創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(540))女性アートディレクターたち、DDBを告発する(連結編 英文つき)


DDBは天国---じゃない! と声高く叫ぶのは、若き女性アートディレクター(AD)たち。自分から望んで選んだ職場のはずなのに。

社内誌『DDDニュース』1970年4月号に載った記事。同誌は全米中のDDBerに配布されている。許可を得て拙訳・編DDBドキュメント』ブレーンブックス 誠文堂新光社 1970.11.10に翻訳・転載。
39年前といまとの、社会常識の変化も考えながらお読みを。


     ★     ★     ★

「女性アートディレクターたち、DDBを告発する」
DDBニューヨーク本社のアートディレクター(以下--ADと省略) 

ジュディ・カッツ キャロル・レイン メイヤ・ベイタ

の3人だけが一人前のADです。この3人と、アシスタントADの、

ダイナ・クッキアー ベティ・ボーベック

に話を聞いてみました。(『DDBニュース編集長』)

◆女性ADの性格


「女性がADになるためには、どんな性格を持たねばならないと思いますか?」


(注:DDBでは、学卒のデザイナーは、ブルベンと呼ばれて、大部屋で命じられたデザインをこなすか、先輩ADの助手をつとめることになっている。そこで経験を積み、才能を認められるとアシスタントADに引きあげられる)。

キャロル「しっかりして心が広いこと。
ほかの人が私をどう思っているかは知らないけれど、でも、自分ではそうだと思っている」


ベティ「そうね。私も自分のことをそう思っているわ。
ところで、そう見えないかもしれないけど、私が主張を曲げようとしない時なんか、大勢の人を振り返らせたこともあるわ。
女性だということで、まるで軽く見られることもあるので、声を張りあげなければならないのよ」



「あなた方のソフトな話し振りも、不利でしょうね?」


ベティ「そうね」


キャロル「私は、柔らかな話し方をしないわ。
奇妙なことだけど、初めてDDBへきた時、私はしゃべらなかったのよ。こわかったの。
そして、学校にいたころに尊敬していたADやコピーライターたちに会った時のことをまだ覚えているわ。
・・・私はすわっていただけで、一言も口をきけかったの。
ましてや、バーンバックさんに初めて会った時は、すわったきり動くこともできないで、一言もしゃべれませんでした。
それがいまでは、私ときたら口を閉じることなんてできっこないんだから」

◆生来、独裁主義者だからADになった


「プロとして、以前より活動的になったとか、独裁主義になったとかと思いますか?」


ジュディ「活動的にはなっていないけど、自信はついたわ。活動的って、大声で話すって意味じゃないでしょ? 
もっと微妙な線で活動的って言葉を使っていいでしょ?
だって、女性としての自分のやり方でやれば、男性以上に説得力を発揮することができるもの。
それを男性と同じ水準でやろうとすれば、うまく行きっこないわ。その時は、男性が心から憤慨するでしょうから」


メイヤ「そうよ。男性は実際に、半分男性みたいな女性をきらうわね。
でも、私は自分が十分に活動的でないことがわかったわ。
つまり、私はほかの大勢の人のように競争的でないということですけど。
それから自分のことを話すのはむずかしいことだとわかったわ。これは不利な点なんですけど。
というのは、広告の世界では、いつも自分自身を売り込むことができなきゃダメだから・・・。
初めだけじゃなく、名を成すまではずっと・・・」


キャロル「ところで、私たちが独裁主義になるのは、私たちがADだからではないと思うわ。
それは私たちが初めから私たちがもっていたものだと思うな」


「自分が独裁主義だと思うとおっしゃったけど、だからその性格を生かせる職業を選んだのですか?」


キャロル「そうよ、大いに生かせるわね。
でも、ほかのこともあるのよ。
コマーシャルを撮影する用意をしている時なんか。
一緒に働いている男の人を押しのけて、カメラマンとカメラに向かって、『見て、こういう風にしてほしいのよ』っていわなければならないんだもの。
初めはつらかった・・・男になったような気がして。
でも、わかるでしょ。
平等に扱われたかったら、そうしなければならないのよ。
そしてそれは、対等な立場に立つわけですから、だれかがあなたがコートを着るのを手伝ったくれるとか、タバコの火をつけてくれるとか、何かあなたに特別なことをしてくれるなんて期待できないということを意味するの。それでいいんだわ。
でも、調整しなおさなければならないことはたくさんあるわね」

