創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(20)「女性アートディレクター、DDBを告発する」(了)

社内誌『DDBニュース』1970年4月号に載った記事を、許可をえて『DDBドキュメント』(ブレーンブックス 誠文堂新光社 1970.11.10)に翻訳・転載。


女性アートディレクター、DDBを告発する(1) (2)

◆広告の仕事が好きだから…

問い「あなたたちは、ほかのコマーシャル・アートの分野に進出しないで、なぜ、ADになろうと思ったのですか?」
ダイナ「美術館長になるつもりでしたの。美術の修士号を取りました。でも、女性がニューヨークでこの分野へはいるのは事実上不可能だと気がつきました。
その次にアート・デイレクティングのことを耳にしました。
ビジュアル・アーツ(専門学校)に通学してアート・ディレクティングの仕事を始めると、すごく気に入ってしまって、ほかのことをまたしようなんて、ぜんぜん考えもしなかたわ」
ジュディ「私が専攻したのはグラフィック・アーツと広告デザインなの。DDBにはいった時は、広告についての知識なんてまるでなかった。
でも、DDBで知識を吸収して、その上でビジュアル・アーツのコースを取ったので、鼓舞されはじめ、それがどんなに面白いかわかり始ってわけ。
したいことがほかにもあるわ。あやつり人形をつくるのと、絵を描くのが好き。でも、そういうのは実在しない職業も同然でしょ。
その反対で、広告は、伝達それ自体がとてもエキサイティングなアートだとおもうわ。
いつか、もし可能なら、コミュニティとか特別な主義…平和部隊とか、自分の信じる政治候補者のような…を手伝うのに、手法を応用したいわ。DDBの人たちがしているように」
メイヤ「自分でも楽しめることをしながら生計を立てたいと思っていました。陶器を焼いたり、絵画、演劇、ダンス、絵院゛など…すべてのビジュアル・コミュニケーションに関したものが好きです。
そして、ADの仕事が、なんらかの形でそれらにつながっていること発見したんです」
キャロル「私はしばらくの間、ファッション・イラストレーションを描いてたの。
でも、ただ家にいて、描いているだけでだれにも会うこともなかったので、そんな仕事は退屈なものだと気づいたの。
それに広告の仕事をいつも面白く思ったわ…高校当時から…。
でも、現実にはだれも勧めてくれなかったし、自分の考えもしっかりしてなかった。
20歳ぐらいの時、広告の仕事ができたらどんなにすばらしいことだろうって思ったの。
自分自身に確信を持ち始めたし、私は着想の豊かな人間で、ただものごとを視覚的に表現たりおこなったりできるという人間とは違うことに気づきはじめたのね」
ベティ「高校時代、広告業に進むべきだという人たちが周囲にいたの。今だって絵も本格的に描けるのよ。しばらくそれを本業にしたこともあるわ。
でも、私にとって、ただ絵を描くことには得るところがないので、もうやめたわ。
キャロルがいったように、外に出て、いろんな人に会って、彼らと話をして、アイデアを投げあったりできるということ…それには何か本当興奮させるものがあるわ」
キャロル「それに私たちは写真や、コマーシャルの仕事もしたいわ。
それは全く別世界よ…撮影の指示をしたり、配役をきめたり。
ご存じでしょ。
配役選びをして、男優や女優に会って…。
それから録音編集…音楽の録音と声の録音…。
こんな仕事が本当に好きよ」

◆女性だから、もっと頑張らなくっちゃ

問い「こういう種類の仕事は、時間とエネルギーがすごくとられるでしょ。あなたたちは、仕事以外に社会生活を送る時間が充分にありますか?」
ベティ「そうねえ。結婚しているんだけど、幸運なことに、夫もADなので理解があるわ。
でも、本当に時間が足りませんね。
秘書たちのように9時から5時まで働けばいいってわけではなく、自分の仕事が完成するまで働くのだから。
でも、この仕事にはいったからには、これは当然のことと思っているわ」
キャロル「そうよ。しょっちゅう缶詰よ。
たぶん、それが、男性が先に進んでしまった理由よね。
特殊なコマーシャルやキャンペーンの仕事をしている間は、ほかのことに気をとられないで、その仕事に熱中しなければならないんですもの。
デートの約束があったり、夫と会わなければならないって時に、6時になって、自分の仕事がうまく行ってなくて、12時まで働かなくてはならないとわかったら、気分を変えて迷わず仕事のほうをとらなければならないってこと。
でも、実際に遅くまで働いたり、週末に働いたりした時など、馬力をかけてとまっているので、完成したあとはスカッとした気分が味わえるわね」


【ひとりごと】

DDBの彼女たちが女性ADとして、その社会的認識度に不満を述べた時より4年前、1966年の資生堂の夏もの化粧品のハワイ・ロケのポスターで、芸大を出て資生堂へ入社2年目あたりの石岡瑛子さんが注目されていたから、もしかすると、資生堂宣伝部のほうがひらけていたのかも。

当時ととては異例の海外ロケを写真家・横須賀功光さんと企画し、アート・ディレクティングをした中村 誠さんは、「才能豊かな石岡さんだったから…」と。
モデルは前田美波里さん。


それから1975年、石岡さんはパルコのポスター、「モデルだって顔だけじゃダメなんだ」(コピー:長沢岳夫さん)とくんで、強い女性を演出した。
写真:横須賀功光さん