創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

ステファン・ベイカー氏による『クリエイティブ時評』

G.W.くずれの英語圏優先扱いの第4弾


この抄訳文は、1965年4月号『ブレーン』誌に掲載され、「DDB的」という呪文が日本でも拡がりかけました。

『アート・ディレクション』誌1960年1月号
ステファン・ベイカー氏による[クリエイティブ時評]
(同誌、同氏の許可を得て、『ブレーン』誌1965年4月号に抜粋翻訳を掲載)


この月号の前年8月からVWビートルのシリーズが始まり、DDBへの注目が一段と強まりました。


ドイル・デーン・バーンバック社”


ドイル・デーン・バーンバック(DDB)のアート部門からほとばしり出てくる広告に対しては、アートディレクターたちは、いつも崇拝の眼なざしをもってみている。
多くの欲求不満のアーチストにとっては、DDBの広告は一種の奇跡---マジソン街に天から降ってきたマナ(神からの贈りもの)のごとくに見える。
そんなことが現代の世に起こるとは到底信じられないとしても。


一方、広告主側とすると、DDBの制作陣のクリエイティビティが優れていることを認めることはやぶさかではないとしても、それは規模の小さな企業には許されても、一流を自認している大企業にとっては、あまりにもキュートすぎるという。また、ハード・セルこそ絶対、と思いこんでいる業種もあった。
それらの広告主には、高度にイマジナティブなアート・ワークがセルすると主張するアートディレクターの声には、耳も貸されかなった。


マジソン街の賛否こもごもの論議をよそに、DDBは着々と陣地を拡げており、クリエイティブ・スタッフからは次々と作品がほとばしり出ていた。
DDBでは、外野席の、この広告は「セル」するか、「売り上げ曲線」を伸ばすかどうかといった思惑など、誰一人として気にもとめていないかのようであった。

リヴィ・パン 地下鉄駅の壁面貼りポスター



リヴィの6種類のパン
(どれからバターをおつけになりますか?


DDBのクリエイターたちは、中道主義の広告主たちにとっては恐らく「クリエイティブすぎる」自分たちのキャンペーンのどれもこれもが、想像を絶するほどの商品を売るということを知っていたからである。


だから、新しい広告主が、クリエイティブに腕前もさることながら、この代理店の売り上げ記録に大きな期待をかけて、ひきもきらずに依頼しにやってきた。


DDBは、広告費を預かっているクライアントの成長とほとんど同じ速さで大きくなった。しかも、そのアート部門はその哲学を一部たりとも変えなかった。誰もが、ここのアートディレクターたちは、一体、お金のために働いているのか、ただ楽しいからやっているのかと不思議に思わないではいられなかった。


今では、いかに疑い深い懐疑論者でも「DDBのアプローチ」は効果があるということを認めている。
DDBを内心で目標にしてきていたアートディレクターたちは、やっとほっとした---ありがたいことに、休む暇もない幸せな一団の人たち(DDBer)によって自分たちが言わんとしたころが証明されたからである。


アートディレクターたちは、今では大きなイラストレイション(写真や絵)やシンプルな写真、モダンなレイアウトや「気のきいた」写真などを思い切り使うことができる。さらには、アカウント・エグゼクティブなどの前に、DDBの証拠を高々とうち振り、すべての疑問を一挙に、そして永久に晴らしてしまうことができる。

イスラエル政府観光局



翻訳すると、「あと5分で出番だぜ!」男はテル・アビブの劇場クラブの新進パントマイムのウィリイです。彼は仲間内での公演後、地下のワイン貯蔵庫で、朝まで踊り、民謡を歌うのです。イスラエル国民ほど、踊りや歌の好きな国民はいません。

(38th ニューヨークADC展 Gold)


しかし、ここで一言、注意が必要である。


DDBの広告は、その印刷およびTVキャンペーンのアートの取り扱い方の故だけで成功しているものではない。
グラフィックスに深く熱中している人びとは、しばしば、レイアウトやタイポグラフィ、そしてイラストレイション(写真)に使われているモデルの選定などの基盤においてDDBの広告効果を論じる傾向がある。
たしかに、これらの構成要素のすべては、この代理店の広告の効果の成功に大いに関係がある。
さらに深く分析してみると、他の秘密も明らかになる。たとえば、


1.すべてのDDBの広告は、そのビジュアルの正面の裏側に「ビッグ・アイデア」を持っている。この「ビッグ・アイデア」は、コピーとアート両方の中に現れてい、それは非常に強いものなので、誰でもその広告を示すことなしに、ほとんど、それを説明することができる。


2.「アイデア」というのは、大きなイラストレイションや短いコピーのことではない。それらは、テクニックであって、アイデアではない。多くのDDBの広告は、長いコピーを持っている。


3.DDBの広告は、面白そうに見える。大騒ぎの背後にまじめな目的がある。製品についてのインフォメイションである。


4.すべてのDDBの広告は、その製品のセリング・ポイントで始まっている。この点に関しては例外は一つもない。


突然、レイアウトで「DDBアプローチ」と張り合ってみようと決心したアートデイレクターは、自分が非常にたくさんの卵を産みたいと熱望している雌鳥の立場になつたような気がするかもしれない。
そんな広告を創り出すには、一人のアートディレクターでは足りない。一チーム必要である。
「DDBレイアウト」などというものはないのである。
あるのは、「DDBアドバタイジング」である。




英文欄のリヴィ・パンのポスターの意訳。

上:リヴィ(ほんとうのユダヤライ麦 )の2つのおいしさ

下:リヴィのパン(ほんとうのユダヤライ麦)を好きになるのに---ユダヤ人にならなきゃって法はありませんよ。