創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

03-26 DDBは目標になっている

グリーン女史が「いつかDDBで仕事をしてみたい、DDBで要求されているような水準の仕事も、私ならやれる自信がある」とは思っていても、「十分に実力がつくまでは入社運動をすることができなかった」といっていたことを先に紹介しました。
「自信家」の異名を持つアートディレクターのロイス氏でさえ、
「そう、DDBには、長年、はいりたいと思っていたんです。
向こうからも誘いがありましたしね。
でも、まだ自分自身の準備が整っていないと思ったものですから…もっと勉強してから…と考えていました。
DDBにはいった時は、よい仕事をするための準備ができたつもりでした」
と、私に告白したほどです。
とにかく、DDBアメリカの広告制作者の目標になっているのです。
そして、よい仕事がよい人材を引きつけ、さらに彼らがよい仕事をして…といった循環がつくり出されるわけです。
そこではもはや、人材を集めるための苦労はなく、ただいかにして選ぶかが問題になるわけです。
それにつけても思うのは、ある経営者が「日本人は産業界に就職するに当たって、職務を選ぶのではなく、会社を選ぶ」と書いていたことです。
この文章の裏には当然、「アメリカ人は、産業界に就職するに当たって、会社を選ぶのではなく、職務を選ぶ」という発言が隠れているわけです。
ところが、今まで見てきたように、DDBに入社した人々は、DDBという会社を選んでいるのです。
もちろん、DDBに入社する前に、アートディレクター、コピーライターという職務を選んでいますから、その経営学者が間違っているというのではありません。
しかし、その職務を十分に遂行する能力を発揮しようと思えば、やっぱり「会社を選」ばなければばらばい事情がアメリカにもあるのではないでしょうか?
あるいは、DDBの出現によって、そういう新しい基準が生まれたのでしょうか?
その論文は、『新能力主義論』というもっともな題で書かれていましたが、能力と環境をいう面では論じられていませんでした。
今後も、こういったテーマの論文が数多く発表されることでしょうが、注意をようするところでしょう。