◆差別待遇が、女性ADを少なくしている


「なぜ、女性のADが少ないんでしょう?」


キャロル「どこのアート・スクールでも、女性は力づけられないので、おびえているのだとおもうわ。
だから、ふつうコピーライターか主婦になるかで終わりよ」


「どうしてですか? どんな方法であきらめさせられるのですか?」


ティー「そう。先生たちからだけね。どんなにつらいかということと、待ち受けている差別待遇について話しながら。
スクール・オブ・ビジュアル・アーツをちゃんと卒業した女性は、私ともう一人の女の子だけよ。
そうして彼女、コピーライターになったわ。
ほとんど同数でスタートしたのよ。クラスにはたぶん15人くらいの女の子がいたわ。でも3年目の終わりには、みんな自信を失らされてしまって、私たち2人が残っただけなのよ。
私はくじけなかった。だって私は、男の人ができることはなんだってできると思ったんですもの。
今でもおもってるわ」


ダイナ「そうよ。決心しだいね。
ビジュアル・アーツの先生の何人かは困難が待ち受けているといい、野心さえもてばどんなことでもやりたいことができるといった先生もいました」


メイヤ「私はプラツト(NYの名門美術大学)出身だけど、そこで私は自信を与えられたわ。クラスには大勢の女の子がいて、卒業時にもほぼ同じ人数がいたわ。
女性に対しての偏見についてだれも何もいわなかった」


ジュディ「私もプラットでメイヤと同じ経験をしたわ。
でも、実際、ADの仕事は、女性にとって、最近の10年か12年の間に開放されたばかりでしょ。
その前は、男性の分野で、ちょっと役柄が違っていたようね。
コピーライターがアイデアとヘッドラインを出し、そのあとでアートの仕事をしたものだったわ。
だからADはただの道具だったってわけ」


メイヤ「コンセプトをつくる人間として、ADがコピーライターと同等な役目を果たすようになったのは最近ね」

◆「君は女の子だから…」


「仕事に関してはどうですか? 偏見にあったことがありますか?」


キャロル「5年前、ほかの代理店で、この仕事をやりはじめたの。
そして、最初にいわれたことは、『君は女の子だから…あとでまたおいで…』よ。
私は何度も行ったわ。そしてついにアシスタントADとして雇ってもらった。
うれしかったから、たくさん仕事をやったわ。
でも、ADには昇格させようとはしなかった。
だから『どうして私はADになれないんでしようか?』って聞いたら、彼らは言ったのよ…ずうずうしく…『女の子だからさ』って。
そんな調子なのよ。
だからそこをやめてDDBへ来たの。
そして、DDGで初めにいわれたのも『君は女の子だよ』ってことです。
でも、とにかく私は来たのです、一本立ちのADとして……そして、それほどの偏見にはぶつかってないわ」


メイヤ「そのとおりよ。
働いている時には偏見があるわ。
アシスタントADになろうとして、DDBのブルペン(新人デザイナーの部署)仲間の男の子たちと競争していた時、いつも女の子だからという理由で、最後まで考えに入れられなかった。
そして男性は仕事の出来ばえよりも、話すことで評価されるんだとわかったわ。
ところが、相手が女の子だと、彼らは彼女のいうことを聞こうともしない傾向があるのよ。
だから仕事の時は虚勢をはらなければならないってわけ」


ジュディ「私もブルペン時代にメイヤと同じ経験をしたわ。
そして、いろんな代理店で入社時の面接で、『さて、君は女の子だから、われわれは、君が逃げ出したり、結婚して退社したり、われわれの投資をフイにしてしまうことを恐れているんだ』といわれました。
バカバカしいわ。
広告の世界って、すごく変わりやすい分野でしょ……男性にとっても女性にとっても。
君は女性だからファッション関係の広告を担当するようにっていわれたの。
これが、私がファッションの仕事から抜けたいって言った時の答えよ。すごくショックだったわ。
だってそれまでの私の仕事には全然ファッション関係のものがなかったのよ。
でも、何も変わりなし……いまだにファッション関係の仕事をしてるわ。とても奇妙なことね」

