創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

02-22 「私たちの」アイデア

もう一度、パーカー夫人の講演にもどりましょう。
いよいよ、ペア・チームの会談が始まります。
創造の神秘的な時間の訪れが聞かれるかもしれません。
「さて、アートディレクターとコピーライターは、ちょうど2個のスポンジのように資料を十分吸収したうえで、ひざをつき合わせてクリエイティブ活動に専念します。これは、普通、アートディレクターの部屋で行います。
アートディレクターがコピーライターと話し合いながら、ケント紙の上にラフスケッチを描きつけることができるからです」
「作業は、2人の会話だけで、それ以外は何もありません。
商品について話し合うだけです。
広告のもって行き方を研究します。
コピーライターのほうからビジュアル面のアイデアを出すこともありますし、またその逆もあります。
心に浮かぶアイデアを、取捨しないで、ありのまま持ち出します。
パートナーの一人が、『そのアイデアはよくないと思う。その理由は云々…』ということもありますし、場合によっては『陳腐なアイデアだ』とさえ、いうこともあります。しかし、ときによると、『そいつはおもしろい。それを使うと、きっとこうなる…』
こうなると、しめたもの、こうやってキャンぺーンの骨子ができ上がっていくのです。
これは、ちょうどピンポンみたいなもので、球をサーブし、一方が打ち返し、相手が打ち返すのと似ています。
違いは、私たちの場合は、相手が球を落とさないよう気をつけるだけです。
自分のアイデアが相手のもとに行き、打ち返すごとに、だんだん形をととのえてよくなってくるのは、たいへんな喜びです。
イデアのピンポン球がなるべく長時間打ち返されていれば、キャンペーンが出来上がってきます。
そして、両方のプレーヤーがゲームの勝利を納めることになるのです。
あるキャンペーンができ上がってしまうと、チームのどちら側が最初のアイデアを思いついたか思い出すことが、なかなかできません。
そのようなことは、どうでもよいのです。
DDBで『私の考えたキャンペーン』というのは、重い罪悪です。DDBでは必ず『私たちのキャンペーン』です。称賛のコトバも二人で分かち合うと同じに、非難も分かち合います。
私がDDBに入社して以来、ビル・バーンバックが『君たちのうち、どちらがこのアイデアを出したのだね』と質問したのを、一回も耳にしたことはありません。」(注:前出『クリエイティビティ』)