創造と環境

コピーライター西尾忠久による1960年〜70年代アメリカ広告のアーカイブ

(650)バーンバックさんとDDB(1)


つい最近、ひょっこりと、資料がでてきました。
アメリカの広告デザイン専門誌[Communication Arts (略称CA)]1971年新年号
のDDB特集の巻頭を飾った、コイン編集長がバーンバックさんをインタヴューした
記事の翻訳の抜刷りです。
当時の『ブレーン』誌の坂本編集長が、DDBに詳しいぼくに校閲を頼まれたもの
のようです。はっきりとは記憶していませんが。
内容がすばらしいので手直しと[註]や参考記事や写真・TV-CM、図版などを補
い、いまの若いクリエイターの人たちにも理解しやすい形にして分載します。




■広告の経験がなかったから---


Q:あなたの経歴についてある時点からしか知らないのです。
あなたは最初からグレイ広告代理店の副社長(Vice President)では
なかったと推測しているのですが・・・・


バーンバッグ そのとおりです。
 (註)アメリカの広告代理店のVice Presidentという肩書きは、〔上級社員〕とか〔幹部社員〕といったほどの意味で、
   かつての電通の〔副部長〕の肩書きに近い。
   40年前、DDBニューヨーク本社員1500人のとき、Vice Presidentは130人ほどいた。 


Q:では、どのような経緯で広告界にはいられたのですか?


バーンバッグ 私はもともとライターだったのです。
アートのほうにも興味を持っていました。
かなり多くの有名政治家のゴースト・ライターをしたこともあります。
長年グローバー・ウィーラン(Grover Whalen)の演説原稿を書いていたものです。
彼は当時ニューヨーク世界博---1939年開催の古いほうのです---の
代表を勤めておりました。
私はその事務局で働き、最後は文芸部長になりました。
もっともこの文芸部のことを仲間内では調査部といっていましたが,
われわれはそこで新聞・雑誌向けの記事、スピーチ原稿、書籍原稿,
ブリタニカ百料事典のための博覧会の歴史についての原稿などを書
いておりました。


この世界博が終わってから、私はウェイントローブ(Weintraub)
という代理店に飛込みで職を捜しに行きました。
広告界の経験はなかったのですが、今度は人物ではなく商品のゴー
スト・ライターをやるのもよかろうと思ったわけです。
金にもなるだろうし、面白いだろうと思ったのです。
ちょうど職が空いており、私は直ちに同僚と競争で、あるコピーを
書かされるハメになりました。
社長のウェイントローブ氏は、私のコピーを選んでくれました。
かくして私は広告界入りしたわけです。
当時の私の利点は、同僚たちより広告という仕事についての知識が
なかったことだろうと思ってます。


サーバーがロスについていった言葉をご存じですか?
「彼の精神は教養によって歪められていなかった」というのです。
私も当時は歪んだ精神の持主ではなく、それでいてアートとコピーに
ついては、ある程度の技術を持っていたわけです。
これがその後、私が前例のないようなコピーとアートの統合技術を生
み出すうえでの基礎になったと思います。
ご存じのように、物事には昔から定まった方法があります。
広告でいえば、まずコピーライターにヘッドラインとボデー・コピーを
書かせ、それをアートディレクターに回してレイアウトさせるという
定石があります。
しかし私はアイデアこそ最も重要なものだと感じておりました。
本当にすぐれたライターやアーチストは、アイデアに生命を与えるため
に自分の技術を駆使するものです。


Q:すると、あなたは、その当時から現在のDDBの経営哲学を考えて
いたわけですか?


バーンバッグ ええ、そうです。
私は初めからそのように考えていましたね。


:ポール・ランド氏も当時ウェイントローブ社にいたのですか?


バーンバッグ そうです。ポール・ランドと私は大の親友でした。
彼と私の2人は、当時有名だったデュボネット・キャンペーン、エアウィ
ック・キャンペーンなど、いろいろなキャンペーンを担当しました。
2人で昼食時間をさいて、美術コレクションを見に画廊に通ったもので
す。もしポールがグラフィックの本を出すようなことがあったら私もそ
の手伝いをしたかもしれません。
そんなわけで、2人はお互いの技術を十分に生かすことができました。
当時私が考え、今もそのように考えていることは・・・・すぐれたアートディ
レクターとコピーライターががっちり手を組んで仕事をすれば、その結果
として生まれるアイデアが生きてくるから、だれがコピーを書いたのか、
だれがアートをやったか区別がつかなくなるものだ、ということです。
これは重要なことです。まずいアイデアをいくらうまく細工してみても、
なんの効果もありません。
唯一の解決策はすぐれたクリエイテブなアイデアを考えだすことです。


Q:といっても簡単なことではありませんね?


バーンバッグ 簡単にはいきません。


以下、明日
このコンテンツ構成には若手コピーライターの安田慎一さんと菊池小百合さん
プロデューサーの転法輪 篤さんのごのご助力をいただいています。


補足
ビル・バーンバック(1911〜1982)
バーンバックさん、DDB創業25周年を語る (1974年)←クリック
DDB創立30周年記念社内報より「人を斬れるのは、事実に生命を吹き込むことのできる芸術的才能」 (1979年)←クリック


ポール・ランド(1914〜1996)
(atsushiさんのおすすめ)
ポール・ランド 広告作品一覧「Airwick」「Dubonnet」の項目を参照
『創造と環境』「考える友人…ポール・ランド
グレイ時代に、バーンバックさんとポール・ランド氏が創出したオーバックス店の広告例。←クリック




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