創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(198)チャック・コルイ氏とのインタヴュー(3)


チャック・コルイ氏
Doyle Dane Bernbach Inc.
Vice President, Copy Group Supervisor




『劇的なコピーライター』誠文堂新光社 ブレーンシリーズ 1971.3.10 絶版 からそのまま転載)。
公共奉仕広告(public service ad)」から一歩進んだ「抗議広告(protest ad)」の実際を示して、今後のコピーライターのあるべき姿を教えてくれた点で、本書の2番手においた。
オリン企業広告(corporate ad)でも、社会教育的な情報を中心にすえたコピーで、ライターの思想・社会とのかかわりあいといったものを暗示している。




chuukyuu 「今、おあげになった2点の作品は、DDBにいたからつくることができたと思いますか? あるいは、ほかの広告代理店にいても、このようなよい仕事ができたとお考えになりますか?」


コルイ 「DDBにいたからこそ、このような仕事ができたと信じます。とくに『ねずみ』の抗議広告はそうです。
ほかの代理店だったら、私たちに全面的に許してくれたかどうかわかりませんね。かなり激しい論争の的になっていた話題でしたから、『ねずみ』の広告の仕事をするのを望まなかったかもしれせんし、きっと、なにかと圧力をかけてきたでしょう。でも、この広告以後、多くの広告代理店の態度が少しずつ寛大になってきたように思います。以前よりも積極的に、論争の立場から広告をつくるようになってきたようです。


私たちが初期につくったオリンの広告でさえ、DDB以外のいくつかの広告代理店からは歓迎されなかったんですよ、例えば、その中の一つはベトナムを扱ったものなんです。その当時ですら、この問題はこの国ではとても扱いにくい題材だったんです。ですから、よい広告だからといって、自分のところでつくった広告をクライアントに売り込むことで代理店の信頼を強めるだけでは片手落ちで、人びとに買ってもらうようにするためのクライアントの信頼を顧みなければならないのです。


この点こそDDBが非常に特殊な点です。DDBにやってくるクライアントは、DDBにいる人びとがそれまでどんな商品を扱かったかを知っていますし、そうした彼らがこれから問題に取り組み、クライアントと協力的な態度で仕事をし、しかも傑作を生み出すことを知っているのですから。

むろん、ほかの広告代理店にいる多くのアートディレクターやコピーライターが、じっくり腰をすえ、DDBのようなすばらしい広告を数多く生み出していることは知っています。しかし、たぶん彼らは、その広告代理店では認めらていないでしょう。あるいは、認められたとしても、おそらくクライアントに受け入れてもらえないでしょう。
しかしながら、さきほどもいましたように、こういった態度は徐々に変りつつあるのです。


>>(4)


chuukyuuの付言2ヶ
その1.コルイ氏の言った、オリンのベトナムを話題にした広告というのは、これでしょう。


ベトナムの密林では、ベトコンよりも水が危険です。


(オリンのchlorineで清浄化されている、と)


The New Yorker 1967.2.18


いまの若い人たちは、ベトコンといわれても、ピンとこないでしようね。


その2 オリン社のchlorineのことは、コルイ=トウビン昨日のインタヴュー参照。アート担当)の前のオリン・チーム---ロバート・ゲイジ氏(アート担当)とフィリス・ロビンソン夫人(コピー担当)も扱っています。


水を安全にしているのは誰か?


The New Yorker 1961.4.22


チームが違うから表現のタッチも異なるのか、時代が異なったためなのか? 
ぼくにもよく分かりません。


>>(4)