創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

02-26 アイデアの承認

その点について、パーカー夫人は電通での講演で、こう話しました。
「キャンペーンが誕生すると、コピーライターの上司とアートディレクターの上司、両者の承認を得なければなりません。
担当者がスーパーバイザー自身である場合には、このステップはいうまでもなく、省かれます」(注・前出「クリエイティビティ」)
したがって、彼らは、それぞれの上司の承認を求めるわけです。
もっとも、この例の場合は、「キャンペーンが誕生」したのではなく、その途中の段階、つまり、ラフなアイデアが誕生した段階というべきでしょうが…。
川喜田教授の(7)「情勢判断」と(8)の「決断」の段階(→仕事の12段階)に当たるでしょう。
パーカー夫人の言葉を続けると、
「次に、できたキャンペーンをアカウント・グループに示します。
最後に、ビル・バーンバックのもとへ持って行きます。
これがすべてです。
DDBには見る人すべてを喜ばせるかどうかをチェックする──その結果、だれにも何も訴えないようなキャンペーンをつくり出す結果になるのですが──クリエイティブ・レビュー・ボードのようなものは存在しません」
ということになるわけですが、アクリラン・チームの場合は、再度、ペア・チームの会談のやり直しが命ぜられたわけですから、2人はまた、アートディレクターの個室に帰ってドアをしめます。
そして、テラー嬢がこういいました。
「ねえ、品質管理というコトバがディーラーにとってどういう意味を持っているか語ったら、どうかしら?
それは、消費者が満足するということでしょ。
返品が少なく不平も少ないということをテーマにした広告は、どうかしらね?」
「たとえば…」
と彼女はいって、次のような見出しを書いて示した。
「アクリランだったら、彼女は、あなたをうるさがらせにはきません」
「彼女にアクリラン・カーペットを売ったら、彼女のことは忘れてしまいなさい」
「お店の最上のお客さんであっても、気にかける必要はありません」
「なんですって? 気になってしかたがない?」
「彼女にアクリラン製のカーペットを売ってごらんなさい。もう二度と彼女には会えないかもしれませんよ。」
2人は、これらの視覚面について、再び語り合います。
一人の女性が店先から出て行くところ…について。
大きなカーペットを運んでいる一人の女。
嫌な感じの魅力のない女。
若くて親しめそうでかわいらしい女…
「何だか感傷的だね」とアートディレクターが笑います。
「少しぐらい感傷的なのがいいんじゃない?カーペット販売店の主人って、大抵ロマンチックな男よ」とやり返すテラー嬢。
悲しそうなディーラーを扱ったもの…幸福そうなディーラーを扱ってみては…だれもいない戸口…ダメです。やり直し。
次の日、アートディレクターが突然ひらめきを感じて、ケムストランド・グループのアートディレクターの1人、(ジェフ)メッツナーに、ショッピング・バックをかかえた女の、小さなデリケートなイラストを描いてくれるように頼みます。
アカウント・エグゼキュティブは、この3点の試案を持って、クライアントのOKを取るために出かけていきます。
結果は「彼女にカーペットを売ったら…」はOKで、他の2点はボツ。
クライアントは「運に任したといえるものがただ一つ…」の広告は、販売店を侮辱することになるといいました。
彼女はそうは思わないのですが…。
「あなたのトクになります」というのは、アクリラン製のカーペットの在庫がある時には必ず配達してくれるようにディーラーに頼んであるので、効果がないということ。
またもや、
「人々は友だちにアクリランのことを話すのが好きです」、
「アクリラン製カーペットを持つと、どうしてこんなにおしゃべりになるのでしょうね?」などと、ペア・チームの会談が始まります。
これらの視覚化には、タイプ・トリートメントしかありません。
この時、アートディレクターのローゼンワッサー氏が強力なビジョンを思いつきます。
指を交差した女の手がカーペットをたたいているものです。
「アクリランを売れば、彼女はこんなことをする必要はないのです」
「幸運を願う…なんて、カーペットを買う方法ではないはずです」
「こんなことをしても、よいカーペットにあたるなんてことはありませんよ」
…とまあ、こんなふうにして、広告ができたのです。
パーカー夫人の「クランベリー・カクテル・ジュースは……のような味がします」と比べると(→あるペア・チームの実況報告(1))、このアクリラン・チームは、すごく苦労しています。
しかし、このペア・チームが若すぎるからで、彼らも、コツをつかめば、よりスムースにやるようになるのでしょう。