創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(18)「女性アートディレクター、DDBを告発する」(1)

DDBは天国---じゃない! と声高く叫ぶのは、若き女性アートディレクター(AD)たち。自分から望んで選んだ職場のはずなのに。
社内誌『DDBニュース』1970年4月号に載った記事。同誌は全米中のDDBerに配布されている。許可を得て『DDBドキュメント』(ブレーンブックス 誠文堂新光社 1970.11.10)に翻訳・転載。
37年前といまとの、社会常識の変化も考えながらお読みを。


「女性アートディレクター、DDBを告発する」
DDBニューヨーク本社のアートディレクター(以下--ADと省略)

ジュディ・キャッツ キャロル・レイン
メイヤ・ベイタ

の3人だけが一人前のADです。この3人と、アシスタントADの、

ダイナ・クッキアー ベティ・ボーベック

に話を聞いてみました。(『DDBニュース編集長』)

◆女性ADの性格

問い「女性がADになるためには、どんな性格を持たねばならないと思いますか?」
(注:DDBでは、学卒のデザイナーは、ブルベンと呼ばれて、大部屋で命じられたデザインをこなすか、先輩ADの助手をつとめることになっている、そこで経験を積み、才能を認められるとアシスタントADに引きあげられる)。
キャロル「しっかりして心が広いこと。
ほかの人が私をどう思っているかは知らないけれど、でも、自分ではそうだと思っている」
ベティ「そうね。私も自分のことをそう思っているわ。
ところで、そう見えないかもしれないけど、私が主張を曲げようとしない時なんか、大勢の人を振り返らせたこともあるわ。
女性だということで、まるで軽く見られることもあるので、声を張りあげなければならないのよ」

問い「あなた方のソフトな話し振りも、不利でしょうね?」
ベティ「そうね」
キャロル「私は、柔らかな話し方をしないわ。
奇妙なことだけど、初めてDDBへきた時、私はしゃべらなかったのよ。こわかったの。
そして、学校にいたころに尊敬していたADやコピーライターたちに会った時のことをまだ覚えているわ。
・・・私はすわっていただけで、一言も口をきけかったの。
ましてや、バーンバックさんに初めて会った時は、すわったきり動くこともできないで、一言もしゃべれませんでした。
それがいまでは、私ときたら口を閉じることなんてできっこないんだから」

◆生来、独裁主義者だからADになった

 問い「プロとして、以前より活動的になったとか、独裁主義になったとかと思いますか?」
ジュディ「活動的にはなっていないけど、自信はついたわ。活動的って、大声で話すって意味じゃないでしょ? 
もっと微妙な線で活動的って言葉を使っていいでしょ?
だって、女性としての自分のやり方でやれば、男性以上に説得力を発揮することができるもの。
それを男性と同じ水準でやろうとすれば、うまく行きっこないわ。その時は、男性が心から憤慨するでしょうから」

メイヤ「そうよ。男性は実際に、半分男性みたいな女性をきらうわね。
でも、私は自分が十分に活動的でないことがわかったわ。
つまり、私はほかの大勢の人のように競争的でないということですけど。
それから自分のことを話すのはむずかしいことだとわかったわ。これは不利な点なんですけど。
というのは、広告の世界では、いつも自分自身を売り込むことができなきゃダメだから・・・。
初めだけじゃなく、名を成すまではずっと・・・」
キャロル「ところで、私たちが独裁主義になるのは、私たちがADだからではないと思うわ。
それは私たちが初めから私たちがもっていたものだと思うな」
問い「自分が独裁主義だと思うとおっしゃったけど、だからその性格を生かせる職業を選んだのですか?」
キャロル「そうよ、大いに生かせるわね。
でも、ほかのこともあるのよ。
コマーシャルを撮影する用意をしている時なんか。
一緒に働いている男の人を押しのけて、カメラマンとカメラに向かって、『見て、こういう風にして背恣意のよ』っていわなければならないんだもの。
初めはつらかった・・・男になったような気がして。
でも、わかるでしょ。
平等に扱われたかったら、そうしなければならないのよ。
そしてそれは、対等な立場に立つわけですから、だれかがあなたがコートを着るのを手伝ったくれるとか、タバコの火をつけてくれるとか、何かあなたに特別なことをしてくれるなんて期待できないということを意味するの。それでいいんだわ。
でも、調整しなおさなければならないことはたくさんあるわね」

◆差別待遇が、女性ADを少なくしている

問い「どうして女性のADがすくないんでしょう?」
キャロル「どこのアート・スクールでも、女性は力づけられないので、おびえているのだとおもうわ。
だから、ふつうコピーライターか主婦になるかで終わりよ」
問い「どうしてですか? どんな方法であきらめさせられるのですか?」
ティー「そう。先生たちからだけね。どんなにつらいかということと、待ち受けている差別待遇について話しながら。
スクール・オブ・ビジュアル・アーツをちゃんと卒業した女性は、私ともう一人の女の子だけよ。
そうして彼女、コピーライターになったわ。
ほとんど同数でスタートしたのよ。クラスにはたぶん15人くらいの女の子がいたわ。でも3年目の終わりには、みんな自信を失らされてしまって、私たち2人が残っただけなのよ。
私はくじけなかった。だって私は、男の人ができることはなんだってできると思ったんですもの。
今でもおもってるわ」
ダイナ「そうよ。決心しだいね。
ビジュアル・アーツの先生の何人かは困難が待ち受けているといい、野心さえもてばどんなことでもやりたいことができるといった先生もいました」

メイヤ「私はプラツト(NYの名門美術大学)出身だけど、そこで私は自信を与えられたわ。クラスには大勢の女の子がいて、卒業時にもほぼ同じ人数がいたわ。
女性に対しての偏見についてだれも何もいわなかった」
ジュディ「私もプラットでメイヤと同じ経験をしたわ。
でも、実際、ADの仕事は、女性にとって、最近の10年か12年の間に開放されたばりでしょ。
その前は、男性の分野で、ちょっと役柄が違っていたようね。
コピーライターがアイデアとヘッドラインを出し、そのあとでアートの仕事をしたものだったわ。
だからADはただの道具だったってわけ」
メイヤ「コンセプトをつくる人間として、ADがコピーライターと同等な役目を果たすようになったのは最近ね」


続く