(166)ジュディ・プロタス女史とのインタヴュー(3)
DDB 副社長兼コピー・スーパバイザー
アートディレクターと衝突したら何日でも待つこと
chuukyuu「アートディレクターとの意見が分かれた場合はどうしていますか?」
プロタス「2人のうちのどちらかが、相手を待っています。もし本当に意見がくい違った場合は、まず、 2、3日、 日をおくことですね。というのは、私がそのアイデアに何を見いだしているかが彼にわかり始めてきた場合にしても、彼がどうして気に入らないかを私がわかってきた場合にしても、このやり方はとてもいい効果を持っているからです。
時にはどうしても克服できない問題にぶつかることもありますが、その場合はほかの人の意見を聞いてみるのもいいと思います。ただし、どの人に聞くかを注意してかからなければなりません。秘書のところへいって調査してまわるなどということはしません。
もし、 レブンソンさんやゲイジさん、バーンバックさんが社内にいる場合には、喜んで彼らにどう思うかを聞くでしょう。
でも、アートディレクターとそんな極限に達したことはありません。ただ私はこう思うのです。この仕事と広告の中で解決しなければならない問題への挑戦のほうが個人への挑戦よりもずっとずっと大切だと。
第一、私がオーバックスを担当していたころはそんな個性の問題などありませんでした」
尊敬し、好きなライターはロン・ローゼンフェルド
chuukyuu 「DDBに、これほど長くいらっしゃるのは、なぜですか?」
プロタス「なぜだかお話しましょう。まず第一に、私はここで働くことが好きだからです。DDBでとても楽しくやってこられました。ほかのコピーライターたちからもお聞きになったと思いますが、私たちの広告の第一目的の売るということを決して忘れないかぎり、DDBでは自由に考え、フレッシュで、オリジナルで、自分自身を失わないでいられます。
それから第二に、DDBを辞めてほかの代理店へいったコピーライターたちが語る恐ろしいとはいわないまでも、悲しい話を何度も何度も耳にしているからです。それは、DDBとほかの代理店とでは、働く環境があまりにも違うということなのです」
chuukyuu 「DDBに長くいらした間、たくさんのコピーライターを見てこられたと思いますが、強烈な印象を与えたコピーライターはいますか。 いたら教えてください」
プロタス「私がもっともよく思い出すのは、そして私がもっとも尊敬しているのは、 ロン・ローゼンフェルドです。友人としても---。現在DDBにいないので、彼に会えないのはとてもさびしいことです。ライターとしても彼に従ってきました。 彼のことは、誇りにしていますし、好きでもあります。ボブ・レブンソンとレオン・メドゥとは、私の気に入りの三人組仲間です」
DDBのコピーライターに、この質問を発したのはこの時が最初です。そして得た答は、ぼくを満足させました。ローゼンフェルド氏のことは、すでに何回か紹介しています。
ぼく自身も、DDBに籍をおいたことのあるコピーライターでだれを尊敬するかと聞かれたら、きっと、ロンだ---と答えます。いや、「彼こそ、米国で、もっともうまいコピーライターだ」と答えるでしょう。
ロンは、DDBからトンプソンへ移り、1970年1月、ハーパー・ローゼンフエルド・シローイッツという名の広告代理店をくりました。ハーパーとは、インターパブリックを追われたマリオン・ハーパー氏のことで、シローイッツとは、DDBピカーのアートディレクターだったレン・シローイッツ氏のことであることは、すでにご存じでしょう。
クサクサした時の女性の例のテ---が職業を決めた
chuukyuu 「DDBに入社なさる以前のことをお話ししていただけますか?」
プロタス「そう、あれはあるクリスマスの時でした。私はイェール大学の大学院を卒業して英文学のマスターの資格を得ました。こんな場合、あなたなら何をしようと思われますか? 私は、書きたい---と思いました。
私はニューヨーク-帰ってきたのです。私は自分の修士免状をかかえて、いろいろな雑誌社をかけめぐりました。そしてうまくいけば週に25ドルかせげる雑誌社の資料集めの仕事につけるということがわかりましたが---。
ちょうどクリスマス休暇の時でした。そこで憂うつなとき女性がやる例のテ---を実行にうつすことにしました。ショッピングをして、何か自分を鼓舞するようなものを買うことにしたのです。ちょうどメーシーの店の近くにいて、私はメーシーに入って行きました。ちょうどクリスマスのときで一時的に人員を補充しようとしていた模擬店に入っていったのです。
そこで私は、クリスマスの時だけメーシーで働いてもかまわない---でも、何か書く仕事はないでしょうか? と言いました。すると『じゃあ広告部へいってごらんなさい』といわれて、私は広告部へあがっていき、そこで事務員として雇われ、作品をファイルしたりしていました。
そして時どき、家庭用品の小さな広告を二つ、三つ、つくって渡しました。そこで彼らは、私にコピーライターとなるチャンスを与えてくれました---そして同時に私はリサーチについて学びました。
それはユダヤ人の祭日である過越(すぎこ)しの祝いを間近にひかえている時でした。ユダヤ人というのはベーコンとかハムといった豚肉からつくった食品はロにしません。神様がごらんになっていないようなところでも。とにかく口にしないんです。私たちはいろいろなものを切ることができる肉切りナイフのセットの広告をつくるところでした。それはユダヤ人に過越しの祝いについて語っているページに出される予定になっていました。
私は自分でリサーチを全部やり、どうやったら肉切りナイフを売ることができるかを割り出しました。そしてこのすぼらしい肉切りナイフを使って過越しの祝いに用意すべきものをすべて並べたてました。そのリストの真中に、『ハム』という言葉をつめこんでしまったのです。
つぎの場面はといえば、コピー・チーフがオフィスに坐って『ジュディス、ちょっと来て!』でした。若げのいたりで、夢中になりすぎてよく考えなかったからいけなかったのです。
メーシーで家具類を専門に5年ばかりやって、 ファッションのほうに移りましたが、そろそろ場所を変える時期でした。
私は初めてDDBにやってきた時のことを今でも憶えています。まだとても小さくて、マジソン街のボーデン・ビルの最上階にありました。実際のところペントハウスといった小さなところで、そこにまた小さな仕切り小屋がいっぱいっめこまれていました。そしてドイルさんが私を見ていったものです。
『お嬢さん、シャンデリアにぶらさがって仕事をすることができるかね?』」