暇には、いのちの洗たくを。


魅力たっぷりのパリをあとにしましよう。
そうですね、自転車ごとフランスの列車にお乗り入れになるのも南仏への早道ですよ。
ものういばかりの太陽がいっぱいプロヴァンス地方の中心、アヴィニヨンで降りて、おだやかな陽光に焼けた町や村をドライヴなさるんですな。
このあたりは、フランスの芸術家たちの故郷、音楽がいっぱい。あなたが写す写真は印象派の絵のようです。ここでは、上着もネクタイも無用、自転車にお乗りになってもあなたの品位は保てます。ワインとチーズとブイヤベースについても学べます。恋におちてもいいんですよ。そして永久に住みつきたくなってもね。


A/D Bill Taubin
C/W Mary Wells



5年経ったら、もう見られません。


ヨーロッパでは、まだ手つかずで、洗練されてなく、雰囲気たっぷりのまま残されている場所は数すくなくなっています。フィニステールはその数少ない一つに数えられています。フランスのこの小さな断片はブルターニュの先端にあります。ここでは、婦人は正装するとき必ず白いかぶりものをつけます。高くそびえるウェディング・ケーキのような帽子で、のりでコチコチにしてあるので、強い潮風にもびくともしません。ここでは全世界がフレンチ・ブルーをしています。海も、空も、カフェも、入江も,帽子と作業服の漁夫たちも。
ここでは、漁村は漁村として存在しています。洗練された観光地ではありません。筋骨たくましい漁夫たちと仲良く朝食のペルノーをチビチビやることもできます。
まぐろのせり売りをブルターニュ語で聞くことができます。世界でもっとも面白い言葉です。小あじなブロンなカキで晩さんを摂り、ムスカデ・ワインをのんびりとあけたり、レースの手袋と木靴の買物をし、白いおもちゃのような家が点在する町をぶらつくことができます。泡立つ海で泳ぎ、巨大な岩の上でいわし網のように躰を干すことができます。本当のフランス人とその家族を知ることができます。ほんのわずかなお金であなたの人生の真実のひとときを持つことができるのです。
フィニステール仏蘭西のもっともエレガント観光ホテルや興奮を呼ぶカジノやビキニのぶらつく海岸からほんの少しはずれたところにあります。パリからほんの短いドライブか列車の旅でさけるところです。フィニステールは、きっと人びとにみつかり、変えられてしまいます。ですから、もしあなたが原始的なものや冒険に飢えているのなら---いまのうちです。

広告は科学ではなくて、アートである


chuukyuuバーンバックさんがあなたに話したことの中で最も印象的だった言葉は?」


メドウ氏バーンバックさんの言葉や広告に関する方法論には学ぶべきものがたくさんあって、特に何かを選びだしてみることは難しいんですが---。


まあ、強いていうならば、バーンバックさんの広告に対する感知力は、非常に鋭いと思います。


バーンバックさんが広告というものをいかにとらえているかということですが、バーンバックさんは、『広告は、つまるところ、説得である。そして説得というのは科学ではないんだ、科学ではなくて、それはアートである。ひとつの芸術的な技術である』と言っています。
あの方の哲学の中で、非常に印象深く残っている言葉です」


chuukyuu「その言葉に特に共感なさる理由(わけ)を話してください」


メドウ氏「なぜかといいますと、バーンバックさんは最新の調査というもの、調査技術というもの、これを実にうまく採りいれているわけです。採りいれるといっても、それはあくまで、ひとつの道具としてであって、広告をつくるというプロセスに対するひとつの道具に過ぎないのです。


広告が成功するためには、説得力を持たなければならないわけですが、もしそれを認めるとすれば、それに対しては、広告は非常にクリエイティブなものでなければなりませんね。


ですから、どんな大量の調査、そして科学的な技術というものがあったとしても、また、いかに人を説得するかという技術を科学的な方法で教えるとしても、しょせんは、説得というものは感情的なものとの組み合わせなのです。


そこには、感情、論理、あるいは非論理的なものが組み合わされてくるものであって、大部分については、説得というものは、個人個人の間のコミュニケーションなんですね。


ですから、こういう説得は、決して科学、または科学的だといえるものではにくて、これは、やっぱり、アート、更には技術と呼ばれるべきものだと思います」

メドウ氏が監督したフランス政府観光局の雑誌広告の例



スージーが何者であるか知っていたら
オーオーオー!
なんという素敵な女性でしょう!


スージー・ソリディエは、画家たちにとても大きな力を持っていました。1930年代のパリの歌手であった彼女は、一流どころのすべての画家によって描かれました。ピカソコクトー、それにスーラなどもいました。彼女を子どものように見る人もいましたし、バラのつぼみもしぼんでしまうほど美しい---と見る人もいました。
たぐいまれなコレクションのすべては、ニースやカンヌの近くオー・ド・カーシュにある中世の城の地下室にある彼女のナイトクラブにかけられています。彼女は今でもそこで歌っています。闘牛のケープをまとって年季の入ったサビのある声で。あなたがまで典型的なフランスの[地下室]へ行って、一人の歌手のすばらしいウィットを楽しんだことがないのでしたら、フランスへ旅してみる価値があります。というのは、パリ・オペラの華麗さやパリ劇場の洗練されたムードと同じように、そこにはフランスの歌手の特別の味わいがあるからです。まったくのところ、太陽がしずむんで灯のともるころ、フランスは本領を発揮しだすのです。






ここはとても色彩の豊かな町です。
ですから、少女は黒くではなく、赤く汚れるのです。


これから私たちは、この世の中であなたが一番満足できるところへご案内します。
アヴィニョンの東35マイルの丘の上にある、朽ち果てた左官のたて板のような家がつづく村---ルシヨンまでお連れするのです。とても小さな村です。これまで旅行者が行ったことのない村です。けれど、とてもたくさんの芸術家がはるばるここを見にやってくるのです。なぜならルシヨンは全くすべてが赤だからです。家も屋根も道も、そしてほこりも。子どもまでが。
ルシヨンは不思議なところです。プロヴアンスのほかのすべてと同じように。ピカソの目には青く、マチスにはオークルに、ゴッホにさえ数マイルごとに金に映ったのです。
フランスの印象派の画家たちはプロヴァンスに定住したわけです。ここは、絵画たちも住みたくなるような土地なんです。感受性の強い方なら、ぜひ、ここへいらっしゃってください。


第2、第3のバーンバック、オグルビーを期待する


chuukyuu 「最後に、米国の広告の将来というようなことで、あなたのお考えをすこし聞かせてください」


メドウ氏「いちばんむずかしい質問ですね・・・・・・私の見るところ、この広告というビジネスは、米国のビジネス社会全体が拡張拡大されるにつれ、それに伴なって、広告産業も拡大成長するであろうと思います。近い将来にしぼんでしまうようなことは考えられません。
もちろん、広告技術上の変化というものは当然あるのかもしれません。
たとえば、第2次大戦前には、広告がどんなものであったかということをふり返ってみますと、現在と比べて非常に誇大広告が多かったわけです。
誇大的な表現が、広告というもののひとつの核心をなしていました。
しかし、第2次大戦のあとは、バーンパックさん、またオグルビーさんが現われて、広告というものの全体をすっかりひっくりかえしてしまったのです。
そして、そこにひとつの新しいスタートをもたらしたのでした。
いうならば、第2、第3のバーンバック、オグルビーが近い将来に出現することを、私は期待してもいいんじゃないかと思っています。