◆女だからって、ファッションの仕事を押しつけないで


「では、あなたたちは、女性はある特定の仕事にいちばん合っているとは思わないのですね? ファッションとか食品のような?」


キャロル「あら、あなた、女性にこだわりすぎてません?」


メイヤDDBのファッション関係のアカウント(お得意)の名をなんでもあげてごらんなさいな。私はみんなやってきてるわ。
でも、女性はファッションと食品のアカウントに自然につかされていると思うわ。
『自然に』というのは、女性は男性にくらべて、それに心を動かされるからよ……ウィンチェスターライフル銃には、女性は心を動かされないもの。
でも、単なるファッションとか食品は退屈ね。
女子は男子と同じことができないという意味ではなくってよ。
それはただ、たぶんファッションと食品の仕事は、女の子のほうがやりやすいかも……ということ。
女の子ならよく考える必要がないもの」


ジュディ「私は反対。衣服と食品に共鳴するのは、女の子にとって全く自然かもしれないけど、男の人のやり方のほうが、もっと面白いかもしれないじゃない?
同様に女性は男の人よりも、タイヤ車についてもっと面白い攻め方ができると思うわ。
たとえば、いま私は、モンサントの仕事をしています。
でも、フォルクスワーゲンソニーの仕事もしてきました。私は自分が熱心に取り組んだと思うわ。
私の広告にいい反応があったし、人々も車に女らしい攻め方を使うのはいいことだと思ったわ」


キャロル「クレアロールの仕事を2年半もやってます。

クレアロールの広告
いまでは整髪は60秒です。

こんなにデリケートなブロンドはなかった。


それから、ほかの仕事も幾つかやったわ…あれこれね。
でも、DDBへくる前は、女性向け製品は全然担当しなかった。
電気カミソリとバイタリスと平和部隊とウィスキーといっものだったわ。
女性はファッションの仕事をうまくやれると思うけど、ファッションの仕事のうまい男性も大勢いると思うわけ。
DDBのバート・スタインハウザーがその好例よ。

 バート・スタインハウザー(副社長、アート・グループ・スーパバイザー)

 欲しいのはブラの形? 女の形?

 そっとすべりこんで。


ファッションの仕事に従事したら、そのあとは抜け出して、何かほかのことをするチャンスが与えられるべきだと本当に思うわ」


ダイナ「私は、ファッションの仕事を立派にやってのけたことは何かの間違いだったと思うの。
だって大学では科学とリベラル・アートをうんと勉強したんですもの。
だからそれらが仕事に生かせられたら幸せ。
私には、ファッションに特に適性があるとは思えないもの」


キャロル「ちょっと待って!……どうしてもいいたいことがあるのよ、とても率直に。
多くの女性は落とし穴に落ちるということ。
私もあると時、落とし穴に落ちる自分を発見したのよ。
こうよ……えーと、男性は偏見を持っていて、私にチャンスを与えようとしない……恐ろしいことじゃない?
そして私はそこから脱けだして柵をつくったり、といったようなことをしようとしているの。
私の中のどっかにそうしたところがるのよ。
でも、それをいうのは、意気地なしのいいのがれだと本当に思うわ。
つまり、私たちが一所懸命働いて、それを求めたら……たぶん、もっと一所懸命圃らかなければならないでしょうけど……風潮がこんなだから、私たちはやることができると思うわ。
だったごらんなさい、メリー・ウェルズはやったじゃない。彼女は(DDBにいた)コピーライターだったけど。
彼女はきっとたくさんの偏見に出会ったはずよ。
フィリス・ロビンソン(DDBの創業時からのコピー・チーフ)もきっとたくさんの偏見に出会ったはずよ」

(注:メリー・ウェルズは、DDBをやめた仲間とウェルズ・リッチ・グリーン社を創業し、ブラニフ航空やベンソン&ヘッジズ100煙草の広告で人々をうならせた)。

メリー・ウェルズ(WRG社代表だった)

7色に塗り分けた機体で、「退屈な飛行機はもうたくさん」
女性客室乗務員に制服を多彩に着替えさせて「エア・ストリップ」
(エア・ストリップに機の誘導標識の意味もある)

◆広告の仕事が好きだから……


あなたたちは、ほかのコマーシャル・アートの分野に進出しないで、なぜ、ADになろうと思ったのですか?


