(210) ボブ・ゲイジについて。そしてボブ・ゲイジとの会話(2)
『CA(Communication Arts)』誌 1966年 Volume2より
DDBのアート部の総帥である1921年生まれのロバート(ボブ)・ゲイジ氏は、極端に自分のことを語らない。この『CA』誌の記事により、ぼくも初めて氏の生年を知り、ジョージ・ロイスの一回り上、ヘルムート・クローンとは1歳違いと知った次第。もっとも、アート・ディレクションの才と年齢は関係ないが---。
バーンバックの語るゲイジ
バーンバックとゲイジの縁組は、2人がグレーにいた頃からのものである。当時バーンバックはクリエイティブ・スーパバイザー、ゲイジはアートディレクターで、2人はオーバックス百貨店の仕事をしていた。いまでも、あるアカウントのために、バーンバックはゲイジのレイアウト用のコピーを書いている。コピー=アート・チームのメンバーとして、社長とアートディレクターは平等の地位に立って働く。
「ドイル・デーン・バーンバック(DDB)社を設立した時、私たちが雇った始めての人がボブでした。私たちが自分たちの代理店業を始めるという噂がひろまると、たくさんのグレーの人が一緒に来たがりました。しかし、アートにボブ、コピーにフィリス・ロビンソンをとっただけでした」
(社名となった設立発起人--左からデーン、バーンバック、ドイルの3氏)
「ボブは、DDBの創造哲学の発展に大きな貢献をしてきました。彼は、彼が創った作品の絶対的な質で代理店内の人びとに影響を与えてきました。ヘッド・アートディレクター(AD)として彼はADたちに思うようにさせています」
「ボブが直接スーパバイズしたものの他のキャンペーンからもボブの意見はとてもよく求められます。ボブの作品に対する尊敬のために、ボブの言葉はとても大きな重みを持っています。ボブは未だかつて不誠実な意見を口にしたことはありません」
「人びとと仕事をする時、ボブは思いやりのある人です。ボブは破壊しないで、発展を助けます。ボブはスぺシャリストですが、そのアドバイスは大変受け入れ易いのです。人びとはボブを褒めたたえます。ボブは決してまがいものではないと人びとにはわかっています。たとえばポラロイドの『動物園に行った少女』などは、ゲイジの暖かさとユーモア、感受性の豊かさがあらわれています。個々のADには、それぞれの手法があります。しかしボブは自分自身であるにすぎません」
「ボブがしてきたのは、曲がったことがきらいでシンプルな男であることを流行にすることです。ボブは上品で尊敬されるにたるべき男---まったくの男なのです。ボブは家族に専念し、仕事以外の時間はすべて彼の夫人と息子たちとの時間にさいています。ボブには気むずかしいところはありません。好きなだけボブを観察しても、神経質なところは全然みつからないでしょう」
バーンバックも語るDDB
「DDBを設立した時のコンセプトは、『広告はアートであって、科学ではない』というものでした。どんなふうにアイデアを仕上げるかということが第一に重要なのです。正しいことを言うだけでは十分ではありません。いかに言うかなのです。
「よい広告とは、すぐれた芸術的な手腕です。科学ではなく技術は読者を動かす力をもった言葉と絵を見つけることができるのです」
「全世界にわたる調査をすることはできます。でも、それでもひどい広告をつくっているのです。事実はよい広告の始まりではありますが、決して目的ではありません。人びとがあなたが言おうとしていることを---要所を---感じとってくれなければなりません。さもなければ、あなたはあなたのお金を投げ捨てていることです」
「ゲイジが言っているように、DDBの根本原理の一つは、私たちが正しいと信じることに固執することでした。これは、横柄であったり、独断的であるということではありません。理由や論理には耳をかします。しかし、私たちが正しいと思えば、自分たちを15%といえども売り渡しません」
アナウンス「ポラロイド・カラー・パック・カメラでカラー写真を撮らないのは、自分の人生で何かをし忘れたことと同じです」
【chuukyuu注】バック・ミュージックが一部おかしくなるのは、フィルム時代に38年間、多摩美術大学のクラスで映写したために傷がついたのです。ご容赦。
参照:制作エピソード「娘の協力でできたポラロイドのCM[動物園]」
60秒 60ドル以下
ポラロイド・カラー・パック・カメラは、今ではかなり安くあなたのものになります。大きなカラー・プリントは60秒、黒白プリントなら10秒で手にできます。このお徳用型は同じすばらしいフィルムを使い、装填も同じくらい速くでき、同じEEつき。それでいて、お値段は1号機の半分。まだ欲望を抑えますか?
【参考】ビル・バーンバック氏のエッセイ
[広告はアートである 1・2・3・了][DDBの環境を語る 1・2]