創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

02-02すぐれた仕事をしていれば尊敬される

シローイッツ氏の話の中に出てくるコピーライターのメドウ氏は、コピー部管理部長(アドミニストレイター)です。
彼は、アドミニストレイターとしての肩書にもかかわらず、実作に従事したわけですが、そこのところをパーカー夫人は、

「アート、コピーの両チーフの職務はクリエイティブ面の成果を監督することであるのに対し、両マネジャーはアカウントの割振り、昇給、スタッフの休暇といった事務的な面の監督をするのがその職務になっています。
しかし、両マネジャーともクリエイティブマンで、副社長の肩書を持っており、私たちと同様、めいめいのアカウントを担当しております」

と説明しています。

 クリエイティブ部門の監督的立場にある人が、半分以上の時間を広告の創造のために使っていて、他の代理店の監督者のように完全に管理者にならないのも、DDBの特長の一つでしょう。

そこのところを、準クリエイティブ・ディレクターの(デビット)ライダー氏が、
「もし、あるコピーライターが、ライターとしてすぐれた仕事をしていれば、スーパバイザーとしてもより尊敬されるというものでしょう」といっています。

ついでですから、メドウ氏が話してくれたアドミニストレイターとしての彼の職務を紹介しておきましょう。

「アドミニストレイターとしての私の責任は、コピー部全般の管理です。下に大体75人から85人のライターがいますが、私はコピー部が適切に機能して行くかどうかということをまず監督します。

それから、会議に出席したり、下の者に仕事を与えたりします。
これは、定期的にやるものです。

それからまた、下の者に仕事を割り振って与えた場合、その宿題といいますか、仕事を一定の時期にはやはり書き上げてもらう。
また、ある程度のレベルの作品を部下に出してもらう、とそういうことを総括的に上から見るんです。

DDBでは非常にレベルの高いものをクリエイティブ部門に要求していますから、ただ単に、なんでもいいから宿題とか要求された仕事を提出すればいいというのではありません。
このことは、どんな小さなものであってもそうです。

ですから、そこで私の義務は、そのようなすぐれた人を採用するということですね。
で、私の判断によって、DDBのスタンダードを維持できるような人を採用するということ、そしてさらに、広告界に新しい雰囲気を吹き込むことができるような人、そういう人を見つけ出すということです。

これはちょうど、バーンバックさんが、第二次大戦後アメリカの広告界にこういう新風を吹き込んだと同じように、そのようなすぐれた人を捜すということです。

 それから、私の仕事はまだあるんですよ。

 そのコピー部を総括的に上から監督すること、新人やいろいろなライターを採用するということ、そしてさらに、私は、いろいろなアカウントにライターを割り振るということもやっています。
 これはアート部門のアドミニストレイターのスピーゲルさん、彼の協力によって行われます。DDBの広告は、コピーライターとアートディレクターとの非常に緊密な協力によって行われるわけですから、したがって、彼と私の両方が協力して仕事を与えるのです」