ダイナ「美術館長になるつもりでしたの。美術の修士号を取りました。でも、女性がニューヨークでこの分野へはいるのは事実上不可能だと気がつきました。
その次にアート・デイレクティングのことを耳にしました。
ビジュアル・アーツ(専門学校)に通学してアート・ディレクティングの仕事を始めると、すごく気に入ってしまって、ほかのことをまたしようなんて、ぜんぜん考えもしなかたわ」


ジュディ「私が専攻したのはグラフィック・アーツと広告デザインなの。DDBにはいった時は、広告についての知識なんてまるでなかった。
でも、DDBで知識を吸収して、その上でビジュアル・アーツのコースを取ったので、鼓舞されはじめ、それがどんなに面白いかわかり始ってわけ。
したいことがほかにもあるわ。あやつり人形をつくるのと、絵を描くのが好き。でも、そういうのは実在しない職業も同然でしょ。
その反対で、広告は、伝達それ自体がとてもエキサイティングなアートだとおもうわ。
いつか、もし可能なら、コミュニティとか特別な主義…平和部隊とか、自分の信じる政治候補者のような…を手伝うのに、手法を応用したいわ。DDBの人たちがしているように」


メイヤ「自分でも楽しめることをしながら生計を立てたいと思っていました。陶器を焼いたり、絵画、演劇、ダンス、絵院゛など…すべてのビジュアル・コミュニケーションに関したものが好きです。
そして、ADの仕事が、なんらかの形でそれらにつながっていること発見したんです」


キャロル「私はしばらくの間、ファッション・イラストレーションを描いてたの。
でも、ただ家にいて、描いているだけでだれにも会うこともなかったので、そんな仕事は退屈なものだと気づいたの。
それに広告の仕事をいつも面白く思ったわ…高校当時から…。
でも、現実にはだれも勧めてくれなかったし、自分の考えもしっかりしてなかった。
20歳ぐらいの時、広告の仕事ができたらどんなにすばらしいことだろうって思ったの。
自分自身に確信を持ち始めたし、私は着想の豊かな人間で、ただものごとを視覚的に表現たりおこなったりできるという人間とは違うことに気づきはじめたのね」


ベティ「高校時代、広告業に進むべきだという人たちが周囲にいたの。今だって絵も本格的に描けるのよ。しばらくそれを本業にしたこともあるわ。
でも、私にとって、ただ絵を描くことには得るところがないので、もうやめたわ。
キャロルがいったように、外に出て、いろんな人に会って、彼らと話をして、アイデアを投げあったりできるということ……それには何か本当興奮させるものがあるわ」


キャロル「それに私たちは写真や、コマーシャルの仕事もしたいわ。
それは全く別世界よ……撮影の指示をしたり、配役をきめたり。
ご存じでしょ。
配役選びをして、男優や女優に会って…。
それから録音編集……音楽の録音と声の録音…。
こんな仕事が本当に好きよ」

◆女性だから、もっと頑張らなくっちゃ


「こういう種類の仕事は、時間とエネルギーがすごくとられるでしょ。あなたたちは、仕事以外に社会生活を送る時間が充分にありますか?」


ベティ「そうねえ。結婚しているんだけど、幸運なことに、夫もADなので理解があるわ。
でも、本当に時間が足りませんね。
秘書たちのように9時から5時まで働けばいいってわけではなく、自分の仕事が完成するまで働くのだから。
でも、この仕事にはいったからには、これは当然のことと思っているわ」


キャロル「そうよ。しょっちゅう缶詰よ。
たぶん、それが、男性が先に進んでしまった理由よね。
特殊なコマーシャルやキャンペーンの仕事をしている間は、ほかのことに気をとられないで、その仕事に熱中しなければならないんですもの。
デートの約束があったり、夫と会わなければならないって時に、6時になって、自分の仕事がうまく行ってなくて、12時まで働かなくてはならないとわかったら、気分を変えて迷わず仕事のほうをとらなければならないってこと。
でも、実際に遅くまで働いたり、週末に働いたりした時など、馬力をかけてとまっているので、完成したあとはスカッとした気分が味わえるわね」


【ひとりごと】

DDBの彼女たちが女性ADとして、その社会的認識度に不満を述べた時より4年前、1966年の資生堂の夏もの化粧品のハワイ・ロケのポスターで、芸大を出て資生堂へ入社2年目あたりの石岡瑛子さんが注目されていたから、もしかすると、資生堂宣伝部のほうがひらけていたのかも。

当時ととては異例の海外ロケを写真家・横須賀功光さんと企画し、アート・ディレクティングをした中村 誠さんは「才能豊かな石岡さんだったから…」と。
モデルは前田美波里さん。


それから1975年、石岡さんはパルコのポスター、「モデルだって顔だけじゃダメなんだ」(コピー:長沢岳夫さん)とくんで、強い女性を演出した。
写真:横須賀功光さん